竜騎士たちの物語 序章 神々の大戦前夜

序章 第一話 民の王

竜騎士たちの物語

序章 神々の大戦前夜



「ウフフッ、ほんとにみんな、いい子たちばかり」


 彼女は、可愛らしい満面の笑みを浮かべる。

 そして、両手にいっぱい抱えた果物や木の実に顔を埋めた。今まで会っていた彼女の領民たちから、お土産にと持ちきれないほど贈られたのだ。


 彼女は定期的に、自分の領地を視察している。

 領地には多くの種族が住み着き、文化や習慣の違いもあり、度々揉め事が起きていた。そのため、彼女が視察をすることで、お互いの話をよく聞き、問題を解決する調停を行なっていた。

 それは、とても長い時間をかけて、ゆっくりと無理をせずに話し合いで解決してきた。彼女自身が武力を使うのが好きではなかった事もある。

 その甲斐もあり、今ではほとんど問題は起きずに、今回も行く先々で歓迎の宴が行われた。

 彼女もできれば本拠地に戻らず、領地を廻って大好きな領民たちといつまでも過ごしていたかったのだ。



「う〜ん、いい香り」

「ご機嫌ですね。陛下」


 声をかけたのは、銀色の巨大な狼だった。彼は、夜空に瞬く星々を液体にして、すいたような美しい毛並みを纏っていた。

 彼女が向かっている広間へ繋がる回廊の入口で、彼は待っていたのだ。


「やめてフェンリル。私にはテネブラエって名前があるのだから、ちゃ〜んと名前で呼んでね。そうしないと無視しちゃうから」

「しかしですね、貴女は世界を統べる王の一人、敬称をつけるのは当然でしょう」

「ぶぅ〜」


 テネブラエは、白く美しい頬を膨らませ、アメジストのような紫色の大きな目を細めた。果物の間から見える彼女は、怒った表情をしていても、とても愛らしく見える。

 そんな彼女を見て、フェンリルは困った鳴き声をあげた。


「分かりました、 テネブラエ様。しかし、様は付けさせていただきます」

「分かったわ。はそれで許してあげる。あんまりいじめたらアエラに怒られちゃうもんね」


 満面の笑みを浮かべ、彼女はフェンリルを見上げた。喜びを表現するようにくるりと回転すると、彼女のすみれ色の豊かな長い髪が、花が咲いたように広がった。


「我が主人は、それくらいでは怒りません」


 フェンリルは、深く息をはいた。

 今回は……か、次回はまた大変だ。

 テネブラエは、明るく元気で、出会う全ての者を穏やかにさせる天真爛漫を描いたような人だ。だからこそ、ここの雑多な領民をまとめあげることができるのだろう。


「そうねぇ。そこが、あの子の困ったところ……」


 ゆっくりと回廊を進みはじめた彼女は、思い至って突然立ち止まり、顔だけ振り向いた。

 彼女の妹であるアエラは、感情を表に出すことがない。しかし、フェンリルにはわかっている。主人アエラは、感情表現が乏しく、表に出すことが苦手である事を……。


「でも、フェンリルは分かるよね」

「はぁ、まぁ、お仕えして長いので、何となくですが」


 フェンリルがそう応えると、テネブラエは花が咲いた笑顔で、フェンリルの脇腹に飛び込んできた。そして、頬を擦り付けた。立ち上がったフェンリルの柔らかい腋腹が、ちょうどテネブラエの頭の位置になる。


「ヒャウ、や、やめてください。テ、テネブラエ様。だ、誰かに見られたら……」


 嫌がりながらもフェンリルの尻尾は、激しく振られていた。


「大丈夫だよ。みんなにもやっているから。フェンリルのここは、ふかふかして、ぽよぽよだねぇ。アエラをよく見てくれているから、ご褒美だよぉ」

「な、何言っているのですか。単に貴女が楽しんでいるだけじゃないですか」

「えへへ、バレた。実は前から狙ってたんだ」


 テネブラエは、フェンリルの埋もれていた脇腹の体毛から顔を出して、小さく舌を出した。


「ちょ、ちょっと離れてもらえませんか。まったく、貴女ときたら、もう少し王としての自覚をお持ちください。それに、その格好……」

「ん、なんか変かな」


 と言って、回転すると、スカートの裾が捲り上がり、彼女の白いふくらはぎが垣間見えた。

 彼女は、髪の色と同じすみれ色のドレスに、紅紫色の丈の短い外套を纏っていた。大きく膨らんだ背嚢を背負い、その中にたっぷりと作物を入れているのだ。それに入りきれなかった物を両手で抱えている。

