序章 第三話 穏やかな日々との別れ

 そういえば、あの子。

 あれ、見当たらないなぁ。

 どこ行っちゃったんだろう。


「どうかなさいましたか」


 彼女を探そうとキョロキョロしていると、隊長さんが怪訝な表情を浮かべて、尋ねてくれた。


「あの子は、どこへ行ったのかしら。彼女にもお礼を言いたかったのに」

「? 申し訳ありません. テネブラエ様。本日の当番には、女性は含まれておりません。失礼ですが、誰かを見間違えたのではありませんか」

「いいえ、確かに……いた…はず……」


 隊長さんやフェンリルが心配そうに、覗き込んでくるけど、確かに彼女はいたはず……。


 あれ、彼女?


 あっ、痛いっ。

 また、頭痛が。


 確かに……。


 イタッ。


 あれ、なんだっけ?

 まっいいか。


「大丈夫よ。また、頭痛がしたの。どうも今日は調子が悪いみたいね」

「ノックスへお戻りになられましたら、すぐにお休みください。最近、働き詰めだったのですから」


 フェンリルが、本当に心配してくれるのは嬉しいけど。そんなに、働いたつもりはないんだけどね。でも、そうね。戻ったら今日一日、ゆっくりしよう。


「じゃ〜、みんな行くね」


 作物がいっぱい詰まった背負い袋を背負おうと掴んだ時、ふと思った。もらった時には嬉しさで、思いもしなかったけれど、ノックスのみんなには全然足りないわね。


 どうしよう。

 また、みんなケンカをしちゃうかも。


「う〜ん」

「どうかしましたか? 忘れ物でも?」


 いつの間にか、アルヴの皆さんに取り囲まれていた。どうやら、見送りに集まってくれたらしいけど。

 困ったな。どうしよう。

 今さら帰らないって言えないし。


「ああ、大丈夫ですよ。作物は第一便がすでに送られております。ですから、そちらの分は、テネブラエ様がご堪能ください」

「えっ、本当に!」


 察してくれたのか、また隊長さんが眩しい笑顔で応えてくれた。

 でも、みんな、そんな足りない子を見るような目で見ないで!

 確かに足りて無いけど。

 だって嬉しかったんだもん。

 自分で運ぶって、言ったのは私だし。

 後先考えないところが、私のダメなところね。

 『先々を見据えて行動しなさい』って言っていたのは、お兄様だったかな。それともルクス? 誰だったかな。まっ、いいか。



「この後も第二便、第三便と作物が届き次第、お送りする予定となっております」

「素敵です!」


 思わず、隊長さんの手を両手で握ってしまった。

 あれ、嫌だったかな。

 顔がだんだん赤くなっているし、そういえば、アルヴさんは他人に触られるのを嫌うって言ってたなぁ。

 うう、ごめんなさい、隊長さん。私はやっぱり足りない子です。


「ごめんなさい」

「あ、いえ、結構なお手前で」


 お手前って? それって何? 私って何なの?

 うん? なんでみんな、隊長さんを睨んでいるのかな?

 なんかみんな服で手をぬぐってるし。

 何か期待した目で、こっちを見てるけど。

 別れの挨拶で、握手をしたいってこと?

 じゃ〜、みんな順番にね。



 いや〜、三十人くらいもいると、手も痛くなるよね。

 え〜っと、何言ってるの?

 一生手を洗わないって、ダメよそれは。

 貴方たちは、あと何百年生きるのよ。

 そんなことしたら病気になっちゃうでしょう。

 握手くらいなら、いつでもできるんだから、ちゃんと手を洗いましょうね。



「テネブラエ様、名残惜しいのですが、そろそろ移動していただけませんと、門が閉じてしまいます。まぁ、我々はかまいませんが……」


 ちょっと、隊長さんが焦り気味で伝えてきたから、装置を維持する限界なのかな。みんなもそれぞれの持ち場に移動を始めたし、はしゃぎすぎてごめんね。


「そういえば、アエラはまだノックスにいるのかしら」

「いえ、先ほどの連絡では、ノックスの『井戸』の点検を終えて、ミュルクヴィズに移動したそうです。『井戸』も特に問題はないとのことです」


 「そう、それは残念ね。あの子と久しぶりに会えるかと楽しみにしていたのに」

「お忙しい方です。こいつの完成までは落ち着かないでしょうね」


 隊長さんは、誇らしげに胸を張り、移動装置を見上げる。


 妹は、こういった装置を作るのは優秀だけど、無愛想で人付き合いは下手だと思っていた。けれど、多くの良い配下に恵まれて、それに慕われているみたいで、姉としても安心だ。


