雨池博―③

 夏。


 夏といえば、学生時代が思い出される。目の前の紙切れと、手元の金属の塊に夢中になっていたあの頃。

 この時期になると私は散歩の時間を朝から夕方に変更する。朝だと音が聞こえないからである。


 学校の傍で耳を澄ませる。

 すると、例え今日のように雨が降っていても鮮やかな音色が私を包み込む。


 かつて大学で音楽も学んでいた私からすると、聞こえる音色は決して褒められたものではない。市内のホールで演奏をするとしても、入場料はただの一円もとれないだろう。でもそれは、演奏技術の話だ。

 音楽は技術だけじゃない。これは私が身を犠牲にしてようやく理解できたことだ。彼ら彼女らの演奏には、心がある。情熱がある。青春の香りがする。若さを感じる。それを生で、間近で味わうことができるのなら、私はいくらでも出そう。きっとこれは私だけではないはずだ。


「頑張れよ。若人わこうど


 あまり学校の近くで立ち止まっていると、不審者だと勘違いされかねない。五分程度耳を澄ませていた私は、ゆっくりと歩き始めた。

 若者たちの音楽を聴いた後だと、アスファルトや木々に叩きつけられる雨粒の音も、何かのフレーズを演奏しているように聞こえる。


「そして、楽しめよ」

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