雨宮遥―②

 あの日から、気が付けばもう二か月が経った。学校は一週間程度休んだが、それ以降は普通に登校している。ただ、部活には行きたくなかった。陸上のことを考えるたびにあの日のことがフラッシュバックする。中学生の市内大会で優勝したあの日。父親に『オリンピック選手になるから見ていてね!』と宣言したあの日。でももうその父親はいない。少しでも早く陸上のことを忘れたかった。


 今日も生憎の雨。二か月前と比べればかなり穏やかだ。私はバス停のベンチに腰掛け、バスが来るのを待っていた。

 隣にはスーツ姿の男性が座っている。この男はなぜか雨の日にしか現れなかった。


「あの、どうして雨の日にだけバスを使っているんですか?」


 私は興味半分、気を紛らわせたい半分で声をかけた。この雨の中黙っていると、つい父親のことを考えてしまう。もし、大会が予定通り開催されていたら。もし、雨がもっと弱かったら。その日以来、雨のことが余計に嫌いになった。


「わ、私ですか?」


 男は驚いたように私を見る。そして再び前を向くと、穏やかな声で話し始めた。


「雨の日は車を運転するのが怖いんですよ。三か月ほど前です。家族旅行に行った帰りに事故を起こしてしまった。私と妻は軽傷で済んだんですが、助手席に座っていた娘は重傷で」


 私は、こんなこと簡単に聞いてはいけなかったと後悔した。でももう遅い。


「あまりに傷が大きいということで、右足切断せざるを得なかったんです。走るのが大好きだった娘が、もう外を走ることができなくなった。それも私のせいで、です」

「私も、雨のせいで陸上を辞めました」


 私はせめてもの抵抗として、食い気味で口を開いた。男は再び驚いたように私を見る。このことを思い出すのは嫌だったが、この男を悲劇のヒロインならぬ、悲劇のヒーローにさせたまま別れるのは、なんだか悔しかった。


「父が交通事故にあったんですよ。そして、亡くなりました。即死だったみたいです。それから私は一度も走っていません。金銭的に家に負担をかけるわけにもいかないし、父の応援が私の原動力にもなっていたから」


「――雨って、どうしてこんなにも残酷なんでしょうね」


 振り続ける雨の中、私たち二人はただ虚空を見つめた。憎たらしいこの雨を、視界から消してしまいたかった。

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