6,食堂に至るまで



 声をかけられて部屋に人が入ってくると思ったので少し身構えたものの、声の主は一向に部屋に入ってくる様子はない。

 そのままでは埒が明かないので俺はベットからゆっくりと起き上がる。

 寝具の床にそれは隠れるようにあった。それはレースで装飾された布スリッパのような履物だった。


 それを履き、床に足を付け部屋の端に置かれた寝具から真反対にある部屋の出入り口に向かう。

 両開き扉の片割れの取っ手に手をかけ、部屋の壁や床と同じような装飾が施された重い扉をゆっくり開く。すると突然、メイドのミーニャが扉の隙間から頭を突っ込んできた。


「ひっっ!?」


 いきなりの出来事に俺は頓狂な声をあげ、一瞬で後ずさる。

 さっき顔を合した者とはいえ、獣人というものに俺はまだ見慣れていない。

 しかも、犬がじゃれるかのように本当に突然、首だけで目の前に現れたら誰だって驚くだろう。


 そして、俺が後ずさって手を離したことにより、手の支えを失った扉がゆっくりとだが閉じられる。

 それは、開かれた扉の隙間にあった物体を挟む。


「ぎょわわわぁーーー!?!?」


 重い扉に挟まれたその物体から悲鳴というには間の抜けた声が出る。

 後ずさった俺を丸くした目で見ていた瞳は次の瞬間、円形からは歪んだものになっていた。

 俺は慌てて扉に駆け寄り今度は扉本体に手を掛け、全力で引っ張る。


 犬の生首は扉に隙間ができると同時にゆっくりと落下していく。

 扉を途中まで開ききり恐る恐る目をやるとそこには扉の真横で床に膝と両手を突き、呼吸を整えているミーニャの姿があった。


 しばらくその光景をたたずんで見ることしかできなかった俺を尻目にミーニャはゆっくりと立ち上がり、うつむいたまま自身の黒い服を軽く手で払う。

 深く一呼吸をしてミーニャは顔をあげると同時にこちらに向かって言った。


「もー!どうしていきなり扉から手を放すんですか!?私の頭と胴体がお別れする感動の瞬間でも見たいんですか!?」


 眉をひそめてミーニャは言う。

 冗談めいた声色と文脈だが、実際にないとも言い切れないあたりが怖い。

 かつて仕事を失敗するたびに上司に怒鳴られていた俺は癖で身構えてしまったのだが、ミーニャはそんな怒った様子でもなかった。


「ご、、ごめんなさい…」


 元はといえばいきなり覗いてきたミーニャにも非はあると思うのだが、此方に1でも非があるならまずは謝罪するべきだろう。

 俺は幼い声ながらも謝罪の意を込めた表情で言葉を発する。

 すると、彼女は突然我に返ったような顔をしたかと思うと慌てた様子で言った。


「いやいや!?冗談ですよ!冗談!場を和ませようとしただけです!」


 まるで何かに取り憑いかれたように、どこか危機迫る表情でミーニャは取り繕う。

 冗談といった割には物騒な内容だったが…

 彼女の手のひらを返したような変わり身ぶりに違和感を覚えつつ、俺はそれに応える。


「いえ、あなたに怪我が無くて良かったです。」

「なんていい子…」


 俺がそう告げると、ミーニャは感嘆して小声ながらもそう言った。

 俺を神と崇めるかのように潤んだ瞳をこちらに向けてくる。

 それに居心地の悪さを感じていると、ミーニャはまた慌て始め思い出したかのように言う。


「そう!忘れていました!トピア様!ご飯!ご飯ができましたよ!」


 これ以上ないほど慌てたミーニャは、先程ベットの上で聞いた恭しい言葉が今では見る影もないものになるほどだった。


「お嬢様はもういらっしゃってます!!時間があまりないので失礼します!」


 咄嗟に彼女は俺の背中と膝裏にそれぞれ腕を持ってくると、俺がお姫様抱っこされている格好になるよう持ち上げ、口からそう言い放った。


 アニメだったら『びゅーーん』という効果音が付きそうな速度で彼女は廊下を走り抜ける。

 俺は一瞬何が起こったか理解できず、刻々と変わる壁の装飾と窓を唖然として観ていた。

 窓からは朝日が覗いていた。

 ミーニャが廊下を曲がる度、俺の体にGがかかり髪の毛が遠心力と振動でぐしゃぐしゃになっていくのが分かる。


 俺が使っていた寝室からご飯の部屋まではずいぶんと距離があるらしく、しばらく間があった。

 メイスザーディア様はこの屋敷を別邸だと言っていた。

 それでもこんな広い物なのか、などと今の状況に理解し始めた頭で考える。


 そして、担がれて運ばれる途中、俺はある一点しか目に入らなくなった。

 俺の膝のすぐ隣にある手、それはミーニャのものだ。

 その手にある黒いものの存在は、俺の目を輝かせた。


 それは、数ある動物の中でも一部の選ばれたものしか持たないと云われる宝の一つ。



 肉球だ…!


 ゆっくりとその手についている宝に手を伸ばす。

 片手で軽く押してみるとそれは猫の肉球よりはやや硬いものの決して不快な硬さではなく、程よい心地よい感触だった。

 その低反発な触り心地を堪能しているとミーニャが声をあげて立ち止まった。


「ト、トピア様!?あ、あの手が、、、手がくすぐったいのでやめていただけませんか?」


 懇願するように言い、俺が気づいてパッと手を離すとミーニャは一息ついて落ち着いた声で続ける。


「目的地に着きましたので、ここからはおひとりでお進みください」


 ミーニャは俺を腕から降ろすと扉の前へ俺を手で導く。

 この先に先ほど会ったメイスザーディア様がいるのであろう。


 俺はごくりと唾を飲み込んだのだった。

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