第十話 父親
二人の手前、恥ずかしさもあり、嫌がる素振りをしていたが、デンスはラディスに髪を切ってもらうのは嫌いではなかった。それどころか、妙な安心感だろうか、心地の良い気分になる。
コロンでは、狭いながらも各大隊固有の隊舎を持つことができた。マグヌス大隊は、新設されたばかりなので、増設された城壁に近い場所を割り当てられていた。
この場所は、城壁の直近なので危険度も高く、司令本部からも遠かったので、短所の方が多いと思われていた。司令部近くの隊舎に比べると遥かに間取りが広く快適で、会いたくない者たちとも離れているので、デンスたち一般の戦士たちにとっては何も問題はなかった。強いて挙げるならば、他の大隊の戦士たちとの交流が薄くなることだった。
二人は司令本部から戻ると、隊舎の正面にある庭に、椅子を二脚と小さな机を運び出てきた。
庭といっても正門から隊舎の入口までの広場の様なものだ。隊の集合や平時には簡単な訓練を行う場所として使用されている。敷地を囲む様に木々が植えられ、地面は芝に覆われており、訓練の休憩所としても使われていた。
その木陰に机と椅子を配置すると、ラディスは背負っていた背嚢を机の上に置き、中からハサミや櫛、雨よけの外套を取り出した。
「ほら、座るんだ」
ラディスは椅子に座る様に促すとデンスを外套で覆い、切った髪の毛が纏わりつかない様にする。それからデンスのボサボサの髪をしばらく櫛で丁寧に整えて、少しずつハサミで切り始めた。
辺りは静かだった。
陽が高いこの時間には、訓練をする戦士たちもいない。夏にはまだ早いが、すでに陽射しは強く、訓練を行うには適さない時間帯だからだ。もう二時間も経てば、誰かしらが出てくるだろう。
時折、涼しい風が頭上の小枝を揺らし、重なった葉っぱが心地よい音楽を奏でる。その心地よさに、デンスは微睡みそうになり、眠気を払う様に頭を振った。そして、ふと、疑問に思っていた事が浮かんだ。
「おいこら、大人しくしてろ」
「あのさ……、なんで俺たちをこんなに大事にしてくれるんだ」
「ん? 見苦しい姿をしているからな」
どうやら言葉足らずで伝わらなかったらしい。恥ずかしいがデンスは思い切って尋ねてみることにした。
「いや、他の隊だと俺たちみたいな新人は、下働きや囮みたいな危険な仕事をさせられている。だけど、この隊は逆だ。雑用は全員でやるし、危険からは一番遠ざけられている。さっきの蔵書室でやった事は、調査の訓練だろ」
デンスの問いに、ラディスはそんな事かと肩を窄める。
「そんなの当然だ。若い世代を大事に育てていかないでどうする。俺も後数年したら引退する。その後は誰が引き継ぐんだ。お前たち若い世代だろう。だからそれまでに技術や知識を教えて、一人前の戦士に仕上げとかなきゃならんのだ。それはヒト族の伝統だぞ」
だから……といって手を止める。そして、わざわざデンスの正面に移動して、視線を合わせる。それはとても真摯な目だった。
「だから、お前もその時が来たら、ちゃんと育てるんだぞ」
そう言うとラディスは、デンスの頭に手を置き、そして髪の毛をかき回す。
「おわっ、何すんだよ!」
「はは、終わったぞ。なかなかいい感じじゃないか。鏡を見てみろ」
鏡を手渡して、デンスに成果を見せる。
「あー、なんだこれ、短すぎるじゃないか!」
坊主とまではいかないが、かなり髪を短く切られていた。内心ではスッキリして気に入っていたが、次回はさらに短くされそうなので、一応苦情を言っておく。
「まぁまぁ、これから暑くなるんだし、いいじゃないか。どうせ、直ぐに生えてくるんだし」
デンスの不貞腐れ赤くした表情に、ラディスはちょっと調子に乗って切り過ぎたかと思いつつ、笑って誤魔化した。
◆
二人はそのまま机を囲んで、午後のひと時をまったりと過ごした。
少し小腹がすいたので、軽食と良い香りがする薬草茶を用意して、なかなか普段はゆっくりと話ができないので、戦いの為になる話からたわいのない仲間の馬鹿話など、雑談に花を咲かせた。
