7,食堂前にて



「ああっ!!」


 これから扉の先で対面するであろう屋敷の主とのことを考えて心の準備をしていると、後ろから素っ頓狂な声をあげられたので、俺は気がそがれてしまう。

 後ろを振り返るとミーニャが両手を頬にあて、声をあげた口の形のまま立ち尽くしていた。

 その顔は体毛で覆われ表皮は見えなかったが、顔が青くなっていってように見えた。


「トピア様!なんなんですか!?その頭は!?」


 驚愕の表情をしたミーニャに言われて自分で頭を触ってみる。

 すると、俺の視界から髪の毛は見えないものの頭にある髪の毛が鳥の巣の如く、刎ね散らかしているのが手の感触から伝わってくる。

 その感触は自分が思ってたより、少なくともかつての俺の頭髪よりは細く柔らかい頭髪のものだった。

 先程、抱えられて縦横無尽に廊下を走り回ったせいであろう。それほど彼女の走りは荒々しかったのだと思う。


 その身体能力は獣人故か、またはこの世界の能力基準が高いのか、どちらにせよこの世界の情報の手掛かりがまた少し増えたのは僥倖だと、前向きにとらえようではないか。


 そんなことを考えている俺とは対照的にミーニャは三度みたび慌て始める。


「どうしましょう!こんな格好でトピア様をお連れしたとあっては私がお嬢様に怒られてしまいます!なぜそんな髪型にしてしまったのですか!?トピア様!?」


 ミーニャがなぜ慌てだしたのかは理解したが、その原因が自分にあるとは思っていないようだ。

 俺が言い訳もとい、自己弁護するべく口を開こうとするが、ミーニャが続けざまに捲し立てるので俺はその機会を失う。


「ああっ!どうしましょう!どうしましょう!……

 ああっ!そういえばこれがありましたわ!」


 ミーニャは口で慌てふためきながらも手を後ろの腰へまわし、それを取り出した。



 それは!!……


 ミーニャが腰から取り出したものは俺がかつて日本に居た頃、実家で見たことがあった気がした。

 さすがに日本にあるものと全く同じではないだろうが、少なくとも俺はそれだろうと思った。

 それは絨毯を掃除する時に使用するカーペットブラシであった。


「動かないでくださいねーー、すぐ終わりますからねーー」


 そう子供をあやすかのようなやさしい声で彼女はゆっくりこちらに近づいてくる…

 しかし、その目はまったくやさしそうなものではなかった。


 メイドなら屋敷の掃除もするだろう。そして、この屋敷にも敷いてある絨毯を掃除したであろうブラシをこいつは俺の頭に着けようというのだ。

 俺は潔癖症ではないが、それはさすがにちょっと引く。


 俺は数歩後ずさろうとして、背中に扉の取っ手が当たる。

 すかさず俺は取っ手に手を掛け部屋の中に逃げ込もうとするが、彼女の身体能力はやはり高いらしく、俺は扉を動かすことすらできずに彼女の体に引き寄せられる。


「身だしなみを整える前に部屋の中に入ったら、私がお嬢様に怒られてしまうと言ったではありませんか!」


 私をそんなにひどい目に合わせたいんですか!?と彼女は続ける。

 ミーニャのその瞳は潤んでいて、もはや泣きながらそして震え上がっている


 ここの主はそんなに怖いのか……?

 先程あの寝室で冗談を言っておどけていたミーニャとは別人のようだ

 俺もこれからその主に合わなければならないのだ。先程言葉を交わしたときはそんな印象は受けなかったのだが、覚悟を決めねばなるまい。


 ここまで体を震わせて懇願するように言われたら、そしてミーニャが泣くほどの主に怒られることを考えたら俺は抵抗する気がそがれてしまった。

 俺はそんな彼女を見て何も言えなかった。

 彼女はそれはもう今まで見たことないくらい泣きじゃくっていた。



 それからミーニャは俺が抵抗する気が無いことが分かると、無言で俺の頭にブラシをかけ始めた。

 女性を不本意だとはいえ、泣かしてしまったことに俺の中の良心が痛む。

 頭皮の感触から想像するには、随分柔らかくそしてキメの細かいブラシだなと感じつつも、やはり埃を掃除したものを頭に着けられていると思うと不快感はある。

 手早いブラシ捌きは彼女がやはりメイドで普段から主人の身だしなみを整えているであろうことが窺える。


「おわりました……」


 ものの十数秒で頭髪を整えてくれたミーニャはうつむきながら落ち込んだような雰囲気でそう言った。

 その様子を見て、何者かに良心が咎められているようで心が締め付けられる。


「ごめん……ありがとう…」




 ミーニャにつられて俺も声のトーンが下がる

 女を泣かせておいて、こんな言葉しか掛けられないようだと男として失格だろう。

 しかし、不甲斐ないことに俺はそんな言葉しか口から出てこなかった。


「…いえ、メイドとして当然の行いをしたまでですよ……」


 やはり彼女はうつむきながら言葉を発する。


「お手数をお掛けしましたことお詫び申しあげます。」


 彼女は手でドアを開け放ち、力なく言った。


「では、どうぞ中にお入りください…」


 彼女の様子を見て俺はその言葉に従うしかなかった…

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