雨笠達郎―②

 今日も雨だ。娘が右足を失ったあの日から、雨の日に外出するのを身体が拒んだ。でも、仕事は非情にも溜まっていく。だとしても車を運転することだけはできなかった。晴れている日は普通に運転できるのに、雨が少しでも降るとたちまちハンドルを握る腕やアクセルを踏む足が動かなくなる。だから、雨の日はバスを使って通勤していた。


 バス停に行くと、いつもの女子高生がベンチに座っている。彼女は体格からして陸上をやっているのだろう。娘と足の筋肉の付き方が似ている。


「あの、どうして雨の日にだけバスを使っているんですか?」


 突然、彼女から声をかけられた。女子高生から声をかけられるなんて、いつぶりだろうか。娘のことは会社の人にもあまり話していない。同情されるのも趣味じゃなかった。だから無視してやろうと思ったが、私の奥底に眠る嫉妬心が、勝手に口を動かしてしまった。


「わ、私ですか?」


 この嫉妬心の正体ははっきりと分かっている。娘はもう今まで通り走ることができないのに、こいつの足はピンピンしている。八つ当たりなんて、同情されるのよりも百倍趣味じゃないが、もう私の嫉妬心は止められなかった。


「雨の日は車を運転するのが怖いんですよ。三か月ほど前です。家族旅行に行った帰りに事故を起こしてしまった。私と妻は軽傷で済んだんですが、助手席に座っていた娘は重傷で」


 彼女の方は見ずに、足元にできた水溜まりを見つめたまま話す。


「あまりに傷が大きいということで、右足切断せざるを得なかったんです。走るのが大好きだった娘が、もう外を走ることができなくなった。それも私のせいで、です」


 正確に言えば、走ることができないこともないんだが、少々盛ってしまった。


「私も、雨のせいで陸上を辞めました」


 私は驚いて彼女の方を向く。陸上をやっている、というのは当たっていたが、一瞬のうちに後悔が胸の内から湧き上がる。


「父が交通事故にあったんですよ。そして、亡くなりました。即死だったみたいです。それから私は一度も走っていません。金銭的に家に負担をかけるわけにもいかないし、父の応援が私の原動力にもなっていたから」


 彼女が言い終わると同時に、私の嫉妬心はすっかり後悔で上書きされてその姿を消した。いい年した大人が、何をやっているんだ。


「――雨って、どうしてこんなにも残酷なんでしょうね」


 そう呟くことが、私にできる最善の償いだった。

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