雨霧保―③

 あの老人に会ってから、雨の日は散歩に行かないようにしていた。でも、ここ最近雨ばかり。ユキのためにもそろそろ行かなければ、と思い今日は家を出た。頼むから面倒なことが起こらないでくれ。


 時間帯はあえて午後四時ごろを選んだ。この時間なら人と出会うことがほとんどないことは、今までの経験で分かっている。


「あっ、あのっ。携帯、落としました?」


 背後から女の声。頼むから俺以外に対して発せられた声であってくれ。

 しかし、周囲に人は歩いていない。恐る恐る携帯を入れていたはずのポケットに手を突っ込む。


 ない。最悪だ。


 俺はゆっくりと振り返る。数メートル先に立っていたのは傘をさした女子高生だった。どこかで見覚えがある。


「あ、それ、俺のです。ありがとう」


 俺はユキを抱えると、彼女のもとへ歩み寄り携帯を受け取った。


 近づいて分かった。この子、陸上部の子だ。朝走っているのを見たことがある。でも最近はその姿を見ていない気がする。


「君、陸上の子だよね。部活、ないの?」


 ちょっとした憂さ晴らしのつもりだった。彼女も気味悪そうな顔をしている。でも。


「そ、そうですけど。え、えっと、もしかして、『アメタツ』さんですか?」


 まさかの反撃。

 『アメタツ』というのは俺が漫画投稿サイトで使っているペンネームのことだ。どうしてバレたのか。SNSにも俺の個人が特定できるようなことを投稿した覚えはない。もしかして待ち受けを見られた? というか、あの数少ない閲覧数のうちの最低一つが今目の前にいる女子高生だというのか?


「え、知ってるの? アメタツ」


 俺は動揺がバレないように笑顔を繕った。俺もファンの一人ということにしよう。


「まぁ、話はあんまりおもしろくないけど、絵は可愛くていいなぁって、思ってる」


 彼女は少々自慢げに頷いた。やっぱり俺の正体が……。

 それより、何だ、今俺の漫画を馬鹿にしたのか?

 何が絵可愛いだよ。俺にそんな可愛い漫画は描けない。


「そ、そうだね。俺もそう思うよ。それじゃ、携帯ありがとね」


 正体がバレたんだろうが、それでも一応演技は続けた。そして、ユキを抱えたまま振り返り、その場を後にした。本当に雨の日はろくなことがない。

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