第九話 談話室の恐怖(上)

「あら、楽しそうね」


 その場にいた者たちがカイルを取り囲み、順番に頭を軽く叩いていく。酔いもあってか段々と乱暴になっていた。カイルは嫌がる様な事を言いながら逃げ出そうとしていたが、内心は喜んでいた。それは、こんなにも皆に愛されていると感じたからだ。


 その声が聞こえてたのは、そんな騒動が起きている時だった。

 凛となる鐘の様な声が談話室に響く。それほどの声量ではなかったが、騒がしかった談話室でもよく通った。しかしその声を聞いて、談話室の時間が止まった。


 談話室の入口に、女性が数人立っていた。その一番前で、両手を腰に当てた女性が発したのだ。彼女は、美人というほどではないが、それなりに整った親しみやすい容姿をしていた。その豊かな黒髪は肩で切りそろえており、女性にしては背が高く細っそりとしていたが、痩せ過ぎではなく、日々の訓練成果で引き締まっているのだろう。身に付けている制服も皺一つなく整えており、その性格が滲み出ている。

 彼女の名前は、フィオラ。カインライン大隊の副長である。


「それで、いったいなんの騒ぎかしら」


 一見、優しそうな笑顔をしているが、その目は笑っていなかった。冷たい怒りを抑え込んでいる様な雰囲気を漂わせていた。ここにいる面々は、歴戦の戦士たちだ。圧迫される様な雰囲気を感じ取り、この人をこれ以上怒らせてはいけないと心底怯えていた。

 彼らは、戦場で培った視線と表情で会話を行い、この危機からなんとか撤退しようと退路がないか、皆で探りを入れていた。だが、退路は塞がれている。皆のそんな無駄な努力を台無しにする者はいるものだ。



「よー、フィオラ、いいところに来たな。カイルがさ、成人の儀式をしたいんだってさ。お前も一緒に祝ってやれよ」


 デンスがジョッキを掲げ、気軽にフィオラを誘う。


(やめて! 僕を巻き込まないで! 関係ないから! いや、関係あったけど関係ないから!)



 カイルは、彼女の怒りの原因に心当たりがあった。そもそも昨日夜半まで仕事を手伝う原因になったのは、ここにいる男性幹部たちがこぞって消えたからだ。

 急遽決まった遠征と特別訓練の為、武器弾薬の点検と数量の確認、訓練計画と管理部へ必要数を提出する書類制作などなど。本来は、保守小隊と幹部たち総出で、一般戦士たちが休暇を取っている間に行わなければ、明日からの特別訓練に支障が出る。それなのに、『ばっくれやがって』と作業の間、散々愚痴を聞かされたのだ。

 さすがに新兵であるカイルに悪いと思ったのか、点検と数量の確認が終了した夜半には解放されたが、彼女たちはその後も計算と書類制作を朝まで行っていたのだろう。

 管理部へ書類を提出し、物資が搬入されたら確認を行わなければならないので、その間に食事と仮眠を済ませようとしていたのだろう。どことなくげっそりとして、目も少し充血し、目の下にもクマができていた。


(それで食堂に来てみたらこんな騒動になってるし、そりゃ誰だって怒るよね。僕だって怒るし)


 フィオラは、フーと肺の空気を全て出す様に、ゆっくりと息を吐く。


(あ、耐えた)



「それで成人の儀式って何かしら。そういえば、昨夜はありがとうね、カイル」


 フィオラは、カイルに向いて、少し頭を斜めに傾けて笑顔を見せる。

 通常であればとても可愛らしい仕草だろうが、カイルはその笑顔に恐怖を感じ、顔を青ざめてカクカクっと縦に振って答える。


「いや、その……昨夜ボースがね……」


 先程知った昨夜の話をする。

(ごめんボース、君がいけないのだよ。僕に黙ってそんな事するから)


 フィオラは、途中、口を挟まず最後までカイルの話に耳を傾けていたが、先ほどの優しい笑顔は消え失せ、無表情となっていた。代わりに、一人も逃さないとばかりに入口に陣取る女性陣は、鬼の形相で怒りに染まっていた。しかし、フィオラが何も言わないので、彼女たちも黙っている。


(怖い、怖すぎる! これだったら狼の群れに、突っ込んで行った方がましだ)


 男性陣も同じ様に顔を青ざめ、皆立ち上がっていた。完全に酔いがさめていた。ただ一人を除いて。


「オイオイ、カイル、ダメじゃないか。せっかく秘密にしといたのに。俺たちだけでボースの秘蔵酒を飲んだのは悪かったよ。今度手に入ったらフィオラたちにも分ける様言っとくから、ここは穏便に、なぁ」


(いやいや、そこじゃないでしょ!)


 誰もがその言を聞いてそう思ったに違いない。男性陣だけではなく、入口に張っていた女性陣も顔色を変える。



 ブチッ!



 キレた。何かがキレた。

 その部屋にいた者は、幻聴ではなく、確かにその音が聞こえた。



「コォんノォークソ野郎ガァー」


 普段では見られない別のフィオラがそこにいた。右の拳がデンスの顔面に炸裂し、数々のテーブルを吹き飛ばした、ようだった。

 ようだったというのは、遠くに鼻血を出して気絶しているデンスを見たからだ。目にも止まらない一撃とは、こう言う事を言うのだろう。今のフィオラであれば、狼とも対等に戦えるのではないか。きっとこの場にいた者はそう思った事だろう。普段、真面目で大人しい人を怒らせてはいけないとの教訓だった。


「おらぁー! クソ野郎ども! ぼーとつったてねぇで、後の仕事はテメェらがやるんだよ! ああ、カイルはデンスを見てあげて」


 フィオラの怒りは収まらず、周囲の男性陣の尻を蹴り上げて入口へ押し出す。男性陣は、逃げ出す様に駆け出し談話室を出て行った。入口にいた女性陣は、戸惑っていたが、男性陣の後を追おうとしていたところをフィオラに止められた。


「貴女たちはいいわ。食事をしたら入浴をして、今日はゆっくり休みなさい。昨晩はありがとね」


「私たちも一緒に、副長もお疲れなのですから」

「大丈夫よ。私も指示を出したら適当に切り上げるから」


 そう言って、彼女たちを安心させて食堂に向かわせる。

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