第五九話 救出(一)

 その時クローヴィスは、小隊の右側前方付近を駆っていた。それによって、狼の突撃を平原側を進んでいたことで、避けることができた。

 背後から悲鳴と大きな音が聴こえたため、反射的に手綱を引いて急制動をかけてしまった。馬はそれを不満に思ったようで、嗎をあげて立ち上がり足を滑らせていく。クローヴィスは危うく振り落とされそうになったが、しっかり腿で鞍を挟み込んで体重移動をさせた。馬を転倒させることもなく、前足をつく時には体勢を整えたが、そこへ後衛の騎馬がやって来る。


「馬鹿野郎! 何やってんだ!」

「隊長が落ちたんだ! 助けに行く!」


 すぐ後ろを疾っていた戦士は、目の前で急停止したクローヴィスに驚いたが、間髪を入れずに避けたのは熟練のなせる技だ。すれ違い様に思いっきり大声で罵倒した。

 クローヴィスは、その悪態を無視して答えると、馬を翻して来た道を戻った。


「ったく! 何考えてやがる。行くぞ! ヤロウども!」

「おう!」


 文句を言いつつも、他の面々を引き連れて、速度を落とさないように大回りをし方向転換をすると、クローヴィスの後に続いた。アウグスタを見捨てることができないのは、彼らも一緒なのだ。


「あれぇ〜、いいのかなぁ〜」

『やれやれ、規約を破ってまで、彼女を救いたいと願う者が多いのだな』


 ソフィアとオレウスは、ゆっくりと速度を落として振り向いた。


 ヒト族の戦士団には、戦闘規約というものが存在する。

 代々受け継がれてきた伝統を明文化したものだ。それは同時に、ヒト族としての規範でもある。生き残る優先度と言うべきか、死ぬ順番なのか、種族を存続させるためのものなのだ。

 生存の最優先は、成人前の男女がくる。いわゆる子供たちだ。次に妙齢の女性。子供をたくさん産める年齢であることで、大体二十歳前後にあたる。

 そして、健康で活力のある男性となる。それは、弱者の常で危機が去った後に多くの子孫を残す必要なため、長い間ヒト族は一夫多妻であったからだ。男の場合、年齢は決められてはいない。当然のことだが、自然と健康な若者を残そうと優先される。特に明確に決められていた訳ではないので、中には一人の女性に殉じた者もいたが、大抵は二人から三人の妻を娶るのが普通だった。


 

 これは古来よりヒト族を存続させるための考え方だが、該当しない者たちもいる。

 まずは、子沢山の母親だ。多くの子を産み育てた経験を重視し、若い女性たちの助けになるからだ。その名残が、団の太母へと変化していった。

 次に専門性を持った技術者たちだ。この者たちは、年齢に左右されることはない。明日もしれぬ老人であっても、技術や知識を次の世代へ引き継がせるために残された。


 と言ったように、ヒト族は考える必要もなく、生存の優先順位を決めていた。それはノックスに移り住んでからも変わらない。

 平穏な地域へ移住したことで、危機が去ったと思われがちだが、ヘルクラネイムからの脱出行のおり、種族の存続が致命的な程に人口が激減したのだ。それゆえ早期に人口の増加が求められた。

 そこで当時の指導者たちは、それまで個別に産み育てる家族制から団制である集団社会制に変更した。子供たちを一ヶ所に集め育てることで、両親たちの負担を減らし、人口の急激な増加を狙ったのだ。そのため、現在のヒト族は血の繋がりより、育った団での繋がりが強い。

 この政策によって、疫病や大紫狼の度重なる襲撃に耐えきり、この百年でヘルクラネイム当時の人口比の倍となっていた。しかし、この急激な人口増加は、慢性的な食料不足も同時に産むこととなり、外地への進出を余儀無くされた。


 この団制に移行したことによって、人口の増加だけが利点ではなかった。教育水準の均衡化を図れたことが大きい。それまでは、各家族にて教育を施されていたが、ほとんどは生きるための食糧生産の教育であり、『読み』『書き』『計算』などの基礎教育は、余裕がある少数の指導層の子弟のみに限られていた。それが、分け隔てなく行われるようになったことで、ヒト族の知的水準が向上した。この効果により、今まで口伝であったものも明文化され、認識のズレが減少していった。


 こうして、戦士団の戦闘規約も作られて、それが法となった。

 ただ、内容は残酷なものだ。いかに効果的に死ぬか死なせるかを戦士候補生に徹底して教え込まれる。そして、死ぬ寸前に至るまで厳しい訓練を課せられる。

 それを成人前の子供に行うのだから、まだ途中で諦め生産職へ転向する者は幸せかもしれない。なまじ、中途半端に才能がある者や精神力が強い者は、訓練を続けていくと死ぬ者もいるし、精神的に再起不能になる者も多く出る。それに耐え切った者が、晴れて戦士となれるのだ。ただ、この北部地域ではそこまでは行っていない。人口が少ないこともあるが、戦死者も多い。戦士の成り手は一人でも多く必要であった。その緩さもあってか、規律が緩みがちだ。だからこそ、辺境地域の方が、規約に厳しい。

 

 戦士の規約には、外地において隊から逸れた場合、捜索を行わないとある。それは、二次被害を恐れてのことだ。捜索隊までも外敵と出会い全滅を防ぐこともあるのだ。

 隊を離れた行方不明者は戦死扱いとなるが、時たま、ある日突然帰還する者もいる。その者は『死地帰り』と言われ、優れた戦士の称号として尊敬されている。その者たちは、厳しい任務であっても必ず帰って来ると幸運の象徴として扱われ、どの隊からも引く手数多あまただ。

 落伍者は、すぐに見捨てられる。そのようなことは、頻繁にあり得る話なので、各戦士たちは自力で拠点まで戻れるように、常に保存食と武器を携帯しているのだ。


 今回の任務は、ヘルクラネイムへ赴き『重要なものを持ち帰れ』と命令された。『重要なもの』とは何なのか分からなかったが、あの廃墟の街で発見されたものは、いかにも高価そうな漆黒の箱だけであった。もっと詳細に探索を行えば、さらに貴重な物品が発見されたかもしれないが、そもそもそのようなことに詳しい人物も同行していなかった。それゆえ、アウグスタはこれ幸いとして、適当に見回って撤退するつもりだったのだ。しかし、クローヴィスたちの独断専行で、いかにも高価そうで怪しい黒い柩を発見してしまった。

 正直なところ、中隊の面々は価値が分かっていなかった。手ぶらで帰らなくて良かったと安堵する反面、『余計な荷物を抱えてしまった』という想いが強い。この荷物が無ければ、多少の犠牲は出たかもしれないが、既に砦へ辿り着いていただろう。

 戦闘規約に基けば、この箱をカメリアに持ち帰ることが最優先となる。だが、殿しんがりの小隊は、荷馬車の警護に向かわず、落伍者であるアウグスタの救出を選んでしまった。これは、重度の規約違反である。


「うう、ボクの見せ場が――」

『そんなことどうでもよいであろう。それよりも、ヤツが動き出したぞ』


 見事な馬術で反転していくヒト族の戦士たちに取り残され、オレウスは口惜しそうにしていたが、ソフィアはオレウスの戯言には付き合わずにヒト族を追いかけた。

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