第六九話 旧友との再会(三)


「……た…い……ちょう、……隊長! 大丈夫ですか?」

「あ、いや、申し訳ない、少しぼーっとしていたようだ」


 報告をしていたクローが。怪訝な表情を浮かべ首を傾げている。


「あのジジイの薬のせいかな」

「もし体調が悪いのであれば、明日にしますが」

「いや、大丈夫だ。進めて欲しい」


 なぜ、今頃になってあの時の事を思い出すのだろう。最近では、すっかり忘れていたというのに……。ああ、傷が痛む……。


 アウグスタは、左顔に付いた傷痕が疼き、右手を当てた。


「何処からですか?」

「カリウスやインゲルス、それにこの二人の話は聞いた。私が気を失った後だ。オレウス殿やソフィア殿、それにあの巨狼は?」


 巨狼の事を思い出すと、底知れぬ恐怖に襲われた。申し訳ないが、助けてくれたオレウス殿やソフィア殿の安否よりも、その恐怖が強い。でも聴かなくてはならない。それが、役目なのだから……。

 私の恐怖を案じてか、ルシアがベッドの端に座り、私に身を寄せてくる。その温かさが恐怖を氷解しているようだ。

 右手をルシアの背に回し、彼女の温かさから勇気を貰うように華奢な肩を引き寄せた。あの護られてばかりだった妹は、いつの間にか私よりも強くなっていたようだ。

 私は決意を胸に、クローへ促した。


 ◆


 やっと追いつき、私はオレウスの隣で馬を止めた。

 倒れている隊長の側へ直ぐにでも駆け寄りたいが、そんな隙を見せればどうなるかは想像もしたくはない。微かに動きがあるので、息はあるらしい。しかし、予断は許さない状況だろう。平原を見やるとボックスたちの荷馬車も停止し、こちらを窺っている。


 目の前の隻眼の狼は、恐ろしく大きい。これほどの大きさの狼は、今まで見たことが無かった。だが、不思議と恐怖は感じない。いつでも動けるように、力を溜めていく。

 その力を剣へ移動させようとした時、こちらを向きもせずオレウスは、右手を私の前に出しそれをやめさせた。


「グーガ、これくらいで手打ちにしないか? キミを殺すつもりはないし、これ以上彼らを殺させない」


 いつもと違うオレウスの声は、ゾッとするほど低く静かで威圧感がこもっていた。

 グーガは、その威圧感に気後れしたのか、ズリズリと後ろへ下がり間合いをとると、遠吠えを放った。すると平原に散らばっていた狼たちが、こちらへ向かって来る。


「オレウス! どうする!」


 このままだと囲まれてしまう。だが、オレウスは動こうとせずに、こちらを向いて片方の口角を吊り上げニヤリと笑った。

 そうこうしているうちに、狼たちは我々を取り囲むように集まってきた。


『フン、ルクスの奴隷如きに、我が相手をする事もあるまい』

「やれやれ、偉くなったものだね。それでボクに勝てると思っているのかい」

「お、おい、オレウス」


 狼たちに囲まれ、私は焦っていた。黒狼とは違い、紫色の狼は段違いに強く感じる。私では、一頭を相手にして勝てるかどうか。そんな状況なのに、オレウスは平然としていた。


「どうだい、ソフィア?」

『ふむ、あと少しで、全員範囲内だ』

「分かったよ。《同期》するから準備をしといてね」


 何やらオレウスとソフィアは、小声で会話をしている。辛うじて聞き取る事ができたが、この窮地を脱出できる対策があるのだろうか。今更ながら、彼らがどんな能力を持っているのか知らない。まぁ、聞いたところで、理解できないだろうが……。


『大人しく降るがよい。さすれば、苦痛のない殺し方をしてやろう』

「クククッ、勝った気でいるのかい? 《屍肉漁り》の分際で」

『お、お前ら――! 簡単に殺すなよ! 我を侮辱した報いを与えてやれっ!』


 こんな状況なのに、蔑む笑いを浮かべて、オレウスの挑発は止まらない。《屍肉漁り》とは、何の事か分からないが、グーガの激昂ぶりから見て、狼族にとって最大の侮辱なのだろう。

