序章 第八話 異界からの侵入者

 地表では、既に陽は落ち、辺りは闇に包まれているだろう。



 テネブラエの乗った昇降機は、火口間近で停止した。

 火口を見上げると、入口を塞ぐほどの大きさで、『源素の井戸』が広がり輝いていた。そこから溢れ出る源素を取り込んで、普段より身体が活性化しているのが分かる。

 井戸は、アエラが管理している状態であれば、銀色をしているが、今は虹色の球体をしている。この状態から異常を確認できた。


 彼女は、火道壁に開いた通路に足を運ぶ。この通路から山頂へ出られるのだ。




 山頂は、吹雪いていなかった。それどころか、風ひとつ吹いていない。

 太陽は沈み、かろうじて西の空を紫色に染めている。東の空からは、紫色の月が昇って来ている。

 雲は遥か下にあり、雲海が広がって地表を見ることはできない。見上げると、黒い空に星々が降り注いでくるかのように、瞬いていた。


 テネブラエが、息を吐くとパキパキと音を立てて白くなる。空気はほとんど無い高度で、尋常でない寒さだ。

 彼女にとっては、息を吸うことも必要がないし、寒さにも影響をされない。それが、ファラネンという世界最古の種族の能力だ。

 そもそも、この身体自体が、この世界に適応するためのものだ。必要であれば、作り変えることも容易い。しかし、幾万年もこの姿でいると愛着が湧いてくる。


 彼女は、もう一度辺りを見回す。ファーヴニルは、やはりまだ来ていないらしい。

 それはそうだろう。彼は、大陸を超えた大海にある島にいるのだから。竜の翼であっても、そう簡単に来れる距離では無い。


 彼女は、もう一度息を吐くと、覚悟を決めた。そして、右手に力を集中させると、片刃の長剣を具現化させる。刀身は細身で、彼女の瞳の色と同じくアメジストを思わせる。鍔の中央にも同様の宝石が付けられており、こちらは、紫色の光を放っていた。

 感触を確かめるため、軽く振るってみたが、すぐにやめてしまい、ため息をつく。


「やっぱり、苦手だわ。エレボスに言われていたように、少しは練習をした方がよかったかな」


 エレボスには常々、剣の鍛錬は必要だと言われていたが、逆にニュクスには、王自らが戦うとんでもないことだ。そうならないように、状況をつくっておくことと言われていた。結局は、どちらも出来ていなかったのだ。

 テネブラエは、二人のことを思い出して、しょんぼりしながら頂上へ登っていった。



 ◆



 火道では分かりにくかったが、火口には、頂上を覆えるくらい巨大な虹の球が、浮遊していた。この世界で最も大きな『源素の井戸』だ。だが、以前より大きくなっており、今は源素を放出していない。


 井戸は七色に彩られ、それぞれの色が発光している。それが溶け合い混ざり合って、渦を描いていた。まるで脈動し、生きているかのようだ。

 美しさを魅せながらも、どこか異様だ。全てを吸収し、溶かしてしまう虚無を感じる。



「やっぱり! なぜ、異界の門を開いたのアエラ?」


 テネブラエは、岩陰から顔を少し出して覗き見ながら、ここにはいない妹を詰問した。あれほどの大きさであれば、異界からやってくる異物は、かなりの強さを持つことだろう。


 顔を引っ込め、岩に背を当てて空を見上げる。背中の冷たい岩の感触が、余計な考えを払ってくれるようだ。

 小刻みに小さな音が聞こえた。右手がガタガタと震え、剣を鳴らしていた。


(ああ、これが恐怖なのね)


