70,交錯

 


 ――これは、何かの悪い冗談だと思った。



 トピアが私と交わした約束を破るだなんて……


 かつての頃、彼が自分で言ったことは必ず守る主義だった。無論、約束事も然り――

 なのにどうして――


 いや、もう最初から、彼がこの屋敷で初めて目覚めたときから歯車は狂っていたのだ。

 消したはずの記憶が消えていなかったり、彼の元の名前を用いて周囲からの存在を消したのに、効果が無かったりしていた。


 人格も多少変質していた。でも、彼は昔のまま約束を理由もなく破るような人ではないと思った。



 ――でも彼が約束を破ってまで外に出た原因は何だ?



 それはもしかしたら私なのだろうか?


 無理やり、屋敷に連れ帰ったこと?薬を何お断りも無しに飲ませた事?彼の知りたいことを話さなかったから?


 これらは全部あの時の彼に必要だったことだ。

 彼が全てを知った時、間違いなく彼は私に感謝してくれるだろう。


 例え今受け入れてくれなくても、いつかは私の行動を分かってくれると信じている。




 …私が飲ませた薬の影響で発作に苦しむ彼を見た時、私は目の前が文字通り真っ暗になった。

 彼が発作が起こるのを分かっていて、それでも私に嘘をつこうとした。何故そうまでして?


 そしてその後、地面に膝を屈する彼がこちらを見上げて、何かを訴えかけていた。

 その時の彼は私を見て体を震わせていた。


 何故だ?何故、彼はこんな風になったのだ?



 そして何より許せなかったのは、トピアが私以外の女の名前を呼んでいたことだ。


 何で?どうして私ではなく、他の奴なんかを………

 私の事は思考の片隅にも無いっていうの?


 何で……?




 ――ああ、これも私のせいか。


 私が彼に認められなかったのが原因だ。

 では何故、認められなかったのだろうか……




 ………分かった。それは、彼が私を必要としていないからだ。


 どうすれば彼が私を認めてくれる?私を必要としてくれる?頼ってくれる?守らせてくれる?



 ――どうすれば私を………私を………、好きになってくれる?


 

 言葉で言い表した方がいいのだろうか。

 もちろんその方が彼には伝わりそうだが、どうしても羞恥心の方が先に出てしまい、ついあべこべな事を言ってしまう。


 でもそんなことを思ってあやふやなままで居て、彼が私の元から離れて行ったのを忘れたのか?

 もう、二度とあんな思いはごめんだ。

 時間だけは沢山あるんだ。ゆっくりと彼との愛を育んでいけばいい。





 そしてそうか、――そうだ。彼を何もできない様にしてやればいい。


 彼の生活すべてに私が介入しなければ、生きていけない体にしてやればいい。

 そうすれば、彼は私だけを必要としてくれるし、私だけを見てくれる。

 これは、彼の為だ。彼がまた狂ってしまわないように………


 そう、これは彼への罰であり、同時に私の責務なんだ。



「大丈夫、トピア!あなたに“手足”なんかが無くても私が一生、あなたの傍に居てお世話してあげるから――」



 ◇◆◇◆




 ――これは、何かの悪い冗談だと思った。



 俺の右手の………手首から先が――



 …無かった。



「――うああああぁぁぁーー!!??」


 絶叫を上げ、慌てていて本能的に手首を押さえようとでもしたのだろう。


 左手で、右手首を掴もうとしたが………それすら掴めなかった。なぜなら――



 ………無いのだ………、


 左腕の先も――



「――ああ………、ああ」



 何も現状を理解できなくなり、いや理解しようとしなくなった。

 今まで、人生で一度もこんなことまでは無かった。見慣れ切っていて当たり前のものがそこには無かった。

 脱力し、ベッドの端に居た俺は、メイの拘束から自然と逃れ、床にうつ伏せに流れ落ちる。


 しかし半ば放心状態でも、無意識に何とかその場から立ち上がろうとする。

 でも立ち上がろうとした俺に更なる絶望が突き付けられる。


 うつ伏せの体勢から、膝を体の前に持ち上げて、地面に膝を立てる。




 ――その時だ。まるで上り階段を一段勘違いして、空気を踏み抜いたような感覚があった。

 そして次の瞬間には、脚の先に違和感のある衝撃が来て、体の芯に響くような激痛が俺を襲う。


 はじめは、手が無くてその辺のものを掴めず、支えにできないからバランスを崩したのかと思った。

 でも、違った。そんな安易なものではなかった。


 激痛に表情を歪ませ、痛みの根源に目を遣る。



 そこには、あって然るべきものが………、やはり無い。


 まさかと思って、反対側の脚先を確認した。

 そこにはあるはずの足首より先が、無い事が当たり前とでも言うように存在していなかった。



 ――何だ?何が起こっているんだ?俺はどうなってしまったというのだ?