トーリスと違い、同じ団出身のマグヌスよりもこのラディスと馬が合ったのだ。それもそうだ、戦士に必要な知識や技術は彼に教えてもらった。そう、師弟の関係といっても良いかもしれない。
そしてまた、資料の話に戻った。
「でもさぁ、あの資料、現場で使えないと意味ないよね」
「そうだな、拠点で活用するのであれば、今までと変わらんし、蔵書室の惨状を見ただろう。そのままだと、絶対に読まないからな」
「もっと、こう、小さくて持ち運びがし易いと良いと思うよ」
「それと、量産のし易さも考えないと。あんな絵を筆写できる人材もそういないだろう」
「ラディスは、あの挿絵誰が描いたか知ってる?」
「いや、マグヌスが持ってきたが、誰が描いたかは言わなかったな」
「あれはマグヌスが描いたんだよ。アイツ、昔から絵がうまくて、しょっちゅう描いていたんだ。団の仕事をやらないもんだから、母さんや姉さんによく怒られていたよ」
「それは今でも変わらないな、アイツは」
二人は視線を合わせると吹き出して、笑い声が木陰を揺らした。
デンスは生みの親を知らない。
それは、ヒト族では特に珍しいことではなかった。
ヒト族の子供は生まれると直ぐに団に移される。子育てを専門に行う生産職の女性が担当する。生母も体調を整える為に、一ヶ月くらいなら付き添うことができるが、それ以降は元の職場に復帰しなくてはならない。
彼はコロンの生まれらしい。
母親も戦士として、このコロンで任務についていた様だ。
前線の拠点で妊娠した女性は、大抵は後衛の安全な拠点へ移されるはずだったが、彼女はコロンで出産をした。拠点での出産事態は特別珍しい事ではなかったが、種族の生存を第一としている以上、子供と母親はなるべく安全を心がけていた。危険度の高い拠点に留まるのはそれなりに理由があったのだろう。
母親の健康が良くなかったのか、
その話を聞いていた事もあってか、コロンを見てみたいという望郷の想いがあった。それもコロンに来た理由だ。
ラディスと出会い、親しくなるにつれて、彼に知らない父親の面影を重ねていたかもしれない。
それは、ラディスにも言えることだった。
「実はな、俺には娘がいるらしい」
「えっ、本当なの」
親子の絆が薄い時代で、両親が分かっている方が少ない。両親が分かっているのは、本来であれば良いことであろう。しかし、デンスの胸の奥でチクリと痛みが走り、気分が重くなった。
「ああ、娘の母親は、カイン城にいた頃、仲が良かった仲間だ。俺がコロンに移動になってからは、時折休みの日に会ってはいたが、忙しくなって次第に疎遠になってしまった。彼女も戦士だったからな」
「なんで分かったの?」
「母親が亡くなった事を手紙で知らせてきた。狼との戦闘で負った傷が元だったらしい。自分の死を俺に知らせてくれと遺言し、その時俺が父親である事を知ったそうだ」
「でも、自分に子供がいるって喜ぶべきじゃないの?」
「冷たい様だが、正直なところピンとこないんだよな。フィーナが死んだ事は残念で悲しいが、娘と言われても今まで知らなかった訳だし、それは娘もその様だ」
「えっと、娘さんは何をしているの」
「彼女もカイン城で、戦士候補生となったと。だからいつ死ぬか分からないから黙っておくつもりだったが、母親たっての願いだから知らせたそうだ」
「えっ、それだけ? 会いたいとかそういうのなかったの?」
「いや、何も。多分、戸惑っているんだろうな。俺もそうだし。それに、俺には手のかかる息子どもが、三人もいるからな」
「誰が息子だ。アイツらと一緒にするな! 俺は優秀だぞ!」
「ほっほう、じゃあ、資料の問題を解決してもらおうじゃないか」
憎まれ口を叩きながら娘さんには悪いが、密かにデンスはほっとしていた。もしかしたら、ラディスは娘の元へ行ってしまうのではないかと、気が気ではなかったからだ。
それに、デンスは息子と言われた事にとても喜んでいた。
しかし、なぜ彼は突然この話をしたのだろうか。そう疑問に思っていた。その答えは、ずっと後になって分かったのだ。
彼はとても優しい人だった……。
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