 オレウスには止められたが、襲いかかって来る狼を向かい撃つために戦闘態勢をとった。しかし、剣に力を込める時間は無かった。


「今だ!」


 オレウスがソフィアの首を叩くと、額から生える水晶のような美しい一角が白い輝きを放ち、光芒が空へ昇っていく。それは、急速に雲を呼び辺りが暗くなると、雹混じりの冷たい雨を降らせた。それは一瞬の出来事で、雹は襲いかかって来る狼に礫のように降り注ぎ、翻弄していた。


『そんなこけ脅しに、何をしておる! さっさと仕留めんか!』

 

 グーガは、攻撃を躊躇し逃げ惑っている狼たちを威圧感する。しかし、グーガよりも小型な狼たちにとっては、かなりの痛みがあるのだろう。それは、ソフィアが操作しているのかもしれない。我々には当たらず、狼たちへ的確に降り注いでいるのだ。

 辺りが急激に明るくなった。空を見上げると、拳くらいの小さな白く輝く球体が浮かんでいる。その球体に対して、ソフィアの力が注ぎ込まれている。


「何だアレは?」


 私は、驚いて思わず呟いてしまったが、どうやら狼たちは雹に追われ、それどころではないようだ。オレウスを見やると悪意に満ちた笑顔が目に入る。


 何だ? 何をしようとしているんだ?


 白い球体は、ヒト族の頭くらいの大きさになると……、弾けた。無数の破片が辺りに飛び散り、それらは細長く紐状の物に形を変えて狼たちに襲いかかった。

 雹に行く手を阻まれていた狼は、逃げる事ができず身体に巻きつかれ、拘束されていく。それは、グーガに対しても同じ事だった。


『グッ、何だコレは!』


 グーガは、振り落とそうと暴れ地面に擦り付けたが、輝く紐は蛇のようにウネウネと動き、次々と絡みついていく。


「それはねぇ、《拘束する閃蛇》って言うらしいよ。残念だけどキミが抜け出すのは難しいね」

『こんな……! いや、あり得ない! こんな理力の使い……グァ!』

「無駄な事を、そいつらは理力に反応すんるんだよ。だから理力が強ければ強いほど巻きつかれるよ。まあ、今更かな」


 だから力の発動を止めたのか。私も主人モーリアンの祝福で力を使えるようになっていた。そのまま使っていたら、私も同じように拘束されていたかもしれない。

 

 グーガは、肉体強化を施し抜け出そうと試みていたが、さらに多くの《閃蛇》に絡みつかれてしまった。もう、あれでは身動きもできないだろう。辺りを見渡すと、生きている狼は全て捕えられたようだ。


 ……雪?


 ホッとしたのも束の間、銀色の粒が降ってきた。まだ、季節は夏のはずなのだが、急激な気温の低下に身が震える。再び空を見上げると、分厚い雲から滲み出るように、空一面を覆うほど巨大な意匠が湧き出てきた。それは模様でもあり文字にも見える。ヘルクラネイムの神殿にあった、蔓草模様に似ている。

 それは、円形を描いており、ゆっくりと回転しながら降りてきた。完全に雲から姿を現すと降下を止めたが、振りちる銀色の粒はますます増えて、霧のように視界を悪くさせた。

 空中に浮かぶ意匠から《閃蛇》よりも巨大な触手が、《閃蛇》に拘束されて踠いている狼たちを絡みとっていく。


「もうちょっと、ボックスを揶揄からかって遊びたかったんだけど、どうやらお仕事の時間らしい。あまり遊んでると怒られるからねぇ」

「お、オレウス!?」


 すぐ側に居たはずのオレウスとソフィアの姿が、霧に溶け込むように薄れている。


『ヒト族の小僧よ。其方の力は其方に不幸をもたらす。ゆめゆめ使い方を間違えなきよう心せよ。コレは警告だ』

「今度は、コロンで会おう。じゃあねぇ〜」


 そう言うと、オレウスとソフィアは銀色の霧に溶け込むように消えた。同時に、拘束されていた狼たちも消え失せた。

 何事も無かったように夕焼けが風景を赤く染め、残った死体が、夢ではない事を示していた。

 

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