第四話 試練の行軍

「あ〜、退屈だ。なんか起きねぇかな」


 クッション代わりにしていた背嚢に身を沈め、ボースはゴロゴロしながら言った。ヒト族の平均より大きな身なりをしている為、大型の馬車であるが、多くの物資も積まれた馬車では、窮屈そうにしていた。


「そんな不吉な事言わないでよ。ボースが言うとなんか起こりそうで怖い」


 カインライン大隊の馬車は、一列に隊列を組み進んでいた。

 今日は雲一つない快晴で、秋口とはいえ汗ばむくらいであったが、時折吹いてくる風が、その不快感を爽やかに飛ばしてくれた。

 カイルは、きちんと馬車の座椅子に座り、銃を立てた状態で辺りを窺っていた。ここは、外地だ。内地と違い、いつ何が現れるか分からない。が、この馬車に乗っている連中は、緊張感というものからかなり離れたところにいた。それは、仕方が無い事かもしれない。


 馬車は、山岳地帯に入り、左右は低めの崖に囲まれている。道はかなり荒れており、速度を落としていても揺れはかなり酷いのだ。出来れば街道の整備を行ないたいところだが、コロンが建設されて以降もその計画はない。狼たちがこの辺りに出没する事は減っているが、それでもゼロではないのだ。

 そんな事で、同乗の新兵たちは、馬車酔いでグッタリとしていた。


「まあ、これも最初の試練よねぇ」


 御者台から振り返り、フィオラが優しげに話すが、少し困った表情をしていた。昼の休憩時に、酔い止めにと、物凄く苦くて後味がスッキリとする薬草茶を振舞ったが、一時間も経つと新兵たちの胃には何も残っていなかった。


「ああ、余裕をぶっこいているが、ボースだって、最初は、それはそれは、もう大変だったぞ」


 今は、デンスが手綱を握っており、横目で笑った。


「そ、それは、しょうがないだろ。こんな荒れた道を急ぐからって、物凄い速度で走ったんだから」


 ボースは、焦り気味に起き上がり、顔を赤らめて言い訳じみた事を言った。


 そうなのだ、カイル以外の新兵は、顔を青くし身動きせずに、自分と戦っていた。背嚢を枕がわりにして寝てる者、馬車の縁に伏せる者、黙って座席から遠くを眺めている者と、それぞれが楽になろうと、もがいていた。


「そういえば、カイルは何ともないの?」


「う〜ん、特に何ともないけど。何でみんなそうなったのかな? 出発した時は、あれだけ元気だったのに」


 カイルは、疑問に思って小首を傾げていた。



 ◆



 出発時は、カイン城の送迎にいたく興奮し、初めて見る外の世界にいたく感動していたのだ。皆、カイン城の外に出るのは初めてだった。

 ノックスは、断崖絶壁の高い山脈に囲まれていた。ほとんどの種族は、この山脈を越える事ができない。だからこそ、内地は安全だった。その山脈には、北、南、東の三箇所に亀裂あり、深い谷となっていた。そこが外の世界と出入りできる道となっており、防衛拠点の一つとしてカイン城があった。カイン城周辺の崖からは煙が湧き出ていた。炉から出ている煙だろう。その為、モヤに覆われ幻想的にも見える。


 雄大な山脈がどこまでも続き、朝日を浴びて金色に染まっていた。すでに山頂は雪帽子をかぶっており、太陽の光で銀色に煌めいていた。

 ヒト族は、この山脈をマグナ・マーテルと呼び讃えていた。母親が小さな子供を守る様に、貧弱なヒト族に大地の恵みを与え、外敵の脅威から守ってくれているからだ。


「おお、外から見るとこんなに綺麗なんだ」


「ねぇ、見て見て。あれって雪でしょ。もうすぐ冬なんだね」


「カイン城って、あんなに小さかったんだ」


 新兵たちは、初めて外から見るマグナ・マーテルとカイン城に、それぞれ感嘆の声を挙げてはしゃいでいた。この光景は、きっと生涯忘れる事なく、心に刻まれる事だろう。


 その山脈を眺めていたカイルも、ただただその美しさと雄大さに見惚れていたが、美しい山脈に見える深い亀裂が、どことなく傷を負った姿に見えた。


 そして、何故か、悲しそうな表情を浮かべたレナ・シーの姿を見た気がしたのだ。


(あれ、何でだろう。確かに凄く綺麗な人だったけど、なんで思い浮かんだんだろう)


