序章 第六話 宮殿の惨劇
「ふぅ〜、ギリギリだったねぇ〜」
テネブラエが、ゲートから飛び出ると、背後にあったマルキアヌスと繋ぐ、次元の
辺りを見回すと誰もおらず、彼女は、小首を傾げる。
通常であれば、技師や研究者が、少なくとも三十人くらいは、機材操作で詰めていた。特に、彼女の帰還が伝わっているはずなので、眷属たちが出迎えに来ていないのは、今までただ一度もなかったことだ。
「あれぇ〜、ひょっとして、みんな怒っちゃたかな」
帰る帰ると言いながら、散々引き伸ばしたのは彼女だ。自分でも無理はないと思っていた。
「う〜、みんな、ごめんよ〜。悪かったからぁ、出てきてよ〜」
奔放な彼女を懲らしめるため、みんな隠れているのかと思っていたのだが、いつまで経っても誰も現れない。
部屋を見回していると、代わりに出迎えたのは、床から突き出ている細い杖のような物だった。
それは、銀灰色の金属でできている。先端には、卵のような球体がついており、八分割に割れ、割れた部分から針みたいな物が飛び出ていた。針の先端は、赤い光を点滅させて、割れた球体の中身は、黒銀灰色の機械が見える。時折、緑色の光が点滅していた。
「これもアエラの機材なのかな」
彼女は、興味に惹かれて、マジマジと観察していたが、見るだけにしておいた。ヘタに触って壊すと、それはそれは長いお説教を妹から聞かされる羽目になるからだ。
一通り好奇心を満足させると、彼女はこの広間から出ることにしたが、なんだか胸騒ぎがする。
「ひゃっうっ!」
広間を出ると、彼女に対して叱るような冷たい突風が彼女を襲う。
そこには、空中回廊と呼ばれる通路が、断崖に取り付けられており、アトラース山の山腹を這うように延びている。この回廊は、石材で造られ屋根も取り付けられてはいるが、窓はなく吹きっさらしだ。時折、山頂から降りてくる冷たい風が、通行人の妨げになっている。
なぜ、人が近寄り難いようにしているかというと、今の段階では転移装置をあまり人に見られたくないと妹から説明を受けたからだ。
「今日も
回廊からは、どこまでも続く地平線がよく見える。今日の仕事は終わりだとばかりに、太陽が空を赤く染めて地平線に向かっている。これからの時間は、彼女が多くも者たちに
彼女は、ふと気づいた。
いつもとちがう。
そう、とても静かだ……。
何一つ物音がしない。
どういうこと?
彼女は、ここから見渡すと、山麓にある都市が目に入る。その都市は、ロカス・パシスといった。
ノックスは、この山の地下深くにある大空洞にあるが、そこは『夢見る都』と呼ばれ、ロカス・パシスは、『安らぎの街』として、種族を問わず、多くの者に愛されている街だ。
この世界は、あまりにも過酷だ。
ほとんどの種族は睡眠が必要だが、満足に睡眠をとれるほどの余裕はない。だからひと時の安心を得るため、多くの者が訪れる。そして、一度安心を得ると離れがたくなる。それは、どの種族においても同じだった。けれども、大空洞といえど限られた空間であるため、地上にもテネブラエの庇護の元、山麓にも街を造ったのだ。
この時間になると、多くの家では仕事を終えて、夕食の準備に取り掛かる。中には仕事仲間と共に酒場へ直行する者たちもいるはずだ。しかし、炊煙は見えず、いつもならば風に乗ってくる喧騒も聞こえない。暗くなった家の中を照らす、灯火の光も見えないのだ。それは、回廊が続く先、彼女の宮殿もそうだった。
彼女の心は、胸騒ぎから不安に変わり、宮殿へ足早に急いだ。
◆
宮殿の門へ着くと、獣人の門兵たちが倒れていた。
「貴方たち! 大丈夫!」
テネブラエは背嚢を放り出して駆け寄り、身体を揺らしたが、兵士は起き上がる気配はなかった。
(温かい……息もあるけど、寝てるみたい……)
彼女は、アメジストの目を輝かせて、権能を発動した。眠りを強制的に解除しようとしたが、効果はなかった。さらに彼女は、精神の働きを視た。寝ていようが、精神は必ず動いている。しかし、精神の活動もみられなかった。
(まるで死んでいるみたい。身体は生きているのに……。アニマモルスみたいには上手くはないけど……)
次に彼女は、理力の動きを視た。理力の動きを感知できず、そして、コアが停止しているのに気がついた。
(なんてこと! これでは、やがて死んでしまう!)
