第二話 リメスでの敗北
コルヌが去ると、前衛部隊は再び戦闘準備に入った。それと同時に鳴子が鳴り始めた。鳴子には、針金やロープを使って触れたものの振動が伝わり、砦にある木の板が鳴る仕組みだ。オレウスの協力のもと、かなり遠方から仕掛けられている。それぞれに番号が振られており、どの地域の罠が掛かったのか分かる様になっていた。それを見ていた戦士が青ざめて叫ぶ。
「前面三方から、ああ、すごい速度だ!」
仕掛けられている鳴子のほとんどが、次々と鳴っては沈黙している。沈黙した物は、罠が壊されたのだろう。敵は間近に迫っていた。
「刺激弾をばら撒け! 炸裂弾と新型銃の装備! 火の準備も忘れるな!」
先任の小隊長が部下に命令を下した。クローヴィスは、腰袋から望遠筒を取り出すと、筒を引き伸ばして森の奥を伺う。まだ、何も変化は無かった。
辺りは、定期的に視界の妨げになる雑草は排除してある。また、黒泥と言われる粘着性がある液体もばら撒いていた。植物の成長を阻害し、その匂いを狼たちは嫌っていた。
準備が整ったと思った時、狼たちがかなりの速度で迫ってきた。今まで散々やり合った大紫狼だが、いつもと数が違った。
通常は数頭で群れを作り行動している。それが今回は十数頭で現れたのだ。だが、戦士たちも慌てない。この木の上にある砦には手を出すことができず、狼たちは時折吠えるか、ただ砦の下をウロウロとするだけであった。
戦士たちは、黒泥に足を取られ転倒したり、動きが鈍った狼を新型銃で確実に屠っていった。しかし、それも奴が現れるまでのことだった。
大紫狼の中でも一際大きな個体が、ノシノシと黒泥をものともせず、ゆったりと現れ、咆哮をあげる。
「な、なんだ」
その狼の咆哮を聴いた戦士たちは、頭の中をかき混ぜられた感覚を覚え、何をすべきか分からなくなり、放心していた。
「何をしている! 黒泥に火をつけるんだ!」
クローヴィスは、そんな状況を見て怒鳴りつける。周りの戦士たちは、その怒鳴り声によって目が覚めた様に、元通り動き始めた。弓矢を持っていた数人が、黒泥に向けて火矢を放つ。そして、さらに別の場所にも撃ち込んでいく。
だが、思ったより火の手は広がらず、数匹の狼を巻き込んだ程度だった。
「どういう事だ? なぜ、広がらない!」
その思いは、皆同じだった。それでも、狼たちを砦に近づけてない効果はある様だった。狼たちは火の外側で、ウロウロして時折こちらを見て唸り声を挙げていた。
「だが、これで一息つける」
「しかし、さっきのは、何だったんだ」
戦士たちは、一息つけた安心感と不安感からか、話せずにいられなかった。いつの間にか、リメスを数十匹の狼たちが取り囲んでいたのだ。それは、今までに無い規模だったからだ。休憩も直ぐに終わった。一匹の真紅の狼が近寄って来たからだ。
「みんな! 気を付けて! アイツは、火属性だから」
オレウスが、注意を促した。
真紅の狼は、火を気にせず歩いて来る。そして、火の中に留まると、火が狼たちを避ける様に動き出し、空中にいくつも拳大の炎の球体を創り出した。
「オレウス! アイツは何をやっているんだ!」
「火の雨が来るよ! みんな、隠れて!」
クローヴィスは、背筋に悪寒を覚え、オレウスに問いただそうとした。それをオレウスは無視して警告を発したが、すでに遅かった。
真紅の狼が、ニヤリと笑った気がする。
炎の球の群れは、渦を描きながら上昇し、砦の上空に達すると空中で爆発して、散らばり広がった。細かくなった炎の粒が、各巨木にある砦の一つに降り注ぐ。炎の粒が砦に燃え移り、そして、砦が爆発した。中に保存されていた火薬に火がついたのだろう。近くにいた戦士の数人が巻き込まれ、悲鳴を上げながら地上へ落ちてゆく。この高さから落ちたら絶望的だ。その倒れている戦士たちに、狼が群がって行く。
思わずクローヴィスは、視線を背けたが、隣にいたオレウスは凝視していた。顔を青ざめ、僅かに震えて小声で呟いていた。
「そう…か。道理で……。何で……、アイツら…ソウルイーター……なのか」
「おい、どうした? 何を言ってるんだ」
クローヴィスは、オレウスの肩を揺らす。が、火の雨がこちらにも降り注いで来た。クローヴィスは、呆けているオレウスを抱えて、後方の砦に駆け込んだ。振り返ると外側にある多くの砦は燃え上がっていた。巨木自体にも火が燃え移り、森に広がっていった。
火を逃れて、戦士たちが吊り橋を走って来たが、一瞬耳が痛くなる音がしたと思ったら、戦士たちと共に橋が落ちた。
「何が起きているんだ……」
「あれは、『風の刃』だよ。風属性もいるね」
