題九話 知識


「あああ、難しすぎるぜ! もっと、簡単に書いてくれりゃいいのによ!」


 机の上に本の山を作りその中の一つを読んでいたが、難解な妖精文字に阻まれて、遅々として読み進まず……デンスは本を机に放り投げた。頭をガシガシと掻き乱し、ボサボサの髪の毛をさらにホサボサにしながら別の本を取り出した。


「おい、デンス、こっちにいいのがあったぞ」


「さすがだ、セルビウス、どれどれ見せてみろよ」


「いや、お前もちゃんと探せよ、トーリス」


 セリビウスが、目的の一つである記述を発見した本を掲げると、隣の席に座っていたトーリスがその本を奪い取り、自分が持っている挿絵と見比べ始めた。

 この二人は同じ団の出身で仲が良かった。デンスとは違う団の出身だったが、マグヌス大隊の同期のよしみとして三人はよくつるんでいた。


 戦士たちは、ただ戦っているだけが仕事ではない。三人はマグヌスより調査の任務を言い渡され、朝からこの蔵書室にこもっていた。調査と言っても挿絵を渡されて、『蔵書室で、この絵に描かれている怪物や植物の特徴やら弱点などを事細かく調査せよ』といったものだ。


 各拠点には、大小の差はあるが、過去のヒト族が遺した記録や妖精族が書いた写本をおさめた倉庫がある。そこにある書籍は、成人した者であれば、誰でも閲覧できるのだが、この頃のヒト族は率先して活用する者は少なかった。


 三人は当初、楽勝の案件だと思っていたのだが、三面の壁に本棚が設置され、雑多になれべられている。所々で埃が積もっているので、利用されていないのがよく分かった。ここにある本たちは、なかなか手強かったのだ。

 ヒト族が書いた物は読み易いのだが、内容の薄さと間違いが多くあった。対して妖精族が書いた物は、内容云々の前に文章が難解であった。

 彼らは戦士候補生時代に、妖精族の固有言語を習ったが、必要最低限の基礎課程であった為、それぞれの種族の文化に関する言い回しはよく分からなかった。



「いや〜、今日は天気がいいなぁ、馬上訓練なんか気持ちいいだろうなぁ」


「俺は木の下で昼寝がしたい」


「二人とも真面目にやれよ。まだ一つも終わってないんだぞ」


 現実逃避を始めた二人をセリビウスが嗜めたが、彼も暫くすると行き詰まったのか、本を放り出し椅子に深々と持たれかかった。

 三人が押し黙ると遠くで小鳥の鳴く声が聞こえてくる。やがて心地よい涼しげな風が、開け放たれた窓から彼らを優しくなでた。三人とも瞼が重くなり、船を漕ぎ出した。


 三人が飽き飽きし、眠りの精霊が彼らの眼前に砂を撒き始めた時、入口の扉が開いた。微睡まどろんでいた三人は、その音にビックリして思わず飛び上がった。


「ん、お前たちここで何しているんだ?」


 書類の束を抱えたラディスが部屋に入って来ると、場違いな三人を見つけて訝しんだ。


「本に悪戯したら許さんぞ」


「い、いえ、隊長殿より任務を拝命いたしまして、調査を行なっているところであります」


 直立不動となったトーリスが、異様に畏まって返答をする。デンスとセルヴィウスは顔を見合わせて吹き出した。トーリスはラディスの事をかなり苦手としていたのだ。彼の日頃の行いのせいでもあるが、三人の中で最も叱られているので、ラディスの前では妙に畏まっていた。



「その割には……顔に跡がついてるぞ。それにヨダレ……」


 その言を聴き、トーリスは慌てて制服の袖口で顔を拭い、見栄えを整えようとする。ラディスは、片方の口角を上げると机の上の惨状を一瞥して奥の部屋へ向かった。奥は資料室となっており、各大隊の報告書やコロンの運営に関する記録が収められている。


「そのまま、しばらく出てこなければいいのに……」


「おい馬鹿、聞こえるぞ。また怒られたいのか」


 トーリスが独り言にしては大きな声で呟くと、お決まりの様にセルヴィウスが嗜め、慌ててトーリスは口に手をやるが、もう遅いだろうなとデンスは思っていた。

 すっかり眠気が去った三人は、作業に戻るのだが、相変わらず遅々として進まない。別の本を取り出しては、ページをペラペラと捲っては閉じるを繰り返す。再び本のページを眺めている状態となっていた。


