序章 第四話 撤退の準備

「さすがというべきでしょうか、闇の王。精神を司るだけあって、ここまで抵抗するとは……」


 銀髪の女性のアルヴが呟いた。

 アルヴは、とても美しい外見をしている種族だ。優秀な頭脳、白雪のような肌、小さめの顔、細身だがスラリと長い手足、それが絶妙な均衡で組み合わされ、美しさを体現していた。


『神々の子供たち』


 そう言われ尊ばれている由縁だ。

 彼女は、美しさを誇るアルヴの中でも、際立きわだった美しさを誇っている。

 閉じられた双眸はややつり気味だが、天才の芸術家が引いた線のように、高すぎず低すぎない鼻筋はなすじを形造り、繊細な細い顎を小さく艶やかな薄紅色をした唇が飾り立ていた。

 残念なことに、表情というものが感じられない。しかし、それが繊細で触ってしまうと壊れてしまいそうな、あやうさを持った芸術品のようだった。


 照明の落とされた薄暗い部屋に、多くの機材が詰め込まれていた。

 機材は、至る所で光を発して、点滅を繰り返している。部屋の中央では、空中にノックスの立体の地図が映し出され、ゆっくりと回転している。それを囲うように、機材から投射された数字やグラフ、別の映像が空中に浮かんでいた。この時代では、まだ使われていな非常に高度な技術だ。周辺では、それを操作する技師たちが、忙しなく働いていた。彼女とよく似ているが、彼らは別の種族だ。ヒト族が進化したアンラルムと呼ばれる存在だった。

 誰も口を開かず、ただ機材を操作する音だけが響いている。


 正面の壁には、マルキアヌスにあるゲートの映像が流されている。彼女は、それを眺めていた。いや、それは、正確な表現ではないだろう。彼女の双眸は閉じられたままなのだから。

 映像には、テネブラエとフェンリルが映し出されていた。音声は聞こえないが、テネブラエの様子から別れを惜しんでいるのだろう。


 フェンリルは、テネブラエに傾倒しすぎた。だが、それも計画の内。今のところ順調に進んでいる。



『竜はコールへ戻った』


 拡声器から作戦開始の合図が響いた。

 なんて陳腐な暗号なんだ。思わず、口元を歪めてしまった。帝国の者であれば誰でも知っていることを。

 合図と共に先ほどの静寂はどこへ行ったのか、多くの声が部屋を包んでいく。


「各地へ連絡! ノックスに続く全てのゲートを閉鎖! 機材の輸送、または処分せよ。その後、技師及び研究者は、安全地帯に退避のこと!」


 壮年のアンラルムが、部屋を見渡せる指揮所から命令を下した。


 正面の画面が切り替わり、広域の地図が表示された。各拠点の位置が点滅をして知らせている。やがて、いくつかの拠点が青色に変わっていく。それは、機材の処分が終了して、人員が退去したことを知らせるものだ。半数の拠点が一気に変わったが、それは既に役目を終えて、撤収準備を行なっていた場所だ。


「想定より少ないですな」

「ヴェテリウス将軍」


 彼は、いつの間にか指揮所から降りて、ゆったりと威厳に満ちた態度で近寄ってきた。

 白いものが混じった立派な口髭をしきりに撫でている。緊張をすると行う彼の癖だ。司令官らしく、外見は落ち着いているが、内心は穏やかでないのだろう。


 彼は焦慮しょうりょしていた。青に変わる拠点が続かなくなってしまったからだ。代わりに黄色へ変わる拠点が出てきたのだ。想定より時間がかかっている拠点を記している。

 人員の退避が最優先だが、転移専用魔導装置ゲートキーパーは絶対に残してはいけない。最悪、消滅させることも考慮せねば。しかし、少なくとも転移門ゲートの回収は行いたい。あれは、稀少で製錬に非常に時間がかかる魔導部品オブジェクトだ。解体もかなり時間がかかるはず、時間も差し迫っている。


「申し訳ありません。私の想定が甘かったからです」


 私は非を認めた。彼女テネブラエにこれほど振り回されるとは……。おかげで、私の能力を使う羽目となった。

 彼女に勘付かれる危険もあったが、しかし、ノックスへ帰らないという選択肢は、かろうじて潰すことはできた。だが、彼女と繋がったことで、記憶の逆流を起こしてしまった。想定の中でも良くない事態だ。部分的に記憶の凍結をおこなったが、果たして……。


 彼女の性格はよく知っている。

 後先考えず、気分屋で、その時々で行動が変わる。

 あれほど口を酸っぱくして、『先々を見据えて行動しなさい』と言っていたのに、彼女は変わらなかった。私の言葉に従ってくれさえしてくれれば、もっと多くの装置が回収でき、不要な死者を出さずに済んだのだ。

 今のところ、私の計算に狂いは無い。しかし、それが今後の不安要素リスクにならなければ、よいが……。

 思わず、私は下唇を噛んでしまった。


「貴女が謝ることはありませんよ。それは、私にも言えることですから。噂には聞いておりましたが、あれほど活発な方だとは思いもしませんでしたな」


 将軍は豪快に笑っていたが、それは内面の不安を散らすためだろう。彼の額には小さな汗の粒が浮き出ているのだから。私も感情があれば、同じ思いだったのだろうか。今の私には無理な話だ。双眸を閉じた時から何も感じることができなくなってしまったのだから。


「しかし、帝国の技術は素晴らしい。この軍服も着心地が良く、防御力も高そうだ。私の任務にも欲しいくらいです」


 彼は、自分の来ている黒を主体として銀の装飾を施した軍服を叩いてみせた。ところどこに、小さな七色の宝石が取り付けられており、それに込められた魔術が、その服の防御力を上げている。


「必要な材料が揃えられなかったので、帝国初期の物です。ですが、貴方の主要任務で使用すると計画が破綻してしまいますので、ご容赦ください」


 彼は苦笑いを浮かべながら、肩をすくめた。

 冗談だったのだろうか。私もどうやら余裕がないようだ。

 将軍は、気を取り直すように、立体地図に視線を向けた。



観測者オペレータ! 対象は今どこにいる!」

「ハッ! 宮殿を出て、山頂へ向かうようです!」


 将軍は、観測者オペレータに尋ねると、立体地図に赤い点が表示されて、ゆっくりと移動していた。


「どうやら、ここまでのようですな。撤退命令をお願いします」

「貴方から伝えた方がよろしいかと。皆、貴方を慕っています」

「……了解しました」


 将軍は、何か言いたそうだったが、引き受けてくれた。

 私が、表に出ることは極力避けたい。不要な不安要素リスクを自ら作り出すことはないだろう。


 彼は手近にあったコンソールを操作し、話を始めた。

 

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