 声を上げる気力すら湧かず俺は、静かにベッドの脇の床で座り込む。


 腕や脚の欠損部分が何処かに当たっていると、体全身に痛みがはしる。

 例え当たっていなかったとしても、患部だけは慢性的に痛い事に今気が付いた。


 そしてなるべく床に脚先が付かない様に、でも楽な姿勢で横たわった。

 しばらくの時間が経ち、この異常な現状のせいで起こっていた興奮から段々と冷めてくる。




「――あれ?トピア?どこに行ったの?おかしいな……?勝手にどこかに行けるはずないのになぁ………」


 その言葉を聞いて、俺の体がこんなことになっている原因が分かった気がした。。

 彼女はベッドの上からこちらを覗き込むと、昨日の夜と同じような満面の笑みを俺に見せる。


「あっ!みつけた!そんなところに居たんだ!だめよ、私の目の届かない所に行ったら……」


 俺はそのメイの顔をしたから見上げて問いかけた。


「これは、………メイがやったの?」


 この状態では聞くのすら億劫だが、確認だけはしておきたい。



「だって、それはあなた自身の行いの結果よ。自分で約束したのに、それにあたしからも何度もお願いしたのに。だというのにあたし以外の別の女と結託して約束を破ろうとしてたんだから。いいえ、門の一歩外に居た時点で、既に約束を違えていたわよね?」


 メイは優しく俺に語り掛けるようにそう話した。

 俺はその言葉を聞いてとうとう我慢できず、怒りを露わにする。



「――ふざけるな………!いくら約束を違えていたところで、俺がこんな体にされる筋合いはないだろ!こんな事できるなんて明らかにお前の頭は異常だろ!?」


「――あれ?手足を根元から切り落としてほしかったかしら?いまからでもそっちにした方がいい?」



 俺の暴言に機嫌を損ねたのか、脅しをかけてくる。

 その優し気な笑みを向ける彼女を見て、思わず目を背ける。


 さすがに、そうはなりたくない。

 今でもこの体では行動がかなり制限されているというのに、そんな達磨みたいな状態になってしまったら、もうそれこそ寝返りすら打てない。



「――いいわね。殊勝なのはいいことよね」


 彼女は、俺をそんな様子を見下ろしながらそう言う。



 だいたい俺がフィアルたちとこっそり意思疎通していたことを、なぜメイが知っているんだ?あのメモだって細かく破り捨てたというのに、

 そして、その疑問と同時に恐ろしい可能性が垣間見えてしまった。


 俺のそんな、悪夢のような可能性を考えているというのに、彼女は構わずにそして、改まったように続ける。


「あたしはね、あなたを心の底から信じていたの。こんなことは絶対しないって。あなたはあたしをどう思っているかは知らないけど、少なくともあたしはあなたに絶対的な信頼を寄せていたの。なのに………」



 お前なんかからの、そんな一方的な評価なんか俺の知るところではない。

 しかもそれはお前が俺に勝手に抱いていたことだろう、と言ってやりたかったが俺は今のこの体ではこれ以上は何もできやしない。

 ただ、精々黙ってメイの笑みを睨み続けることしか出ない。


「だから、これはあなたが約束を破ったのと同時に、私からの信頼を裏切った罰よ。それと同時に、これからは約束を絶対に守れる体にしてあげたの」



 確かにこれなら、そう屋敷から出て行くことは困難だ。

 でも、こんなことしなくたって、他に方法がいくらでもあるだろう。


 そしてあい分かった。彼女はもう人間ではない。

 あの約束をどのように解釈したら、そのような非人道的な行為を行って、しかもその相手にあんな笑みを見せられるんだ。

 もはや、それは狂人を超えた域だろう。


 どうして俺をそこまでしてこの屋敷に縛り付けておきたいのか謎で仕方がない。



 でも、彼女にも最低限以下と間違いなく言えるが、良心が残っていたのかもしれない。


「でも、トピアは一つも悪くない。あなたがそんな行動をとったのだって、全部あたしの責任、あたしがあなたからの信頼を得られなかったから――

 だから、これからは、あたしがずっとあなたの傍にいて、あなたの為に身の回りのことを何でもこなしてあげる。あなたの望むことも今まで通り、できる限り叶えるから。あなたはあたしの傍にずっと居続けてくれるだけでいいから」



 それは果たして良心と言えるのだろうか。

 独りよがりの利己的な思考ではないか。


 そして、さしあたってメイは俺にこう切り出した。


「何かあたしにしてほしい事はある?」



 俺はその質問にすぐさまこう答えた。




「――さっさと部屋から出て行って、二度と俺に顔を見せるな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る