同じように、周辺に倒れていた兵士も調べたが、全員、症状は同じだった。彼女は、何もできず途方に暮れそうだったが、歯を食いしばり立ちあがった。まずは、原因を確かめ、無事な者を見つけることが、重要だと思い至ったからだ。
不安と覚悟を胸に門をくぐった。
「だれか〜、いる〜! 私よ、テネブラエよ!」
できる限りの大声で叫んだが、それに応えたのは反響してきた自分の声だ。
宮殿の中も門で倒れていた兵士と状況は同じだった。普通の生活をしていて、それは突然起きたようだ。生活用具を運んでいた侍女が、宮殿内の警備を行なっている兵士が、書類を書いていた文官が、倒れた衝撃で持っていた道具や武器、倒れたインク壺からインクが滴っている。
テネブラエは、倒れている臣下を一人づつ確認していたが、全ての者が同じ症状で、意識がない。
「ああ、なんてこと! ニュクス! エレボス!」
玉座の間に入るとそこは今までと違い、戦闘が起きたように荒れていた。彼女に仕えるアルヴや獣人族、幻獣たちが無残な姿で倒れていた。特に、彼女と同族である二人の姿は、身体のあちこちが溶かされているようだ。他の者と違い二人はかろうじて息があった。
「テ…ネブラ……エ、無事で…何より……で…す」
「何があったの!」
テネブラエは、ニュクスを助け起こそうと身体に手をまわそうとすると、触ったところが崩れ落ち、塵と化していく。エレボスの方は、話す気力も無いのか、ただ視線を動かすだけだ。
「い…っこくも…はや…く……、アエラ様……と竜たち…に、知ら…せ…くだ…さい。い…どが……」
「
ニュクスは、息絶え絶えで、力を振り絞るように伝えたが、テネブラエは小首を傾げた。アエラが『井戸』の点検に来て、異常は無かったと聞いていた。
『井戸』は、異界から源素が流れ出る門である。時折、異物がやってきて、世界に災厄をもたらす。定期的に源素のみ通過し、異物が侵入してこないように、特殊な結界を施す。それが、アエラの役目であり、侵入してきた異物を除く役目を竜たちがおこなっている。
「あな…た…も……はや…く、逃げ……なさい。我々では…対処…でき……な…い」
そう言い残し、力尽きて二人は塵と化した。
テネブラエは、塵の山に大粒の涙を
ファラネンは、不滅の存在で再び蘇るとはいえ、次に会うときは、共に過ごした思い出は失われ、記憶は情報となる。そこにいるのは、情報を持った別人でしかないのだ。
この時こそ、彼女は後悔をした。
同じ属性のファラネンであったが、二人を眷族にはしていなかった。一度、眷族にしてしまうと、主従の関係となってしまい、彼女の望むものではなかった。
彼女が望むのは、対等な友人だったからだ。
しかし、彼女の眷族として、『臣従の誓約』を結んでいれば、ほぼ完全な状態で復活を遂げることになったのだが……。
ズリッ……。
テネブラエは、友人や臣下たちの死を悲しんで、しばらく涙を流していたが、どこかで何かが這いずる音が聞こえた。視界の隅に何かを捉えたのだ。彼女が振り向くと何もいない。
気のせいではない。
確かにそこにいたのだ。
虹色に蠢く何かが……。
彼女には、それに心当たりがあった。彼女の思っているものであれば、まずい事態だ。しかも、この都市全体に影響を及ぼす存在となると、かなりまずい。
彼女は、首から吊り下げている『竜のカメオ』を無意識に強く握りしめていた。
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