 ラディスが奥の部屋から別の資料を抱えて戻ってきた。そして、机の空いている所へそれをドカッと置いた。


「これは、今まで関わってきた連中の成果だ」


 そう言いながら、ラディスはその資料の山を軽く叩く。


「これは、隊員たちに与えるマグヌスの試練だ。年々難易度が上がっているがな。お前たちが調べているのは、現状では最後の部分だ」


「なんだってこんな事を?」


「何言ってるんだ。お前も言っていただろう、簡単に調べる事が出来たらと。それに、同じ事でもそれぞれが知っている事を合わせれば、知識に深みができるってな」


 デンスは、首を傾げていたが、そう言われるとそんな事を言った気がした。新兵たちは、何事も一から覚えていけない。しかし、同じ事でも熟練戦士たちに聞くと、それぞれで答えが違ったりするのだ。きっとそれは、経験の違いからきている。だからそれぞれの知識を出し合いまとめる事で、新兵の教育だけでは無く、熟練者の知識の偏りを減らしていけるだろう。



「そうそう、参考に色々と持ってきたんだが、どうやら迷惑そうだからなぁ……」


 ラディスはそう言いながら横目でトーリスを見ると、トーリスは両膝をつき、彼の足に縋りついた。


「ああ、副長様、その様な事を言わずに愚かな我々へ、是非その賢きお知恵をお貸しください」


 デンスとセルヴィウスもそんなトーリスの態度を見て額に手を当てた。どんだけ自尊心がないのかと言ってやりたかったが、困っているのは二人も同じだった。恥も外聞もなく無心するトーリスの姿は、ある意味尊敬する。それで良い方向へ向かうのだから。


「ええい、鬱陶しい。わかったから、さっさと離せ!」


 さすがにラディスもトーリスの態度にウンザリして、深い溜め息をついた。そして、トーリスが縋り付いていたズボンを埃を払う様に、はたき整える。


「まったく……、この書類は隊の面々が書き上げたものだ、参考にするといい。終わったら資料室の我が隊の所に戻しておいてくれ。それと本はな……」


 ラディスは、本棚を眺めると一冊の本を取り出し、机に置く。


「これは、ドヴェルグの物だ。彼らは実直な性格そのままの文章を書くから、お前たちぐらいでもわかりやすい筈だ。今読んでいるのは、アルヴの物だろう。彼らの文章は、簡単に言うと詩だ。遠回しで分かりにくく、しかも長い。例えば『風が吹いた』という文章も彼らにかかると『精霊たちが舞い踊り、時には優しく、時には力強く、我らの周りを甘えて寄り添ってくる』と言う様になる」


「なるほど、それで意味がよく分からなかったのか」


「それは、もはや暗号だ」


「その傾向はあるのかもな。彼らは友好的に見えても心は開いてなかったりするからな。今、ドヴェルグやアルヴも数人来ているからいい機会だ。彼らと交流を持つといい。特にアルヴは身だしなみに厳しいからな」


 その言葉を聞いて三人は息を呑む。また始まったと。身だしなみに厳しいのは副長ではないかと三人は内心思っていた。が、口には出さなかった。出したら悲惨な目に遭うのは分かりきっていたので黙っていたが、嵐は去ってくれなかったのだ。


「おいデンス。髪がボサボサだぞ。いつも言っているだろう身の乱れは心の乱れだと。私が切ってやるからこっちへ来い」


 そう言ってデンスの襟首を掴んだ。


「お前たちもどうだ」


「いえ、俺はまだ大丈夫です」


「私もこないだ切ったばかりですので、次の機会にお願いします」


「そうか……。分かった、悪いがデンスを借りていくぞ」


 ラディスは、少し残念そうな表情をしていたが、デンスを引きずる様に引っ張って蔵書室から出て行った。


『裏切り者め〜』


 デンスは目でそう訴えかけていたが、二人は素知らぬ顔で作業に戻った。


「あれは坊主だな」


「まぁ、これから暑くなるのだし、いいんじゃないか」


 親友を生贄に差し出した二人は、顔を見合わせて爆笑したのだった。初夏が始まる穏やかな一日にであった。

 

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