第三話 一日の始まり(上)
雨が降っている。
寒い……。
泥に塗れ、冷たい雨が体の熱を奪っていく。
それも流れ出る血のせいか。
目の前が、暗くなってくる。
このまま死んでいくのか。
こんな所で……。
まだ、何も出来ていないのに。
仲間たちを助ける事もできず、あの人たちの犠牲を無駄にして。
目頭だけがあつい。
涙がこぼれ落ち、冷たい雨と混ざり合う。
心が冷えてくる……。
『貴方は、力を望むのか。それとも強さを求めるか』
美しく優しい、それでいてどこか懐かしい声が語りかけてくる。
『お前は、何をしたい』
別の声が語りかけてくる。それは、力強く厳しい、だが温かい声だ。
僕はーーーー。
その声に答えようとした時、白い光に包まれ……。
見慣れた岩の天井が映る。
「また、あの夢か…」
手の甲で目を擦ると、涙の滴がつく。
どうやら夢の中で泣いていたらしい。
急に恥ずかしくなりあたりを見回すが、部屋の中は薄暗く表情を見ることはできないだろう。窓と通路から漏れる明かりで、かろうじて物が置かれている場所がわかるくらいだ。しかも同室の住人たちは、まだまだ夢の世界から戻っては来ていないようだ。
カイルは、ホッと安堵して窓の外を見る。外は暗いが、空は白くなり始めている。日課である朝の訓練の時間が近づいている。
温かいベッドは名残惜しいが上半身を起こし、両手を上げて軽く伸びをする。二段ベットの上段のため、それだけで指先が軽く天井に触れるくらい狭い空間だ。
備え付けの小さな収納棚から陶器の水差しを取り出して、木のコップに注ぎ一気に飲み干した。その後、腰をかがめながら毛布をたたみ、寝台を整えると、枕元に置いてあるゴワゴワした着心地が良くない革製の制服に着替える。二段ベットの上から皆を起こさない様に静かに降りると、そっと通路にある洗面所へ向かう。
湧き出る泉から水を汲み、口を濯ぎ顔を洗うと水の冷たさで身が震える。寝癖がついた髪を水と手櫛で整えながら夢のことを思い出す。
ここ連日、同じ夢をよく見る。
何か危機が迫っているのだろうか。
カイルは昔からよく夢を見る。
何かを知らせる内容だが、大概その状況になってから分かるのだ。七年前のあの時もそうだった。
ブルリと身体が震える。
そう、五日後、特別任務で『外』の拠点に向かうのだ。悪い予感を振り払う様に、頭を振り顔を両手で打って気合いを入れる。
この区画は、新兵に割り当てられているが、新兵たちは適正によって様々な部隊に配属されている。その為、まだ朝は早いが、当直から戻って来た者、これから任務に向かう者、カイルと同じように訓練に向かう者などとよく出会う。それぞれに挨拶を交わしながら部屋に戻るが、同室の住人たちはまだ熟睡中だった。
新兵たちは狭い部屋におしこめられている。二段のベッドが四台あり、最大八人で寝食を共にする。カイルの部屋は幸運なことに六人しかおらず、他の部屋の住人たちよりは、少し余裕がある。これは特別なことではなく、同じ配属先の同僚と一緒になる為だ。カイルが所属する大隊に配属された新兵は、カイルも含め九名。うち四名は女性で、女性用の区画で居住している。もう一人、居座っているが、気にしない様にしよう。
実は居住区の部屋はかなり余っているが、新兵の一年間は、命のやり取りをしている戦士として、仲間の事をよく知っておくのも重要だった。いざという場合に備えて、共同生活は良きにしろ悪しきにしろ、強制的に相手を知る事になる。ヒト族にとって財産と呼べるのは、自分と仲間しかないのだから。
もうすぐ訓練期間が終わり、それと共に一般戦士と同じく二人部屋へ移動することになるだろう。その最終訓練が、『外』の拠点への遠征だとカイルは思っていた。
「ほらほら、そろそろ訓練の時間だぞ! 起きろー!」
カイルは手を叩いて起こそうとするが、皆イモムシの様に布団にくるまってモゾモゾ動くだけだ。
「そんな事だとまたデンスにしごかれるぞ!」
流石に上官の名前を出されると反応し始めた。
「頼む、今日は休みなんだ、もう少し寝かせてくれ」
「ううう、気持ちが悪い〜〜」
「かいる〜みずを〜、うぇ」
「頭が〜割れる〜」
「ごぅおーがっー」
それぞれの反応しつつ、いや、一人爆睡中もいるが、カイルは頭を振って呆れていた。
『こいつら昨夜、何やってたんだ?』
カイルは上官の仕事を手伝っていて、かなり遅い時間に部屋に戻ってきたが、部屋には誰もいなかったのだ。不審に思いつつも疲れのせいか、そのまま眠ってしまった。夜中、騒がしかった様な気がしたが、例の夢のせいか目が覚める事はなかった。
確かに、今日は一日休みを与えられているので、同居人たちをほっといて訓練に向かうことにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここはカイン城、過去の英雄の名をつけた城だ。
城と言っても後年建設される都市を防衛する為の様な城ではなく、山脈に刻まれた深い谷を封鎖する門としての城塞だった。
もともとは、妖精のドヴェルグ族が建設した城だが、妖精族と盟約を結んだ際、ヒト族が防衛に
土木作業が得意であるドヴェルグ族が長年居住していた為、切り立った崖も要塞化されており、崖の内部は複雑な構造のトンネルが掘られている。中層から上層部には、居住区や生産工廠などの設備も整えられていた。新兵へ割り当てられている居住区は、一番上層にある為、登り降りにかなり体力を使う。そのおかげで、新兵の体力増強の訓練になっているのは、軍上層部からの嫌がらせだけではないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます