第七話 追憶

 翌朝、カインライン大隊は日の出と共に、二番目の砦に向けて出発した。


 デンスは、渋りながらも約束通り『戦士の本』の製作の経緯を話してくれた。聴いてみると至極当然の内容であった。戦士たちには、誰もが打ち当たる壁があった。


 当然だが、始まりは誰にでもある。

 デンスが戦士になった頃には、まだ明確な役割が整えられていなかった。巡検士という専門の探索任務を主とした戦士もおらず、各隊の隊長の裁量がものを言う時代であり、拠点外の探索や採取の任務は、各隊が持ち回りで行っていた。

 新兵の教育も各隊に任されていた為、技量や知識もまちまちであった。


 優秀な隊長の元に配属された新兵は、幸運であったであろう。だが、中には新兵を囮に使う下衆な者もいた。当時、コロンに配属された新兵の損耗率は、実に七割に達していたのだ。地獄の拠点として伝わっていたが、それでも志願者は事欠かなかった。


 当時のコロンは、マグナ・マーテルの外にある拠点の中で、最大規模を誇り、北側に点在していた小規模拠点の中心地でもあった。この地域はかなりの危険を伴う場所だが、安全なノックスより土地が肥えていた為、各小拠点から運び込まれる農作物で潤っていた。

 飲食に事欠かず、はるかに美味いものを食す事ができたのだ。また、コロンで三年の任期を務めると、他の拠点へ小隊長として移動が出来る利点もあった。

 戦士候補生の課程を無事終了し、デンスも当然のごとく配属先をコロンに志願した。


 ここが当時と現在の大きな違いだ。現在では、直ぐに最前線に送られる訳では無く、さらに新兵過程を一年間、後衛の大隊で行い、その最終課程として前線任務を体験する。それも最前線ではなく、前線に程近い所で雑務を行う程度だ。この新兵課程を修了して、初めて前線に送られるのだが、送られた後も徐々に慣れていく様にされて、死なせない為の配慮が随所に組み込まれていた。この仕組みは、コロン司令官であるマグヌスが創作し、現在では戦士団全てに適用されている。




「今から思うと酷いものだ。餌で釣って人を集めて、何の教育もせず前線に送り込み、大量に死んでいく。さらに酷いのは、それを誰も疑問に思わないことだった。いや、いたが少数派だったな。一緒にコロンへ来た同期の戦士は、最初の一年でほとんど死んでしまった」


 デンスは当時の事を思い浮かべると、血を吐き出しそうに苦しげな声を出した。


「私が入隊した時は、今と同じ課程だったわ」


「ああ、ちょうど、フィオラが入隊する前の年に変えただ。マグヌスが、コロンの実権を握ったんでな。それに、ヴェテリウスのおっさんの後押しもあったし、あのおっさん、紳士然としていやがるが結構な強硬派だからな」


「なんかアレだね。クジみたいな感じだよ。運良く優秀な隊に配属されたら生き残り、運が悪ければ自分の能力を発揮する前に死んでしまう。僕は今の方がいいかな」


「その意味じゃ、俺も運が良かったんだろうな」


 デンスは、泣き笑いの表情を浮かべ肩をすくめた。彼の複雑な心境を表していた。

 デンスが幸運だったのは、同じ団の兄貴分であったマグヌスが、コロンで既に大隊長となっていたからだ。大隊長ともなると、隊の人事をある程度自由にできる。

 熟練の戦士を他の隊から引き抜く場合は、相手の隊との接渉も必要だったが、新兵の場合その様な問題は気にする必要がない。どの隊も人員の補充を欲しがっている為、新兵は選ぶ事も可能だが、大抵は団の先輩がいる隊に落ち着くのだ。



 このひよっこ共を見ていると、自分の若い頃を思い出して頬が吊り上がる。そうだ、何も知らなかったあの頃は、コイツらと同じ想いを持っていた。


『早く戦ってみたい。そして自分の力を試したい』


 若い戦士にありがちな想いをデンスも持っていた。任務前に士気を落とすかもしれないと気兼ねしていたが、話しておくのも良いだろう。


 死と別れの物語を。


 取り返しがつかなくなる前に……。



 ◆



 男は唾を飲み込んだ。

 こめかみから流れた汗が、頬に伝わり顎へ落ちてゆく。


「くそ! くそっ! マグヌスの野郎め!」


 男は、小声で自分の隊の隊長を罵倒する。

 ひと通り罵詈雑言を吐き出すと、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。この森では冷静さを失った者から死を迎える。彼は、大木を背に身体を覆うくらいの大盾を構えたが、剣はまだ抜かない。


 カサッ……。

 カサ、カサッ……。

 少し離れた所で、草木の擦れ合う音が聞こえた。


 男は、ゴクリっと音を立てて唾を飲み込んだ。そして、兜から突き出た鍔を掴んで位置をずらし、まぶかに被った。

 この兜は視覚や聴覚を妨げない様に、耳の上から鍔が張り出して、後頭部にかけてなだらかに首筋を包み込む様になっている。頭を動かすには少し不便だが、狼たちは頭や首筋を狙ってくる為、このちょっとした工夫が、かなりの効果を出していた。


「突進して来るつもりか」


 男は大盾を地面に突き刺して固定すると、腰を落とし両手で盾のグリップ掴んで、突進を受け止める態勢をとった。


 目を細め、音が聞こえた場所を窺っていると、男の左側の茂みから突如現れた。反射的に左腕を掲げて盾がわりにした。その腕に狼は噛みついた。全身の大部分を金属製の鎧身につけているので、狼に咬まれたとしてもかなりの時間耐えられるはずだった。

 右手でグラディウスを引き抜き、狼の腹に突き刺した。狼は悲鳴を上げ、後方へ飛び退る。腹から血をボタボタ流しているが、致命傷には程遠い。


 グラディウスは、盾役の戦士がよく装備する、刃渡り一パスアス(約五十センチ)の剣先が鋭角に尖っている幅広の剣だ。剣にしては短めだが、大盾で攻撃を防ぎ、その隙に突き刺す為のものだ。


 狼から目を離さず左手で大盾を掴もうとした時、強烈な痛みが走る。狼の噛みつきで、左腕の金属製の手甲がへこみ、どうやら骨まで行っている様だった。


「やばい。これは不味いぞ」


 額から痛みと焦りから脂汗がジワリと浮き出てくる。


「クソッ! どうする!」


 正面でウロウロしている狼を睨みながら、頭の中はフル回転していた。その時、右側からもう一匹の狼が現れ、飛び掛かって来た。


「しまった!」


 男は、死を感じた。右に視線を逸らした時、視界の隅で正面の狼も飛び掛かって来るのが見えたからだ。その時だ……。


 パァン。

 パァン、パァン、パァ-ン。


 軽い破裂音が立て続けに、森に鳴り響いた。


 キャン。

 ギャウン。


 悲鳴を上げた狼たちは、あらぬ方向へ落ちた。そのまま起き上がって来る事はなかった。

 そして、男も腰が砕け、ヘナヘナと地べたに座り込んだ。

 

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