いつもの明るさが消え、気落ちした様にオレウスが答えた。
それを聴いたクローヴィスも、どう対策を練り対抗すべきか分からなかった。妖精族から理力の事を聞いていたが、これ程の事が出来ると初めて知ったのだ。クローヴィスは決断した。
「オレウス、撤退用の鏑矢は持っているか」
「矢先はいくつか持ってるよ」
「全部使ってくれ、なるべく多くの者を帰したい」
オレウスは、砦に備え付けてあるロープを持ち出し、砦よりさらに上の枝に巻き付けて登って行った。そして、全方位に向けて鏑矢を放った。しばらくすると、その音を聴きつけた戦士たちが数人集まって来た。
「クローヴィス隊長、あれは何だったんだ」
「オレウスによるとあれが理力らしい」
「あれが理力……」
戦士たちは顔を見合わせ、ある者は唇を噛み、ある者は拳を握り締めた。やっとの想いで、狼たちに対抗できるところまで来たと思っていたのに、理不尽な力を見せつけられたのだ。
「残りはこれだけか」
「いえ、あの見えない力で、吊り橋を寸断されているので、抵抗しながら別の経路で撤退している者たちもいます」
クローヴィスが尋ねると、戦士の一人が答えた。それを聞き安堵もしたが、死を覚悟している戦士とはいえ、多くの犠牲者を出してしまった事に、陰鬱な気持ちを抱いていた。
(もっと、力が欲しい。奴らを殺し尽くせるくらいの)
クローヴィスが、暗雲な想いに心を支配されようとしていた時、オレウスが叫んだ。
「クロ! 左! 北東!」
オレウスは、狼たちの動向を見張っていたのだ。いつもの間延びした口調ではなく、緊張した声で鋭くクローヴィスに促した。クローヴィスは、そちらの方向を見ると絶句した。
「何なんだ、あれは……」
人の身の丈二人分あるだろうか、橙色の体毛をした巨大な狼がそこにいた。その狼は、咆哮を上げると体毛が金属質に変化して鈍い輝きを放つ。クローヴィスたちを見つけると、地響きを上げながら駆けてきた。
「全員退避だ!」
クローヴィスは、瞬時に叫んだが、その突進には間に合わなかった。橙色の狼は、クローヴィスたちがいる巨木に激突した。その衝撃で、クローヴィスたちは砦から投げ出された。
死ぬ時は世界がゆっくりとなると、よく言われていた。
自分は、ここで死ぬのか、そう思うと妹の美しい顔が浮かぶ。いつも会うと悲しそうに微笑む顔だ。自分が死んでしまったら彼女はどうなるのだろうか。ささやかな幸せを掴んで生きて欲しい。彼の願いはそれだけであった。クローヴィスは、地面に落下して行く数秒の間に、妹への想いが頭の中に浮かんだ。
目を瞑り衝撃を覚悟した時、身体が浮かぶ感覚を覚えた。目を開けると、オレウスに掴まれて、滑空していたのだ。ロープがまるで蛇の様に動き、木の枝に絡みつく。そこを起点に滑空し別の巨木へ飛び移ったのだ。直ぐに振り向いて、今までいた巨木を見た。
あれほど太い巨木が折れて、砦は無惨な事になっていた。戦士たちは怪我を負っている様だが、奇跡的に生きていた。
クローヴィスは、彼らを助けようと身を乗り出すが、オレウスが信じられない様な力で彼を止める。クローヴィスは、怒りに身を任せて、振り払おうとするが振り払う事が出来なかった。彼はオレウスを睨め付けたが、彼は悲しそうに首を横に振る。そう、手遅れなのはクローヴィスにも分かっていた。
彼ら戦士たちは、銃や剣で抵抗を試みるが、一人また一人と狼たちに襲われ死んでいく。最後の一人が叫んだ。
「クローヴィス! 生きろ! 後は、任せたぞ!」
そう叫ぶと、彼も狼の群れに飲み込まれてしまった。
それを見届けると、クローヴィスは力無く膝をついた。そして、力いっぱい拳を枝に叩きつける。オレウスが、クローヴィスの肩に手を置き、優しく慰める様に話しかける。
「行こう、クロ。彼の願いを叶えるために。ヒト族は、生き残った者が、役割を引き継ぐんでしょ。ここは、危険だから」
狼たちは、二人を見失っている様で、辺りをウロウロしていた。逃げるのであれば、今のうちであった。
「…ああ……」
クローヴィスは、ゆっくりと立ち上がった。オレウスは、心配そうに見ていたが、術の効力が消える前に立ち去らねばと考え、先に立ち進み始めた。オレウスは、長髪に隠れた彼の顔を見ていなかった。だから気付かなかったのだろう。親友がどんな想いをしていたのか。
顔を上げたクローヴィスは、長髪に隠れた顔が現れる。切れた唇から血が溢れ、口元を赤く染めていた。その瞳からは光が消え、闇に澱んでいた。
憎しみに溺れて……。
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