第三四話 氷雨の魔女(下)

「ちょっと待て、カイル」


 会議が終わり、解散を告げられたので、カイルは皆と一緒に部屋を出ようとしたところをデンスに呼び止められ、デンスの隣の席に座るように言われる。

 大隊の面々は、全員退出してしまった。ここに居るのは、カイルとデンス、客人の二人に、司令官の五人だけとなった。

 司令官の側近も、それぞれにお茶を配ると、部屋から出ていってしまった。


(ええ〜、なんで僕もいなきゃならないの?)


 カイルは、内心、冷や汗をかきながらデンスを見たが、彼はいつも通り、椅子に深々と腰掛け、腕を組んで目を瞑っていた。


(ま、まさか、本気で寝てる訳じゃないよね。僕を一人にしないでよ〜〜)


 そんな不安に思っていたカイルに、鈴の音のような声をかけられた。


「お疲れのところ申し訳ありません。貴方とお会いしたく、我儘を言いました。少しの間、お話をさせて頂けませんか」


 そのように尋ねられて思わずカイルは、レナ・シーの顔を凝視してしまった。

 彼女は変わらず無表情だったが、カイルには銀色の輝きをまとった、温かな微笑みを浮かべている姿が、重なり見えた。頬が熱くなる感覚を覚えた瞬間、ガツンと頭に強烈な衝撃と痛みを覚え、目の前に星が待っていた。


「アルドル、おやめなさい。失礼でしょう、私が招いた客人に対して」


「いえ、レナ・シー様、コヤツは、貴女様によからぬ感情を浮かべておりました。貴女様をお守りするのが、我の責務であります」


 手に持っていた錫杖で、カイルの頭を叩いたアルドルを、レナ・シーは感情の無い口調で叱ったが、アルドルはそれ対して引かずに反論をした。


「うう〜、って、痛いなー! 何すんだよ!」


 カイルも一端の戦士だ。やられたらやり返してやる、思わず椅子を蹴って立ち上がり、睨みつける。アルドルも負けじと睨み返した。


「ああー、二人ともそこまでにしておきなさい。レナ・シー殿も困っていらっしゃる」


 司令官にそう言われて、二人ともレナ・シーの方を見るが、相変わらず無表情のままだった。


「アルドル、私は、カイルさんとお話がしたいのです。邪魔をするのであれば、出て行ってください」


 感情がこもっていない分、彼女の言葉は非常に冷たく聞こえた。ゴブリンの表情は分かりにくいが、きっと彼は青ざめているのだろうとカイルは思った。

 アルドルは、レナ・シーに一礼をして謝罪し、彼女の後ろへ控えたが、カイルを睨め付けるのはやめなかった。


「ふん」


 カイルも椅子に座ったが、そっぽを向いた。

 そこでは、司令官が深いため息をつき、デンスは薄目を開けて成り行きを見守っていた。デンスはこれ以上面白い事が起きないと思ったのか、再び目を瞑ってしまった。


「私の従者が、大変失礼なことを致しました。私が代わりに謝罪致します」


 レナ・シーが、軽く頭を下げてカイルに謝罪した。

 その背後で、音がしたのが聞こえ、カイルはそちらに目を向けると、アルドルが力なく俯いていた。主人に謝罪をさせた、自分の愚かな態度を悔いているのだろう。


「いえいえ、もう、気にしていませんから、頭を上げてください」


「そうですか。ありがとうございます。では、今度こそ、お話を致しましょう」


 カイルは、殊勝な態度の彼女に、思わず焦って慌ててしまった。彼女が顔を上げると、花が咲いた様な華やかな笑顔を感じて、顔を赤らめた。


 そして、同時に、彼女の背後から凍える様な殺気も感じた。





「それでは、何からお話致しましょうか」


 レナ・シーは、軽く握った拳を口元にあて、考える仕草をした。


「初めまして、で、よろしいですか。デンスさんとはお会いしましたが、カイルさんは…そうですね。あの時はお休みになられておりましたので、やはり、初めましてですね」


 ドクン


「え、僕と会った事が……あの時って…」


 胸の奥が熱くなり、何かが湧き上がってくる感覚にカイルは、戸惑った。


「どうやらまた邪魔が入りそうです。これを受け入れて下さい」


 レナ・シーは右手を挙げると手のひらをカイルに向ける。そうすると手のひらから白いモヤが湧き出て、やがて球体を形造った。それを優しく押しやると、空中をフワフワと漂いながら、カイルに向かっていく。


 今度は先程と違い恐怖が湧き上がり、思わずカイルは両腕を上げ、防御する様に身構えた。


「受け入れろ! 大丈夫だ、信じろ!」


 隣で興味無さそうにしていたデンスが、カイルの肩をガッチリ掴み、力強く言った。その力はあまりにも強く、抵抗できなかった。

 白い球体は、カイルの胸に当たり、ゆっくりと浸透していった。すると、全身に痺れた感覚を覚え、胸に強烈な痛みが走った。それは一瞬の出来事だったが、カイルには非常に長い時間に感じられた。


「これで、時間が稼げたでしょう。目覚めるには、少し早過ぎます」


「め、目覚める……そ、それは何?」 


 カイルは、息荒く胸を押さえていたが、痺れも痛みも消えていた。しかも、胸の奥にあった衝動も無くなっていたのだ。


「今はまだ、知るべき時ではありません。ですが、時が来たらお話しましょう。これは、誓いです。『フィデスの名において』、貴方がたの習慣としては、このように誓うのでしょう」


 レナ・シーは、右手を胸に当て誓いの言葉を唱えた。ヒト族の最も重い誓いの言葉である。それを破ると魂が穢れ、良い来世を迎えることができないと考えられている。

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