 思わず赤面したカイルは、その幻覚を振り払う様に頭を振り、再び亀裂を見た。そこには、小さなカイン城の姿があり、自分はさらに小さな存在だ。この広い世界では、単なる砂粒でしかない。


 少し高くなった青空に、問う。


 自分は何の為に、生まれてきたのだろう。そんな想いが、ふと浮かび不思議に思った。



『貴方は、私たちの希望……。貴方たち家族の愛と優しさを利用する私は、確かに魔女なのでしょう』



 その声に気がつかず、カイルの意識は仲間に移っていった。



 ◆



「でさ、カイルよ。昨日はどうだった?」


 ボースが近くにいたカイルの袖を引っ張り尋ねた。


 カインライン大隊は、新兵たちの胃以外は、特に問題らしい事は起きずに滞りなく進んだ。日が傾き背後から受ける様な時刻になり、日没前には砦に辿り着くだろう。

 あまりにも何事もなく進むと人はだれるもの。熟練の戦士たちは、それが致命的になる事を知っているが、新兵たちはまだ知らない。ここまで来ると馬車酔いにも慣れてきたのか、話せる余裕が出てきた。それでも節度を守り、小声で話す程度であった。

 本来であれば、警戒を怠らない様に新兵に注意して、気を引き締めさせる役目のはずのボースが、この状況に一番だれていた。当然暇つぶしをしたくなる。



「どうだったって、何が?」


 カイルは、声を掛けられた事で、警戒への集中が途切れた。随分と身体のあちらこちらが強張っている。銃を足下に置いて、少し痛くなり始めたお尻の位置を変えた。そして、両手を上げて背筋を伸ばすと関節が鳴る音が聞こえる。


「そりゃ〜なぁ、決まってるじゃねえか。なあ、みんな!」


 ボースの話を振られた仲間たちは、何を言っているのか思い至ったらしく、急に顔を赤らめソワソワし始めた。同僚の男女で、お互いに視線を交えては不自然に逸らしたものもいた。


「? 何なに、なんなの?」


 そんな仲間たちの挙動不審な動きに、カイルは自分だけが意味がわからずに少し焦った。そんなカイルの反応に、ボースは唇の片方を吊り上げた。そして、カイルに顔を近づけ小声で尋ねた。


「昨日、アウレアと出かけたんだってな。で、どうだったんだ?」


「まぁ、楽しかったよ。兄姉たちは相変わらずだったし、弟妹たちも元気だったね。太母が少し元気が無かったのが気になったけどね」


「違う違う、そんな事を聞きたいんじゃない」


「はぁ、言っている意味が分からないんだけど」


 カイルは、ボースの不可解な言種に不機嫌そうに眉を顰めた。


「だ〜か〜ら〜、アウレアとどこ……うっ」


 流石にボースもカイルの鈍さに辟易して、直接聞き出そうとした時、後頭部に冷たい鉄の感触を感じたのだ。


「ボ〜ス〜、それ以上言ったら、その腐れた頭を吹き飛ばす!」


「やっぱり兄としてはだな、弟妹たちの事を知っておきたいじゃん……って、やめろアウレア」


 脅す様な低い声を出しても、アウレアの声は少し高めで可愛いらしいので、まるっきり脅しになっていなかったが、ボースが余計な事を言うと、無言で撃鉄を上げた。その音を聞いて、ボースも焦った。

 正面からアウレアを見ているカイルは、引き金に指を掛けていないので、脅しだと分かっていたが、何かの衝撃で暴発しても自業自得だと溜め息をついた。アウレアが怒っているという事は、また何やらよろしくない事を言っているのだろう。

 その時、前方から爆発音が轟いた。


「わひゃっ」


 ボースは奇声を挙げて、思わず飛び上がった。

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