69,危機
――なんでだ!?なんでこんなところに!?
細心の注意を払ったのに!付けられている様子も無かったのに……!
何故彼女がこんなところに居るのかなんて、今考えている余裕はもう無い。
片手は門の側面に手を掛け、もう片方には手で持てる灯りを持っているのか、
メイの顔の周りだけが、薄っすらとあかるく闇に浮かび上がっている。
彼女はただ、こちらを唖然とした様子で見つめていた。
が、俺と目が合うと、満面の笑みに変わり、体全体を俺の前に表した。
そして、その笑みを崩さないまま、ゆっくりと俺に向かって歩き始めた。
――なぜだ、なぜ今この場でそんな不気味な顔でしかも、ゆっくりと近づいてくるんだ。
怒りの形相で、勢いよく近づかれた方が余っ程ましだった。
メイは近づきながら俺に笑顔で語り掛けてくる。
「トピア、あなたこんな時間にこんな場所で何をしているの?」
メイは冗談めかしてそう言うが、こちらからすれば全く笑えない。
「――っ…………」
……俺はその問いに無言でしか返せなかった。
だって、この状況でどう答えればいいというのだろうか。
片や微笑ましく語り掛けるメイ、片や怯えた表情しか浮かべない俺――
はたしてこの差は何故発生しているのか。
そんな事よりも、俺はこの場をどう切り抜ければいいのか。
「えっと……」
こう言い出すのが精いっぱいだった。
下手なことを言うと、何をされるか分からない。
後ろの森の道に走って逃げたかったが、逃げたところで丸腰の俺にはどうにもならない。
それに、そもそも足が金縛りにでもあったかのように、震えて動かなかった。
それも全部あのメイの感情全開の笑みを目の当たりにしたせいだ。
やがて俺の目の前まで来ると、立ち止まり目線を俺の高さまで下げて、こちらに語り掛ける。
「まさか、外にでも行こうとしたわけじゃないわよね?」
笑顔の彼女が繰り出す問いは、ほとんど確信めいたものだった。
本来のこの場で正しいメイの表情は訝しがる顔だ。
にも拘らず笑顔という事は、彼女はそれを分かっていて俺を甚振るように質問してくるのだ。
周囲に誰もいないのに、まるで吊るし上げられているような感覚に陥る。
「…………」
…俺は無言を繰り返すことしかできない。
「そうよね、あなたは約束してくれたし、今までに自分の口で言ったことは必ず守ってくれたわよね?」
彼女は優しい声と表情でこちらに語り掛ける。
その細かい言動を突っ込みたくなるが、もう気にしている余裕なんてものは無い。
一瞬、このままなんとなく誤魔化せるか?なんて楽観的な思いが浮かんだが――
「そういえばさっき、前にトピアが言っていた女の名前を呼ぶのが聞こえたけど?あなたの声で」
――そんなことが起きるはずもなかった。
彼女の表情は、笑顔から一変、真剣なものになり真っ直ぐな瞳でこちらに問いかける。
「ねえ?もう一度聞くけど、トピアは屋敷から出ようとしていたわけじゃないのよね?そんな事をしようとしていたわけじゃないって、あなたの口からそう言ってほしいの」
これはチャンスだと、そう思った。
俺はこの言葉を肯定するだけで、この状況を切り抜けることができるのだ。
考える余裕が無かった俺はその好機に飛びつき、よく考えることもせずに彼女のその言葉を反芻するようにただ繰り返した。
「俺は、そんなことをしていたわけじゃない――」
俺はこの時、嘘をつくことに対する罪悪感が一切無かった。
ただ、この場を切り抜けられるかもしれないという一心だった。
――そして、そう。俺は完全に失念していた……
俺の体が、嘘をつけばどうなるかという事を――
――その発作が起こった時、俺は全てを悟った。
激しい頭痛を伴った動悸と、体の中の血液が蒸発するような感覚――
そのあまりの苦しさに嗚咽を漏らし、メイの目の前に無様に首を垂れる。
見上げると噎せ返りながらせき込む俺を、メイはただ黙って見下ろしていた。
そのメイの顔は、怒りなのか、悲しみなのか、はたまた憎しみなのか、とにかく不快で居心地の悪そうな表情をしていた。
「メイ!違うの!これは……」
俺は慌てて、何とか苦しくも弁明するが、ここまで来るとどうにもならない。
進退窮まるこの状況ではもう手の施しようがなかった。
間違いなく絶体絶命――だった。
メイに散々咎められて、怒鳴られて、また過去につけられた心の疵が抉れるかと思うと、体が恐怖で震えた。
そう、結局俺は今も、怒鳴られるというトラウマを克服できていなかった。
辺りの暗闇も俺の恐怖を加速させる要因になった。
でも――そんな俺を見たメイはというと――
――地面に這いつくばっている俺を立たせると、そのまま正面から抱きしめた。
そして、耳元で囁くように言ってくる。
「ごめんね、全部あたしが悪いの。あなたをこんな風にさせてしまったあたしが、あなたはなにも悪くない。そんなに怯える必要ももう無いわ…」
突然の急展開に、何が起こったのか。訳が分からなかった。
そして、俺には有無を言わさずに、口元に布が当てられる。
発作で過呼吸になっていた俺は、酸素を求めて、さらに激しく呼吸を繰り返す。
彼女はそのまま、俺に一言…
「もう夜も遅いから、ね?――もうおやすみなさい」
俺はその言葉を最後に意識が徐々に途絶えた。視界が溶暗し、そのまま脱力する俺はメイの体にもたれ掛かる。
しかし、彼女は俺の意識消失後にこう続けた。
「……でもまあ、約束を破った罰は受けてもらうけどね………」
◇◆◇◆
――気絶するように意識を失って、またいつの間にか朝になっている。
俺はこの世界で、何度同じ起き方をすれば気が済むんだ……
気が付くとここ三日程よく見ていた天井が見える。
…体が重い。有耶無耶な意識の中、起き上がり体の下の方に目を向ける。
そこにはなぜかメイが居て、俺の体に覆いかぶさっている。
そして、どうしてだか俺は上の服を着ておらず、簡素な下着しかつけてなかった。
――だが、そんなことが気にならなくなるほどの、出来事が起こっていた。
それは、メイが俺の体に被さっているのを見て、訳が分からず慌てた俺はそこから這い出ようと思った。
ベッドの背板に手を伸ばし、掴んで体を引き寄せようとしたが――
だというのに――どう考えても、掴める範囲にあった背板がどういう訳か手で掴めなかったのだ。
その違和感とともに、普段の行動の範疇では決して起こりえない、謎の感触が腕の手首のあたりに残る。
その二つの違和感。俺が謎の感触があった場所を、見ると――
――そこには、俺の腕の先にあるはずのものが、…………無かったんだ。
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