第六七話 旧友との再会(一)

 柔らかな陽射しが、顔の半面を優しく照らしていた。

 時折、くすぐる様に爽やかな微風が、小鳥たちが奏でる音楽を乗せている。その心地良さに誘われて、夜の世界が終わりを告げる。


 彼女は、目を開けると見慣れない石の天井が見える。


「わ……たし…は……、こ…こは……」


 思った以上に、声が出ない事にアウグスタは驚いた。喉が渇ききって、声が出せないのだ。何か飲み物はないかと視線を巡らせると備え付けの袖机の上に、陶器の水差しとコップが置かれていた。

 起き上がって水差しを取ろうと身体を動かすが、全身に痛みが走る。痛みが引くのをしばらく待ってから、右手で取ろうと動かすが、右手が動かない。まさか、と血の気が引き少し焦ったが、手のひらの感触は感じていた。

 ホッと落ち着いてみると、どうやら右腕の上に何かが乗っかっているようだ。そちらに視線を移すとよく知る艶やかな黒髪が見えた。

 幼少の頃の彼女は、アウグスタのベットに潜り込んでは、何処へも行かせないとばかりに右腕に抱きついて眠っていた。さすがにそんな歳ではなくなったが、こうしてアウグスタの右腕を枕がわりに寝ている彼女を見ると、あの頃を思い出して口元が緩んでしまう。


「う、ぐっ……」


 彼女を起こそうと左手を伸ばすが、ガチガチに添木と包帯で固定されていた。代わりに激痛が襲ってくる。アウグスタが痛みに悶絶していると、彼女もその気配で目が覚めたようだ。


「うん〜、ん? お……ねぇ…ちゃん……」


 彼女は、目を擦り口元を拭いながら身を起こしてぼんやりとしていたが、アウグスタが苦しんでいる姿を見ると完全に目を覚まして悲鳴をあげた。


「うぁ、た、大変だぁ! みんなぁ〜、来てぇ〜。いや〜! せっ、せんせ〜い!」

「い、いや、落ち着け、ルシア! 頼むから声を抑えてくれっ」


 痛みはなんとか我慢できるが、起き抜けにルシアの甲高い叫び声は頭の芯に響く。ルシアの頭を優しく撫でてやると彼女も落ち着きを取り戻した。


「をごっ!」


 落ち着きを取り戻したかと思いきや、ルシアは瞳を潤ませるとアウグスタの豊かな胸に頭から飛び込んだ。それは頭突きと呼んでも良いだろう、アウグスタの折れた肋骨に深刻な痛みをもたらした。さすがに怒りが湧いたが、医療服の薄布が濡れていくのが分かってやめた。それと同時に、ルシアの嗚咽が聴こえたからだ。彼女を抱きしめて背中を優しくさすってやる。気が治るまでそのままにしていた。


「……だから」

「え? なに?」


 泣き止んだルシアが何かを言ったが口籠っていて、アウグスタは聞き損じてしまった。

 ルシアはガバリと顔を上げる。真っ赤に腫らした目は潤んでいたが、柳眉は逆立っていた。


「本当に! 本当に心配したんだからね! 死んじゃったのかと思ったんだから! いつもいつも、あたしたちのために傷ついて、死にそうになって……。いつもいつも……おねぇちゃんは分かっているの! おねぇちゃんが死んじゃったら、あたしたちがどんな想いをするのか! うう、まったくも〜、おねぇちゃんのバカぁ〜」


「イタッ! イタタッ! こ、こら、やめろルシア! 私が悪かった」


 起こっているのか泣いているのか、感情を昂らせたルシアは、ポカポカとアウグスタを叩き始めた。

 それほど強く叩かれてはいないが、重傷を負っている身には響く。しかし、アウグスタにとってはその傷の痛みより、ルシアが吐き出した想いの方が、ずっと痛かった。まだまだ子供だと思っていた妹分は、いつの間にか大人になり、姉の負担を減らそうと考えている。そんな想いに気付かなかった自身の心が痛かった。


『私はダメな奴だ。この子たちを危険から遠ざけようとしていたが、かえって危険に晒してしまった……。この子たちを信頼していれば、もっとやりようは有っただろうに……』


 力尽きたのか、気が済んだのか、ルシアはアウグスタを押し倒し、覆いかぶさってきた。ルシアの柔らかさや温かさを感じ、改めて生きているとアウグスタは実感した。


「お姉ちゃんの匂いだ。心臓の音もする。本当に生きているんだね」

 

 胸元から聞こえるルシアの言葉に、慚愧ざんきの念に堪えず、アウグスタは何も話す事ができなかった。

 ルシアは、身体の位置をずらしアウグスタを強く抱きしめると、耳元に囁いた。


「これからは、あたしやボックスにも頼って。あたしたちは、何もできなかったあの頃と違って、今は戦士なんだよ」


 アウグスタは、不覚にも涙を溢れさせてしまった。


 ◆


 廊下からドタドタと騒々しい足音が近づいてくる。そして、壊す勢いで扉が開かれた。


「どうしたんだルシアぁぁ! ……って、何やってるんだ?」


 ルシアの悲鳴を聞きつけて、ボックスが駆けつけてきたのだ。どうやら食事をしてる最中だったらしく、よほど慌てたのかスープらしき液体が、服やズボンから滴っていた。


「そういう事は、こんな所でやるべきじゃないぞ」

「このバカぁー!」


 ベットの上でアウグスタに抱きついているルシアを見て、何を勘違いしたのかボックスは真摯に忠告をした。

 ルシアは何を言われたのか分からず初めはキョトンとしていたが、ボックスが言わんとしている事に思い至り、見る見るうちに顔を赤らめ袖机にあったコップを投げつた。コップは見事にボックスの顔面へ命中した。

 それを呆れたように眺めて、アウグスタは小さく溜息をついた。


「だいたい、女性部屋に合図も無しに入って来るなんて! ボックスは気遣いってものが無いよね!」

「あ、いや、だってルシアが叫んだから……」


 ルシアは、ボックスの気の利かなさに腹を立てていた。

 

 隊長と部下ではなく、久しぶりに姉と妹の関係に戻れたのに邪魔するなんて!

 

 それを言うとボックスも弟分になるので、アウグスタを独り占めにしているのはルシアの我儘だ。この点では、ボックスの方が大人だった。


 ルシアは、もっと姉に甘えていたいと後ろ髪を引かれていたが、ボックスの後から入って来た人物を見て、慌ててベットから飛び退いた。クローヴィスにも自分の痴態を見られて勘違いされていないか、ますます顔を赤らめ上目遣いで様子を窺った。しかし、彼は何事も無かった様に、アウグスタへ話かけていた。

 自分の恥ずかしい所を見られずホッとした反面、何も反応が無いのはやっぱり寂しいものだ。ルシアはガックリと肩を落とすと、慰めようとしているのかボックスが肩を叩いてくる。おかげで、余計切なくなってしまった。


「隊長、目が醒めて良かった。二度と目覚めないかと、みんな心配してたんですよ」

「私はどうしたんだ? あの後、どうなった?」


 脂汗を浮かべ、アウグスタはクローヴィスに質問をする。起きた時には痛みが引いていたのだが、ルシアのおかげでぶり返して来たのだ。

 何処となく顔色も悪くなってきた。その状態のアウグスタに報告をしても酷だろう。クローヴィスは、そう判断し、ゆったりと歩いてきた老医師に道を譲った。


「では、先生の診察後、報告させていただきます」

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