 新たに、感じたことの無い感情を覚えた。今日一日で、初めて知った感情がどれだけあったのだろうか。精神を司る王でありながら、今まで自分で感じることがなかった。


 いや、知ってはいたのだ。この『源素の井戸』を前にして思い出した。


 世界をより良い場所にするために、負の感情は自身の奥深くへ、もう一人の自分と共に、閉じ込めていたのだ。自分自身にも気づかないように……。


 自分には、異界の異物を排除する力は無い。自分が持っている能力は、異物に対抗できる戦士が、存分に働けるように支援する能力だ。



「どうしたらいいの?」


 自分自身に問いかけたのか、彼に話しかけたのか分からない。彼女は、カメオを強く握りしめた。


「ファーヴニル、ここに来ちゃダメ!」


 ファーヴニルからの応答は無かった。

 テネブラエは、自分の危機よりも彼のことを思う。竜の力は強くとも、これからやって来る異界の異物には、一頭では対処できないだろう。


 彼の言葉をしっかりと聞いておくべきだった。


 もう一度、カメオを……さっきよりさらに力強く握りしめた。彼との魂の繋がりを感じる。けれども、念話は繋がらない。


 彼はきっと心配をしているだろう。

 その巨体に似つかわず、彼はとても繊細だ。



 テネブラエは、再び、井戸を覗き見る。

 井戸は脈動を早めていた。そして、ソイツがやって来た。



 異物は、井戸からこぼれ落ちると、形を変えて、ズルズルと地面を進む。

 液体のようであり、無機質な金属のようでもあった。見た目は、井戸と同じように見えるが、明らかに違う。異物は何度も見たこともあるが、今までのものとは明らかに違うように感じる。

 やがて、ソイツは人型に変化した。彼女がよく知っている者に……。



「兄さん!?」


 驚愕して思わず叫んでしまい、慌てて自分の口を塞いだが遅かった。兄の形をしたソイツは、テネブラエに視線を向けた。


 ソイツは、兄にそっくりな姿形をしていたが、髪と瞳の色が七彩に発光していた。兄は両方とも漆黒だ。しかし、その中身は違う。異物から変化した姿を見たからでは無い。やろうと思えば、ファラネンたちは、姿を変えることができる。

 似た感じの雰囲気を発しているが、彼女の感覚では、内から溢れ出る波動が別物だと感じている。


 まさか、兄は取り込まれてしまったのだろうか。

 兄は、自分の眷族を彼女に託し、姿を消した。それ以来、数千年は姿を見せていない。いや、数万年だったか。記憶に残らないほどの年月が経っていた。

 知覚の能力を上げても、ソイツからは、兄の波動は感じられない。兄は無事だ。



 テネブラエは、安堵したが、異物は粘体の足でズルズルと向かって来た。ソイツは、両腕を上げると、テネブラエに十本の指先を向ける。

 テネブラエが訝しんで様子を見ていると、指が彼女に向かって急速に伸びた。


「ウヒャッウ〜」


 変な声をあげてしまったが、戦闘が苦手な彼女でも、なんとか避けることができた。地面をゴロゴロ転がりながら、間合いを取ると立ち上がった。


「せっかくの贈り物なのに、ごめんね」


 脳裏に浮かぶ贈ってくれた者たちの笑顔に謝り、ドレスの長いスカートを持っていた剣で切り裂いた。彼女の秀麗な白い足が、露わになる。これで、少しは動き易くなるだろう。

 彼女が異物を見ると、ソイツは小首を傾けて指先を見ていた。表情が人形のように変わらないので、何を考えているか分からない。指先を虹色の触手に変えて、再び、テネブラエに襲いかかる。

 触手は、鞭のようにしなり、上下左右から彼女を包み込むように迫って来た。彼女は、直撃しそうな触手を剣で払いつつ、地面に転がりながら避けていた。


「私だって、やれば出来るんだからね!」


 声に出して自分を鼓舞するが、内心は焦っていた。

 異物の触手を使った攻撃は、次第に速度を上げてくる。戦士ではないテネブラエは、次第についていけなくなり、かろうじて剣で受け止めるのが、精一杯となっていた。


 追い詰められたテネブラエは、剣で受け止められず、ついに触手の強打を受けた。衝撃で地面に転がり、立ちあがろうとしたが、立ちくらみのような感覚に襲われる。触手に被弾した瞬間、ゴッソリと理力を持っていかれたのだ。どうも、接触すると理力を吸収されるようだ。

 それに、井戸の近くにいながら、この辺りの源素がまるっきり感じられない。これでは、理力の回復が見込めない。まだまだ理力はあるが、こんな戦いをしていたら、いずれ尽きてしまう。


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