80,

 


 ――俺は選んでいた。



 なんの迷いもなく。



 これからの不安はいくらでもある。



 俺は決して、それらの心配をなるべく解消できる合理的な判断を下せたわけじゃない。



 ミーニャとフィアル、どちらが俺の役に立つかなんて、考えていなかった。




 そんなので人を選ぶのは、前世の俺のあの上司と同じだ。


 俺が役に立たないと言われ、いじめられた。さらに徹底的に使い潰されたかつての頃――





 俺は、どちらがより俺を必要としてくれているかで選んだ。




 ――だから俺はこう言った。




「どちらかを………どちらかしか選ぶしかないというなら。」





「俺は…………フィアルを選ぶよ…………」


「アル……!?」


 傍らで懐疑と歓喜の声が聞こえた。その一方で――



 一瞬で、目の前に居たミーニャが悲痛の表情を浮かべたのが分かった。


 彼女は自分が選ばれると確信を持っていて、

 自分が選ばれないとは夢にも思わなかったのだろう。

 だから、あそこまで余裕を持っていられた。


 ミーニャとはこの世界に来てかなりの間一緒に居たが、それでもその歪み切った顔は今まで一度も見たことが無かった。


 彼女は俺に鬼気迫る表情で問い詰める。



「なんでですか!!?なんなんですか!!?トピア様、もう一度よく考えてください!!!なんでずっと居た私なんかよりもあの女を選ぶんですか!!!今この場で決闘しても、絶対に私が勝ちます!!私の方が強いです!!なのに――」



「――ミーニャは強いよ。何でもできるよ。

 ――だから、俺が居なくても生きていけるでしょ?」


 俺のその回答に呆気にとられるミーニャ。

 しかし、俺にさらに詰め寄ってきて、顔が目の前に来る。


「何でそうなるんですか!!?私にも勝てない、弱い彼女があなたを守れるとは思いません!!」


「――そう、フィアルは弱いんだよ。特に精神的に………

 だからこそ、俺が居なくなってより困るのは、フィアルだと思ったんだよ」



 確かにミーニャが一緒に居た方が、今後の色々な心配は解消されると思う。


 でも俺がこの決断を下す時、思い出していたのは一つの出来事。

 俺がフィアルに強く当たりすぎてしまって、その場を立ち去ったフィアルを追いかけて、その光景を見た。



 ――フィアルは、自分で自分を傷つけていた。

 俺と喧嘩とも言えないほどの事で、自傷する彼女を思い出した時、俺は考え込んでしまった。


 ミーニャは、俺が選ばなかったとしても、なんだかんだ言って一人でも生きていけるだろう。

 でもフィアルは………


 フィアルが俺に選ばれなかったとしたら………たとえそれが、どうしようもなく、仕方のない事だったとしても彼女は………



 俺に執着してしまっている彼女は………




 ――自ら命を絶ってしまうかもしれない。



 だから、今俺ができる最も後悔の無い選択は、フィアルの方を選ぶことだった。




「嫌です!嫌です!嫌です!!

 私のこと愛しているって言ってくれたじゃないですか!!番いなんですよ!?私たちは!!トピア様が私と一緒じゃないなんて嫌です!!ましてや私以外の誰かと一緒に居るなんて絶対に嫌です!!私はトピア様と離れたくないです!!私を一人にしないでください!!」



