第十話 談話室の恐怖(下)

「デンス! いつまで寝てるつもり」


 カイルがデンスの様子を窺っていると、フィオラの声に応える様に目をあける。


「イツツ、相変わらず、いい拳してんなぁ」


 制服の袖で鼻血を拭いながら起き上がる。カイルの手を借りて立ち上がり、体を動かす。


「よし! なんともねぇな」

「ええ、あんだけ転がって何てもないって化け物か!」

「カイル失礼だぞ! 鍛え方が違うからな」

「そうよ、カイル。化け物に失礼だわ」


 と言って口に手を当ててフィオラが笑う。そこにはさっきまで諍いをしていたとは思えない様だった。カイルは不思議そうに二人を見ていた。


「えっ、さっきのはお芝居?」

「ん、打ち合わせなんてめんどくさい事してないぞ」

「そうねぇ。なんとなく上手く行った感じね」

「なんでそんな事したの?」


「野郎どもは、戦闘訓練は大好きなんだが、事務仕事は手を抜きやがる。一般戦士ならそれでもいいが、幹部になってもそれだと大隊が回らねぇ。もともと女性幹部からも苦情が出てたしな。しかも急遽、遠征と特別訓練が決まって、手元には金もあるし、明日は休みだとなると、普段でも適当なのに、さらに適当にやって終わった様に見せるだろ。それだと何かしら問題が起き、貴重な訓練の時間が削られる。訓練不足は絶対実戦でも影響が出るからな。たとえ熟練者であったとしても。だからフィオラと女性幹部に負担をかけるが、やる気のない連中を連れ出したってわけだ。ま、俺も事務仕事は嫌いだが、俺にはこいつがいるからな」


 デンスは笑いながらフィオラの背中をバシバシ叩いた。フィオラは嫌そうな視線をデンスに浴びせていたが、カイルにはどことなくフィオラが喜んでる様な気がしていた。


「でもさ、ボースが成人の儀式なんかやり出すなんて、なんでわかったの?」

「わかってなかったさ」


 じゃなんで? とカイルは小首を傾げる。


「アイツは、鬱憤が溜まっていたからな。大の酒好きだし。エール酒じゃ治らないくらいにな。そろそろ何かしらやらかすだろうとは思っていた。談話室でこっそりやる分には問題ないが、みんなの発散のもなっているしな」


「そうそう、前に自分の部屋で何人かと大騒ぎしてね。他の大隊にも知れ渡ってしまった。だから処分せざる得なかったの」


 フィオラはそう言って溜め息をついた。


「だからカイルを引き留めておけば、動き出すかと思ったの。人手も足りなかったしね」


 そう言ってフィオラはカイルには笑いかけたが、デンスに対しては不満そうに口を尖らせる。デンスは、頭をかいて謝意を伝える。


「まさか同部屋の連中を連れ出して、大騒ぎしたのは想定外だったがな」


「でも飲食物は、他種族から個人で売買しちゃいけないから悪い事だよね。そうしないと生産職の人たちが飢えて死んでしまう。ボースは…仲間を…殺そうと…して…いる」


 カイルは、急に不快な気持ちが溢れ、右手で胸を押さえる。心臓が早鐘の様に打つのを感じる。自分ではない何かが溢れだし、視界が紫色に染まっていく。


「確かにそうなんだが……あ、バカ、落ち着け!」


 デンスは、良い言葉が浮かばず、困った様にフィオラを見る。フィオラは、頷いてカイルを優しく抱きしめる。


「カイル落ち着いて、貴方は確かに正しいわ。でも生きるには別の側面もあるの。ボースは自分だけで楽しんでいるわけじゃない。仲間と一緒だから楽しいの。だから生きてるって感じると思うのよ。私たち戦士は、いつ死んでもおかしくはない。生きたいという強い意志が生死を分けるわ。生きて帰って仲間と一緒に楽しく飲みたい、それだけでも強い意志を生むわ。だから少しだけ、少しだけでいいから大目に見てあげて、それが生産職の皆んなを助けることにもなるの」


 紫色の視界はいつの間にか消え去っていた。代わりに視界が歪み、目から熱いものがこぼれ落ちる。一つの事にこだわりすぎて、大勢の仲間を死なせてしまう、遠い昔そんな出来事があった様な気がした。


「落ち着いた?」


 フィオラがカイルの背中を優しく叩く。フィオラの髪がカイルの鼻をくすぐった。その良い香りと柔らかさを感じ、目を覚ました様に目を見開く。


「おわぁ、す、すみません!」


 カイルは、その状況に驚き、フィオラの抱擁から逃げ出す様に後ろへ飛び跳ねる。なんで、どうして、顔を真っ赤にし、カイルの頭の中は混乱していた。


「いいなぁ、カイル、こんないい女に抱きしめられてよ。俺もあやかりたいね」

「やめてよね」


 フィオラがデンスの腕を軽く叩く。


「さて、冗談ここまでにして、今日は二回目だな。暴走状況にはならなかったが、危うかった。だが、分かったこともある」


 デンスは、腕を組み熟考の姿勢をとった横で、フィオラが不満げな表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情になる。


「一つは疎外感。仲間外れにされたと感じた時か。二つ目は仲間の危機に関する事か? う〜ん、分からないな。いずれもボースが関連しているな。お前、ひょっとしてボースが嫌いか?」


「そんな事ないって! 昔からやっちゃダメだって、言われる事をわざわざやって巻き込まれるのはヤダけど」

「何か覚えていないの?」


 フィオラに言われ、腕を組んで目をつぶり考えるが、しばらくすると頭を横に振り目を開ける。


「分からない。心が砕ける様な悲しみがあって、それによって湧き出る怒りの様なものを感じるけど」


「ここで、雁首揃えていてもしょうがねぇな、アスクラ・ピウスのとこに行こう」


「そうね。あの方に定期的に診察を受けているのでしょう?」

「休みの時は来なさいって言われてるからね。今日も行こうと思っていたんだ。あと…こんな感じになった時には、必ず来なさいと」


「あ、カイル待て」


 談話室から出て行こうとするとデンスに止められる。


「これだけは言っておく」


 デンスはカイルの両肩をガッチリと掴む。


「お前は弟だと思っている。あの時、俺はお前を守るとフィデスに誓ったんだ。最近、お前が悩んでる事は知っている。だからお前も俺たちを信じてくれ」


 デンスが真摯な目でカイルを見つめる。フィオラが微笑みを浮かべ、カイルの背中を優しくさする。カイルは、思わず目頭が熱くなる。


「デンス……」


「だから俺の事をお兄様と呼べ!」

「そ、それだけは、イヤダ〜〜〜〜!」


 カロイルの悲鳴と遅れて鈍い轟音が談話室に鳴り響いた。

 デンスの照れ隠しと分かっていても、全てが台無しだ。感動した自分が馬鹿だった

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