序章 最終話 破壊の女神と混沌の竜王

「えっ! な、何!?」


 テネブラエは、剣を杖代わりにして立ち上がり、攻撃が来る前に移動しようとするが、足が動かない。視線を足下にずらすと、いつのまにか粘体が絡みついていた。それは、一体だけではなく、拳くらいの大きさの粘体が、辺りに群がっていた。


「きゃあぁぁぁっっっ!」


 テネブラエは、恐怖で青ざめて叫んだ。それと同時に、粘体が飛び上がり彼女に、纏わりついてきた。そして、動けない彼女に、異物の触手が伸びてくる。腕に、足に、腰に、そして、頭に絡みつく。


「ああっ」


 触手は、彼女の力の全てを奪っていった。今まで感じたことのない、強い脱力感が彼女を襲っていく。


「ああ、う、んう、……ふむ、このような手段で、意思を伝えなければならないのか。めんどうなことだな」


 ソイツが、しゃべった。


(ああ、なんてこと。私の理力だけではなく、知識まで奪ったのね)


 こんな異物は、今までに聞いたことがない。こんなものが、解き放たれたら世界に終末が訪れるだろう。テネブラエの恐怖が、膨れ上がっていく。



 その時だった。

 白い閃光がソイツを包み、爆発した。


 拘束されていた触手が千切れ、テネブラエは爆風で飛ばされた。



『テネブラエよ、大事ないか!』


 白い巨竜が、空を旋回している。クリスタルの鱗が銀色に煌めき、真っ暗な闇が美しさを際立たせていた。


「ケホケホ、なんで来ちゃったのよ! 何度も連絡したのに! 今頃来て! どうせなら『新生の炎』で、山頂を吹き飛ばせばよかったじゃない!」


 テネブラエは、土砂まみれになりながら身を起こし、ファーヴニルに文句を言った。少し混乱気味で、言っていることもおかしかった。


『……別に言うことがあると思うんだが、こちらにも言い分はあるのだぞ。余も遊んでいたわけではない! 軍の出動要請も行っておったし、そもそも、そなたも念話に出なかったではないか』


「何でっすってぇ〜、私がどんなに頑張っていたか、見せたかったわ!」


『しかも、この近辺には転移ができなかったのだ。転移のできたところから急いで飛んできたし、だいたい、《新生の炎ノヴァフレイム》を使えば、そなたも消滅してしまうではないか!』


 一息つけたことで、お互いに怒鳴り合いを始めたが、いまいち、会話が噛み合っていない。その口喧嘩も、爆発の煙が晴れるまでのことだった。


 煙が晴れると、飛び散っていた異物が集まり、再び人型を形成する。



「ふむ、あれが竜というものか。なるほど、アレは邪魔だな」


 虹色の目でファーヴニルを観察し、異物は腕を彼に向ける。


「ファーヴニル、逃げて!」


 テネブラエは、触手では届かないと思うが、嫌な予感がして彼に警告をしたのと、異物が腕から粘体を射出するのは同時だった。


『うおっ、何なんだ!?』


 ファーヴニルは、かろうじて避けたが、異物は次々に粘体を発射する。避けられた粘体は、羽根を生やして、ファーヴニルを追いかける。

 飛行粘体は、竜の翼についてはいけないが、何より数が多い。そして、その数は増えていく。

 ファーヴニルも『竜の息吹ドラゴンブレス』や理力によって、飛行粘体を消滅させてゆくが、焼け石に水だった。そして、罠にかかる。

 浮遊している粘体同士、身体を細い糸状にして、空中に張り巡らしていた。飛行粘体が、そこにファーヴニルを追い込んで、絡みついたのだ。そして、異物本体からの触手で、完全に拘束してしまった。


『ぐぅお、余としたことが! テネブラエよ。そなたは、逃げよ』


「貴方を置いて、逃げられないわ!」


 彼女も地面を這ってくる粘体を避けながら、ファーヴニルへ『鼓舞』や『集中』といった支援系の理力で、彼の能力を向上させたが、最上位種族である竜に、それほど効果があるとは思えなかった。

