67,前準備

 


 ――今俺は途轍も無く運がいい。前世でもこんなに運に恵まれたことは無かった気がするほどだ。



 全てが俺の予想通りだ。四つ折りにされた紙のメモを開き内容を見た時、それを確信した。

 メモにはこうあった。



『門の前で待つ』



 短く単純な文面、まるで本に使われているかのような綺麗な字だった。


 門というのは、おそらくこの屋敷の敷地の協会にある門の事だろう。

 自分の寝室は二階なので、そこからは庭園の奥に佇む大きな門の姿が良く見える。

 そこにフィアルたちは正に今も潜んで俺を待っているという事だろうか。



 ともかくこの部屋にあり、枕元に隠されるように置いてある点、

 そして極め付きはあのフィアルの短く切られた空色の髪が、何本か紙に添えられている。


 その上でこの文面、これは間違いなくフィアルが書いた文字だろう。

 ミーニャの書く文字は見たことがあるが、ここまで整然としたものではなかった。



 やはり俺の予想は合っていたのだ。

 初めからずっとフィアルたちは俺を裏切ってなどおらず、何かしらの理由があって先に屋敷を後にしたのだ。


 メイから聞いた話によると、フィアルたちは屋敷から退去することに抗議する様子もなくここから出て行ったようだ。

 反抗するよりも従順に従った方が、メイの油断を誘えると思ったのだろう。


 そして、俺がここを探すことを予見して、分かりやすい所にメモを残したのだろう。

 ここまでの考えはおそらくフィアルも思考と完全に合致している。



 …ここまでは全てうまくいっている。

 フィアルたちの考えを窺い知ることができて、俺は安堵している。

 愛想を尽かされたわけではなかったんだ。



 ただ問題がいくつかあるのも事実――


 今すぐ門まで行くのは問題ないが、メイが果たしてそう易々とそれを許してくれるかどうか。


 まあ無理だろう。すぐに見つかって、しかも監視がより厳重になるだけだろう。

 メイの目を盗んで夜中にこっそり行こうにも、おそらく俺は例の現象で夜に起きていられないだろう。



 問題はまだある。


 あの大きい門は常に固く閉ざされていて、前に近くで見た時は叩いてもびくともしなかった。

 よじ登ろうにも、門の表面には掴めるような凹凸は無く、それは周囲の壁も同じだ。


 例え外に出られたとしても、そこからの森の出口まで急いでも歩いて二日は掛かる。

 一方、メイは馬車で使われていた馬を有している。

 そして次の朝には俺が屋敷に居ないことがメイに知られてしまうだろう。

 果たして森の途中で追いつかれたりはしないのだろうか。


 いや、きっと俺には思い浮かばないような策があるのだろう。そう信じよう。



 そして最後の立ちはだかる問題。

 いやこれは一番初めに考えるべきだった。


 俺は本当に屋敷から出る資格があるのか。


 俺はメイと約束を交わした。そしてメイはそれを履行してくれた。

 それなのに俺が一方的に約束を破っていいのだろうか。



 いや、良心が痛むことには変わりないが、メイの行動はやはり異常なところがある。

 勝手に薬を飲ませることも、大事な事を話してくれない所もそうだ。


 そう、今はただ時間が必要なんだ。そして、外に出れて落ち着いたらメイともう一度話し合おう。

 そうすれば、メイも俺の現状の不満を分かってくれるはずだ。

 このままではフィアルの行動も無駄になってしまう。


 自分でもまだ完全に吞み込んだわけではないが、俺はそう思い込むことで俺の行動を合理化した。



 そうと決まれば行動は早い方が良い。

 フィアルもずっと門の外で待っていられるわけではないだろう。


 もう今日の夜にでも、門に行って様子だけでも見に行こう。

 そうなると、まず初めに来る問題は夜起きていられるかどうか。

 でもこれは、簡単に回避できる。それは夜の食事を取らなければいいのだ。


 メイには怪しまれるだろうが、食欲が無いなどと言えば食べることを避けられるだろう。





 自分の部屋に戻った俺は、夜に備えてベッドで眠ることにした。勿論あの部屋で見つけた服も持ってきている。

 朝起きるのが遅かったので眠れなかったが、それでも無理に眠った。



 そして、気が付くと夕方だった――


 結局あまり眠れなかったが、それでも寝ないよりはましだろう。




 ――起きてしまったので、しばらく部屋で考え事をしていると扉からノックの音がした。



「トピア、夕餉の支度ができたから食堂に来て――」


 メイはやはり俺の予想通りの事を話した。

 その声はあまり覇気が無く部屋に入って来ない所をみると、昼間の事がかなり影響を与えているようだった。

 しかし、俺は今夜のために、食事を今するわけにはいかない。


 扉越しでメイに聞こえるようになるべく大きな声で言った。



「――ごめん、食欲が無いから今日はやめておく」


 …もう少し、



「…………そう……食べたくなったら食堂に来れば、いつでも料理を用意しておくから」


 体調を心配されるかと思ったがメイはそれだけを言い残し、それ以来扉越しの声は聞こえなくなった。

 まあ、妙な間はあったが、現状怪しまれている様子もないしどちらにせよ好都合だ。




 ――そして俺は外が暗くなるのを待ったのだった。

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