 その様子を見ても、俺の心はとても冷静だった。


「正直に言うなら、俺はどっちかなんて選べないよ。でも、どちらかしか選べないって言ったから、俺の選びたい方を選んだんだよ」


「そんな………」



 ミーニャの顔がどんどん青ざめていくのが、手に取るように分かる。

 いつも諭されていた俺だったが、今度は俺がミーニャに諭すように告げた。


「決してミーニャを蔑ろにしたいとか、そう考えているわけじゃないよ。どっちも選べるならそれ以上の事は無いよ」


「だったら私も連れて行ってください!!何でもしますから!!従者でも、雑用係でも、なんなら奴隷みたいにこき使ってもいいですから!!」


 ミーニャが付いてくてくれた方がどんなに楽な事か。

 でもそれは俺が決められるような事ではない。



「それは………俺じゃなくて、フィアルに聞いたら?」



 俺は決断を放棄したわけではない、譲渡したのだ。

 俺はフィアルに視線を向ける。ミーニャも俺に続いて彼女を見た。

 ミーニャはそして、今度は俺ではなくフィアルに詰め寄った



「フィアル!さん!いや様!お願いします!私も一緒に連れて行ってください!!」


 そのあまりに無様さに、俺の中のミーニャの株がどんどん下がっていく。

 でも、その無様を晒してでも、そして自分で交わした契約を破ってでも、懇願せずにはいられないのだろう。


 ミーニャではなく、俺と目が合ったフィアルは、涙を拭い、きっぱりと言った。



「私は……別に構わないわ」


 それは、随分あっさりした回答だった。

 フィアルの事だからごねられると思っていたのだが、少々意外だった。



「本当ですか!!あとでやっぱりやめたとか無しですよ!!」


 今ミーニャの尻尾が扇風機のように回り始めたのが分かる。

 俺の顔にも尻尾の先が数度当たって痛い。


「アルがそれで良いなら、私も異存はない」



「フィアル!様…!!」



 初めて、ミーニャがフィアルの名を呼んでいるのを見た気がした。

 これだけでは示しがつかないのか、フィアルは条件を付け加えた。


「ただし!!ミーニャ!あなたの立ち位置は私たちの『ペット』として就くこと、そして身の回りの雑用を全てこなすこと!!あとずっと気になっていたけど“トピア様”とかいうわけの分からない呼び方も変えなさい!!」



 ……ペットというのは愛でるものではないのか?

 ペットというには、すべきことの注文が多い気がする。

 しかし、それ以上に気になることは、先程と違って態度が大きいことだ。


 それほど今のフィアルには余裕があるという事なので、俺の選択はこれでよかったのやら悪かったのやら………



「――なります!!ペットでもなんでも!!」


 高らかに、何の躊躇もなく、彼女はそう言い放った。




 ……ミーニャよ、良いのか……?それで………



 俺はフィアルにも聞いた。


「フィアル、フィアルはそれで本当にいいの?」


 ミーニャは感極まった様子で放心している。

 フィアルは俺だけに聞こえるように、小声で俺に告げた。



「私はいいのよ、そもそも、その契約というのも、ミーニャが持ち出したこと、私があなたを助けるためには、それに従う以外無かったから。それに………」



 ミーニャが言っていた説明とやや食い違っている気がするが、印象としての差異の範疇なのだろう。

 フィアルは説明を続ける。


「ミーニャならどっちにしろ、こっそり私たちの後を追ってきそうだし。さすがに私とアルだけだと、この先の生活は、安全面でも金銭面でも苦しいものになると思う」



 それは……フィアルは彼女なりにこの体の俺の事を、考えてくれた結果らしい。

 俺がこんな体でなかったのなら、もしかしたらフィアルは俺と二人だけで行きたかったのかもしれない。


 それはフィアルのやさしさでもあり、同時にその気遣いは俺の自尊心を削ぐ行為でもある。





「でも、呼び方も変えないといけないんですか………?私はこれで慣れてしまったのですが……」


 フィアルは、俺とのやり取りの間に割って入ったミーニャのその呼びかけに返した。


「彼の名前はトピアじゃないわ!!アルよ!!それがどこからきたのか知らないけど、別のものに変えて!!」


 フィアルは語気を強めてそう言った。

 しかし、ミーニャはその言葉を違った解釈をした。



「そうですよね……そうですよ!私たちは番いなんですから、ずっと様付けなのは変ですよね!」


 そして――ミーニャは俺に近づくと耳元で言った。



「それじゃあ、これからよろしくお願いしますね!あ・な・た…♡」



 彼女はやけに甘ったるい声で、俺に呼びかける。


 ……いや、その呼び方は普通にやめてほしい。

 俺の代わりにフィアルが代弁してくれた。


「ミーニャ、私たちに付いてくるならあなたはペットなの、もっと立場を弁えたものにしなさい!」


「そんなぁー、これもダメなんですか………?じゃあ………私の主人なんですから。ご主人様でいいですか?」


 そんなにかしこまったようなものは、こちらが気恥ずかしくなる。

 ずっとそう呼ばれるこちらの身にもなってほしい。


「……もっと他の呼び方がいいんだけど………」


 俺が嫌そうに答えると、ミーニャはやや慌てながら次の案を提示してきた。



「それじゃあそれじゃあ!“主様”とかでもだめですか。これでもダメなら、もうトピア様が好きなように決めて下さい!」



「……もうじゃあ、それでいいよ……」


 俺は諦め半分で、即答した。

 まだ、気恥ずかしさが残っている。しかし俺は別に呼ばれ方にこだわりがあるわけでもない。

 ミーニャが言うように、他に何か呼び方の案があるわけでもないので、一先ずはこれで置いて置こう。




「――もう決まった?もうここに留まる理由は無いでしょ?もう行きましょう。私はさっさとこの鬱陶しい森から出たいの」



 俺の呼び方論争を終結させると、フィアルがそう言って来た。


 俺はフィアルとミーニャを交互に眺める。




 結局、ミーニャもフィアルも俺に付いてくることになった。

 すこし形は違ったかもしれないが、それは俺の考えうる中で最善の結果だ。



 そして俺は再びミーニャに抱き抱えられると、俺たちは森の出口を目指す。




 ――森は夜の暗澹を未だに抱えるが、それもあとわずかだ。



 夜明けは――もうすぐそこまで迫ってきていた。

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