 ドレスは質の良さそうだが飾り気がない物で、王が召す着衣としては分不相応だった。しかも、ところどころ泥や埃にまみれている。きっと、その格好で農作業を手伝っていたのだろう。彼女は、他の王たちと違い、領民と混じり合い、苦しさも楽しさを共有してきた。それが彼女の人柄であり、彼女の国の国是となっていた。


『民の王』


 領民の多くが、彼女をそう呼ぶ。それは彼女への領民たちの最大の愛であり敬意だった。


「そういうところです! もう少し、こう、威厳というものをですね……」


 照れを隠すため、怒ったようにフェンリルは説教を始めるが、その激しく動く尻尾は嘘をつけない。

 彼女は、フェンリルに背を向けて、ほんの少し声をだして笑ってから、不貞腐れたように装い口を尖らせて歩みを進める。


「それに、あの者たちをかくまって、どうなさるおつもりなんです。あの何も力を持たない下等な者どもを、王会議でも処分が決定されたはず。これ以上あの者どもと関わると……」


 テネブラエは、カツッと靴の踵を鳴らして立ち止まった。

 先程の陽気な雰囲気から冷たい気配に変わる。そして、ゆっくりとフェンリルに振り向いた。


「貴方もルクス光の王みたいに言うのね」


 感情を込めない低い声でテネブラエは呟いた。彼女の紫色の瞳には怒りと悲しみが浮かんでいる。

 その表情を見て、フェンリルは自分のげんを後悔した。言うべきではなかった。だが、いつかは言わなくてはならない。それが、自分の主人あるじの望みであり、敬愛する彼女テネブラエをこれ以上おとしめないためにも。


「これ、誰が作ったか分かる」


 彼女は、両手いっぱいの作物をフェンリルに見せつけるように、少し持ち上げて見せた。


「それにこの服も。ただ理力が無いからって、蔑み、滅ぼしていいのかしら。少し教えてあげただけで、あの子たちはここまでできるようになったのよ。これも力では無いの。強さって何なの。守るべきものがあるからこその強さじゃなくて、貴方からそんな話を聞きたくなかったわ」


 彼女は、静かに。そして、力強く想いの丈を語ると、その瞳から大粒の涙をこぼした。

 強大な力を持つ王の一人とはいえ、周りからの圧力は強いのだろう。心労も並大抵ではないはずだ。普段の天真爛漫な仕草は、皆を心配させないように振る舞っているのかもしれない。それは、フェンリルも含まれていたのだ。


 彼女は、特別な眷族を持たない。

 そう、本音を語れる、真の意味で彼女を支える者はいないのだ。

 だからなのであろう、長きにわたる交流で築き上げてきた信頼から自分に少し頼ろうとしていたのかもしれない。

 そんなことも気づかない自分の愚かさに、大きな身体を縮めるように肩を落とした。


「申し訳ありません。失言でした」

「いいわ。貴方も誰かに言わされているのでしょう。でもねフェンリル、これだけは覚えておいて。互いの欠点を補いながら、力を合わせていく強さもあるのよ。それは、この国を見てきた貴方にも分かるでしょう」


 彼女は、視線を一度落とした。そして、泣き顔を上げて無理に笑って見せる。


「もし、私に何かあったら、あの子たちを守ってあげてね。こんなこと頼めるの、フェンリルしかいないから」

「そんな不吉なことを言わないでください。大丈夫です。何とかなりますよ」

「うふふ、アエラには内緒よ。二人の秘密。さぁ行きましょう。みんなが、待っているから」



 どうやら、いつものテネブラエに戻ったようだった。

 フェンリルは、安堵に息をつき、彼女の後を追って回廊を進んでいった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆


挿絵 テネブラエ

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