「それでは、私も配置に付きます。では、良い旅を」

「ま、一瞬のことだけどね」


 そう言って、隊長さんとあたらめて握手をすると、持ち場へ立ち去った。

 その入れ替わりにフェンリルがやってくる。


「テネブラエ様、私もここまでです。今回もご一緒できて幸せでした」

「そんなこと言って、やっとじゃじゃ馬から解放されるとか、思ってない」


「そんなことは……、これっぽっちも……」

「えっ!?」


 ふたりで吹き出してしまった。

 今回もフェンリルには、とてもお世話になってしまった。だからなのか、彼の銀色の目を見つめて、さっきのお願いをしてしまった。どうしても嫌な予感が拭えないから。


「フェンリル、さっきのこと覚えている? もし、私に何かあったら彼らを守ってあげて」

「テネブラエ様……」


 彼の大きな鼻をさすり、彼を信じて想いをのべた。


「貴方は不可解に思うかもしてないけど、そうしなきゃならない気がする。私も何故だか分からないの。だから……こんなこと、貴方にしか頼めないから」


 なんでか分からないけど、胸が苦しくて、涙が溢れてくる。

 フェンリルが、鼻を擦り付けてきた。彼は、とても心配してくれているのだろう。

 心配かけてごめんね。涙をぬぐいながらそう思った。

 あっ、そうだ。私のとっておきを見せてあげよう。これを見たら、きっと彼も安心するだろう。


「フェンリル、これを見て」


 普段は、ドレスに隠れて見えないネックレスを取り出した。ネックレスの先端には親指くらいの黒いカメオが取り付けられている。そのカメオは竜の鱗で作られているそうだ。竜の意匠が彫られており、まるで生きているかのように精巧で、光の加減で虹色にきらめいた。


「そ、それは、“魂の絆”……、竜が友と認めた者にのみ与える印……」


 なぜかフェンリルが、絶句して固まってるけど、そんなに凄いものかなぁ。


「お話しすると、なかなか楽しかったよ。それにね、なんか熱かったりする部分もあったけど、鱗はすべすべでひんやりして気持ちよかったね」

「……貴女って人は……竜たちにまで、そんなことをしていたのですか」


 フェンリルが、ものすごい重い溜め息をするから、私は凄く焦った。また、やらかしちゃったのかな。


「身体は大きいくて、みんな怖がっているけど、仲良くなると可愛い子たちだったよ。困った時には力を貸してくれるって言ってたし。私は、ねっ、大丈夫。だから…ねっ! お願い!」

「分かりました。一命にかえましても陛下」

「な〜にそれ〜、叙情詩の騎士の物語みたい」


 なんか、呆れたように言われてしまったが、フェンリルの物言いが、物語の主人公みたいで思わず笑ってしまった。

 でも、素敵だったよ。


「騎士……ですか?」


 フェンリルは、小首を傾げ、怪訝そうに尋ねてくるけど、私も分からないの。

 騎士って何なの?


「なんだろう? なんか、最近、私いろいろ変なの」


 短い間だったけど、この領地での生活を手放したく無かったのかもしれない。明日からは、王としてのつまらない日常が待っている。そういうことなんだろうと思った。


『テネブラエ様、早くしてください。もうすぐ、接続が切れてしまいます』


 隊長さんが、ほんとに焦り気味で、拡声器で伝えてくれた。そうだ、向こうのみんなも待っているんだ。早く行かなくちゃ。


「じゃ、お願いね。私の思い過ごしだったら良いのだけど」

「仰せのままに」

「それじゃ、みんなぁ。また会おうねぇ」


 私は、できる限りの大声で、別れの挨拶を伝えた。

『王たる者が』ってまた怒られちゃうかもしれないけど、せいいっぱいの感謝の気持ちを伝えたかったんだもん。

 心が波立つ感覚を胸の奥に抱えながら、私は次元の門をくぐった。

 

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