序章 第五話 霊峰アトラース

「オペレータ、全拠点に通信を繋げ!」


 オペレータは、視線を落として機材を操作して頷くと、ヴェテリウスに視線をもどし親指を上に上げる。


「諸君、ヴェテリウスだ。作戦の第一段階は、これにて終了とする。『魔道具パティーナ』を設置、コントロールを司令部へ転送後、直ちに退去せよ」


 最後の命令を一気に伝えると、ヴェテリウスは一旦区切って一息つき、感謝の言葉を口にする。


「短い間であったが、諸君たちの高度な専門的プロフェッショナル働きを誇りに感じる。しかし、『敵』は、強大だ。諸君とも、二度と会うことはできないだろう。だが、来るべき勝利のため、各自戻った任地でも、同様の仕事ぶりを期待する。私からは以上だ! 諸君らの来世に幸あらんことを!」


 ヴェテリウスは、今までのことを、これから起きることを思い起こし、目を瞑る。そして、目を開けると、司令部にいるすべての者が立ち上がり、胸に手を当てた敬礼をしていた。


「将軍閣下、我々もご一緒できて、誇りを感じております」


 その中の一人が、代表して述べた。


 彼は、作戦準備段階から参加していた者だ。当初は、この作戦に否定的だった。

 それはそうだろう。

 膨大な針の山を崩さないように、必要な針を探し出し、それぞれの小さな穴に、細い糸を通して繋げていくようなものだったからだ。綿密な計算が必要であり、不確定要素が出たら、膨大な再計算をやり直す。その繰り返しだった。

 今日、この日を迎えたことが奇跡に近い。

 この仕事をやり終えた彼ら彼女らの胸の内には、語り尽くせない想いが溢れていることだろう。


 やはり、ヴェテリウスに頼んで正解だった。

 時に叱り、時に褒め、時に宥め、共に喜んだ。

 彼は、ただ命令を下すだけの指揮官ではない。部下の抱えていた問題を我が事のように悩み、一緒になって解決していった。まるで、我が姉と同じのように……。

 彼は本当に、良くやってくれた。


 私は、彼らを少し離れたところから視ていたが、なぜか胸の奥が熱くなり、すぐに冷たくなった。胸のチクリとした疼きを疑問に思っていた。


 ◆


 広域地図に黄色で記された拠点が、数分の間に赤く染まっていく。魔道具を設置して、退去を完了したことを知らせている。


「ほう、彼らは、優秀ですな。遅れた時点で、規則通り、放棄の準備も進めていたんでしょう」


 軍のプランは、幾つも存在している。

 戦場では何が起こるかわからない。そのため、起こりうることを想定し、行動計画をいくつも考え、演習を行なっている。何があっても即時に行動できるかが、生死を分ける。撤退時は特にそうだ。

 彼らは、『敵』に情報を渡さないように、その行動規則に則っているのだろう。しかし、ここまで早いのは……。残念だが、私たちは、負けすぎたのかもしれない。


 地図は、すでに撤収が完了していた青と放棄の準備を整えた赤に埋められたが、一箇所だけ黄色のままだった。


「あそこは、どこだ」


 ヴェテリウスは、不安になり、オペレータに尋ねる。


「マルキアヌスです!」

「マルキアヌスへ繋げ!」


 ヴェテリウスは、小さく舌打ちすると、状況を確認するため通信を開いた。その一箇所のために、作戦を台無しにすることは許されないからだ。


「おい! マルキアヌス! 何をやっているんだ! 聴こえたら応答せよ! 時間は迫っているんだぞ!」


 そう怒鳴りつつ、立体地図のテネブラエの位置を確認する。すでに、中腹にさしかかっていた。


『……こちら…マルキアヌス。ほとんどの者は退避しましたが、フェンリルが動こうととしないのです!』


 拡声機からは、切羽詰まった声が流れてくる。


「おい! フェンリル! 何をしているんだ! もう時間が無いんだぞ!」

『テネブラエ様が……、きっと何かあるのです! お助けせねば。転移門ゲートをもう一度開いてください!』


 悲痛なフェンリルの声が司令部を満たした。

 フェンリルは、狼族の中でも神獣と呼ばれる高位の存在だ。まだ若いゆえに、能力の多くは開花していないが、私の眷属であるせいか、何か感じ取れるものがあるのだろう。


 ヴェテリウスが、続けて何かを言おうとしたが、片手を上げてそれを止めた。

 私が代わりに命令を伝える。

 それは、彼にとって残酷で冷酷な命令だっただろう。その後、数千年もの間、彼を悩ませることとなった。


「フェンリル、私です。テネブラエは、大丈夫。特に問題はないわ。貴方はそこに残って居る者たちを乗せて、即座に退去してください」

『テネブラエ様は、大丈夫。問題ありません。皆と共に直ちにに退避いたします』


 マルキアヌスのポイントが、赤に変わると司令部の雰囲気が安堵に変わる。だが、私に対しての視線がよそよそしい。


「魔道具の全コントロールが来ました。いつでも実行可能です」

「よし! ここは、私に任せて、全員、安全地帯へ退避せよ。……私も直ぐに追いつく」


 オペレータの報告を受けて、ヴェテリウスは司令部全員に退去の命令を下す。最後に付け加えたのは、数人が留まろうとしたからだろう。

 だから、私は……。


「将軍。貴方も行ってください。私一人ならなんとでもなりますので」

「……分かりました、陛下。どうぞ、ご武運を」


 彼は、スイッチを手渡し、別れの挨拶をしてくれた。


「ええ、また、お会いしましょう」


 彼は、駆け出し司令部を去った。

 司令部は、静寂に満たされた。

 私は、手渡された拠点にある魔道具を起動するスイッチを押していく。広域地図に写し出されている赤の拠点が、次々に消えていく。それを確認すると、立体地図の表示に感覚を伸ばす。


 テネブラエは、山頂にたどり着いた。


 私がコンソールのスイッチをいくつかいじると、正面の映像が消え去ると壁となった。そして、壁がゆっくりと降りていくと、大きな窓に変わる。

 そこには、雲を貫く雄大な頂がそびえていた。


 世界を支える柱『霊峰アトラース』


 その頂上では、虹色の大きな珠が輝いている。いや、それは山全体を覆っており、触手のように蠢き山を取り込もうとしているようだ。


「始まってしまった……」


 誰に言うでもなく呟いた。

 大きな戦いが始まるのだ。

 この世界の存在をかけた戦いだ。


「ご武運を……か」


 自分を嘲笑うように口元が歪む。


「姉を犠牲に差し出して、武運とは」


 そして、拳をコンソールに叩きつけた。

 痛みによって、自分のやるべきことを思い出す。

 ここも『敵』に渡してはいけない。

 能力を発動させる。


 自分から溢れ出る白い霧が、この建物の隅々に行き渡る。

 次々に、司令部員たちが最後の転移門ゲートを潜っていくのが視えた。最後となったヴェテリウスが、立ち止まり振り返った。頭を下げると決意の表情で、転移門ゲートに飛び込んでいった。


 これで、私一人……。


もとの姿にお戻り」


 次の力を発動させ、白い霧を銀色の粒に変化させる。この建物にあるすべての機材を覆っていく。


 もう一度、アトラースを視た。


「ごめんなさい、姉様」



 閉じられた目から一筋の水滴が頬を伝い、濡らしたことが彼女の感情を表した。

 司令部の機材は急激に劣化して、やがて砂と変わり石材のみとなった。

 彼女は銀色の塵を残して、その場から消えた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る