第七章 聖女のハープ

第一話 銀匙亭

 二本のトンネルが開通した半年後、人や馬車の往来が可能となり、私は十七歳になりました。


 ダロワ殿と婚約してからずい分と経った気がしますが、婚姻の儀はノウル兄上さまと同時に執り行われることになっております。その兄上さまは現在ノース帝国の政務でご多忙のため、未だ日程は定まっておりませんでした。


 それはそうと、料理長エリオットに身内の不幸があったため一カ月ほど暇を出しました。彼がいなくても厨房は回りますが、やはり味は一段も二段も落ちると言わざるを得ません。


 そのため普段から料理人任せだった朝食は別として、昼食と夕食は領内の料理屋を利用することになりました。そこで各料理屋に週ごとにまとめて清算するとの了承を得た上で、使用人たちにはツケで好きなお店を利用して構わないと伝えたのですが……


「やっぱりあそこよね!」

銀匙スプーン亭、あそこしかないわ!」


「あのふわっふわのオムレットが、トマトソースで炒めたチキンや細かく刻んだ野菜とライスの上に乗ってて、それをナイフで割って一緒に食べるのよね!」

「あんなの今まで食べたことなかった! エリオット様のお料理も凄いと思ったけど、お金を出しても惜しいと思わなかった料理は初めてだったわ!」


 メイドたちがこんな話していたのです。


 ところが最初の週の清算先に銀匙亭の名前はありませんでした。不審に思ってローランドに確認したところ、どうやらそのお店はツケに同意しなかったようなのです。


 理由は新鮮な食材の仕入れに毎日現金が必要で、たとえ週ごとの清算でも、代金を後払いにされては仕入れが出来なくなるからとのことでした。


 それなら仕方ありませんし、領主としての命令ではなくこちらはお願いする立場ですから、同意しなかったからといって罰するつもりもありません。


 ただ、ツケにしなければ使用人たちは自腹を切るしかなく、それですと契約にある食の提供に反することになります。これは由々しき問題ですので、今後銀匙亭で食事した場合は領収書を提出してもらうことにしました。


「ねえカーラ、銀匙亭というお店はご存じ?」


「はい。出来たのはつい最近ですが、領内では人気があるようです」

「そう。貴女は行ったことは?」


「何度か」

「美味しいの?」

「それはもう!」


 彼女はそこで食べた時のことを思い出しているのでしょう。何となく表情がうっとりしているように見えます。執務室には私とダロワ殿しかおりませんが、油断しているに違いありません。


 私は専用通路でお城に行って、父上さまや兄上さまたちと食事を共にしておりましたが、領内にそのような料理屋があるのなら利用しない手はありませんわね。


「ご興味がおありでしたら、オリビア様たちと行かれてみてはいかがですか?」

「まあ、リビィも行ったことがありますの?」

「そうお聞きしております」


「私は何も聞いておりませんのに」

「お嬢様はお城に行かれてしまうではありませんか」

「確かにそうですわね」


「ただあまり大きなお店ではありませんし、多くの護衛を伴われますと迷惑になるかも知れません」

「でしたら私たちだけで参りましょう。ダロワ殿はお留守番でよろしいかしら」

「構ワンゾ」


「ただ……」

「あらカーラ、何か問題でも?」


「と言いますか、行かれるなら早めの方がいいと思います。お昼の食事時になると混みますので」

「そう。ではすぐにリビィたちに声をかけてきて下さる?」


「かしこまりました。それとお嬢様、もう一つ……」




 ハミルトンさんは恋人のゾルディアン殿と約束があるというので、リビィとケイトさんを誘って銀匙亭へと向かうことになりました。

 ところがその出がけです。


「いくらお昼を食べに行くだけだと言われましても、我々にはご領主様をお護りする義務がございます!」

「ですから目立たないために、このような格好をしているのですよ」


 カーラがもう一つと言ったのは服装についての助言でした。貴族然としていては、周囲に気を遣わせてしまうと言うのです。


 そこで私はいつもの裾が広がったくるぶし丈のピンクのワンピースから、白のブラウスとブラウンの膝丈スカートに。リビィもケイトさんも似たような出で立ちです。


 生地も粗末ではありませんが決して高級とは言えない、それこそ平民でも気兼ねなく買えるような物でした。これなら一般的な町娘に見えることでしょう。


「しかも馬車も使わず徒歩でいかれるなんて……」


「町娘が馬車で庶民の営む料理屋に行くなんておかしいでしょう? 歩いて十分ほどとのことですし大丈夫ですからご心配なさらないで」


「ご領主様、我々はそのようなことを申し上げているのではありません! 護衛もなしに市井しせいに出るなど看過出来ないと申し上げているのです!」


「ピート殿、控えて下さい。ご領主様にそのような口調は不敬ですよ」

「しかしオリビア様……」


 ピートとは領主軍小隊長の一人です。


「私たちを思ってのことでしょうから口調を咎めるつもりはありません。むしろ貴方たちの気持ちはとても嬉しく思います。でもリビィとケイトさん、それにハミルトンさんの三人の時は止めなかったのではありませんか?」


「失礼を承知で申し上げます。ご領主様とお三方では身分が違います。ご領主様はこの領の領主である前に、帝国皇女であらせられることをお忘れなきよう。

 貴女様は我が国の至宝。我々は皇帝陛下からそのように仰せつかっているのです」


「そう言われましても、貴方たちまでついてきてしまったら落ち着いて食事も出来ません」

「…………」


「それではこうしましょう。貴方たちも私服に着替えてきなさい。帯剣もなしです」

「ご、ご領主様!? しかしそれでは……」


「我が領主軍兵士は、剣がなければ私を見捨てて逃げるのですか?」

「そ、そんなことは断じて致しません! この身を盾にしてでもご領主様をお護り致します!」


「ならば問題ありませんわね。護衛としてついてきたければ私服に着替えて帯剣しないこと」

「ぐっ……」


 十メートル以上離れ、お店が混んでいるようなら外で待つこと。さらにこんな条件を飲ませて、私は彼らの同行を許可したのでした。

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