 それよりも、ファーヴニルの理力が、吸い取られていく方が速く、徐々に彼の抵抗する力が弱まっていった。


 これが、兄の言っていたカオスという存在だろうか。『竜の息吹ドラゴンブレス』を浴びても、ものともしなかった。


 最強である竜族でさえ、捕らえられるのだ。すでに多くの理力を失い、非力なテネブラエが、再び捕らえられるのも時間の問題だ。

 彼女は、必死に剣を振るったが、触手に剣を叩き落とされ、彼女の周りにいた粘体が一斉に飛びついた。


「お前は、興味深い」


 ソイツは、テネブラエに歩いて近寄って来た。片方の手のひらで彼女の頬を撫でる。彼女は、頭以外を粘体に取り込まれ、身体を動かすことができなかった。


「うう、触らないで! 拘束を解きなさい!」


 彼女は、得体の知れない感触に、不快感をおぼえながら、最後の抵抗とばかりに怒鳴りつけた。


「ほう、なるほど、道理でここには入りにくいわけだ」


「貴方は、何ものなのよ!」


「それに、本来の力を封じているな?」


「えっ、な、何、うう……、い、いや、やめてぇぇぇぇ!」


 異物は、テネブラエの質問に答えずに、知識と能力を読み取っていた。彼女の精神の防壁マインドウォールを破り、心の奥底へ侵攻を始める。


異物カオスめ、やめよ! テネブラエから手を……ウグゥ!』


「竜よ、お前にも利用価値がある。そこで、大人しくしていろ」


 カオスは、触手に力を込めると、ファーヴニルの美しいクリスタルの鱗にヒビが入り、そこから次第に虹色の輝きが広がっていく。

 ソイツは、テネブラエの頭に手を置いた。


「フフフッ、抵抗するな、力を解放しろ。お前の長い苦しみが終わるぞ。そして、唯一の存在となるのだ」


「あ、あぁ、ああああああああああああっ」


 テネブラエは、自身の奥深くから込み上げてくる、熱いものを感じた。それは、身体の中で荒れ狂い、溢れ出るいこうとしている。解放感? 爽快感? ずっと、心の奥底に眠っていたオモリが、取り払われた感じだ。




 それは、破壊の力。

 世界のファラネンたちが恐れていた力。


 私は、いつも一人だった。

 この力のせいで……。

 この力を与えた兄が憎い。

 この世界が憎い。


「もう、無理しなくていいのだよ。解放しすればいい、君は自由だ」


 甘い言葉が、耳元をくすぐる。

 そっか、私は無理をしていたんだ。

 これで、楽になれるのかなぁ。


《そうよ。さあ、わたしを解放して》


 もう一人の自分が、囁いた。

 身体の中から力が溢れ出す。


 そして、七色の光が辺りを包んだ。


『やめるんだぁぁぁぁ…………』


 最後に、ファーヴニルの叫び声を聴いた気がする。



 ◆



 天を支えると謳われた、霊峰アトラース山は半壊した。

 その轟音は、世界の反対側にある竜の都コールにも届いたという。爆煙は天を覆い、こののち、数百年の間、世界に闇と混沌をもたらした。



 虹色に輝くドラゴンがゆっくりと降りてくる。

 その背には、妖艶な美女が、紫色の長髪をなびかせ、騎乗していた。彼女は、辺りを見回すと、艶かしい唇の端を引き上げる。


 大地は、真っ赤に溶けたマグマの海に覆われている。遠くには、半壊したアトラース山と同じ高さの山脈が、赤い光を発して囲むように隆起していた。


 彼女は、誰かを迎えるように、満面の笑みを浮かべ両手を広げた。


「フフフッ、みんな大好きよ。だから、一つになりましょう」


『承知。破壊の王テネブラエよ。そなたの望みを叶えるため、この《混沌の竜王カオスドラゴン》たる余も力を貸すとしよう』


「じゃ〜行きましょう! ファーヴニル」


何処いずこへ』


 ファーヴニルの問いに、テネブラエは怪しく笑う。


「そうね。まずは、この世界の住人に贈り物恐怖を届けに!」


 ファーヴニルは、虹色の翼をはためかせ、アトラース山を旋回した。灰の舞う暗闇の空に、テネブラエの高い哄笑が響いていた。

 二柱の王は、世界へ飛び立つ。


 こうして、神々の大戦が始まろうとしていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 この戦いで、世界楽園にヒビが入った。

 恐怖と混乱、憎悪と破壊、あらゆる災が解き放たれた。幾多の種族が滅びを迎え、世界の防人アンラルムだったエンシェントの力が衰えることとなる。

 それは、彼女テネブラエが封印されるまで続いた。


 一つの時代が終わり、新たな時代が始まる。



 竜騎士たちの物語

 序章 神々の大戦前夜

 了

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