第九話 黒竜信仰

 神殿の落慶式はおごそかな音楽から始まり、ベッケンハイム帝国貴族によるアントデビス陛下を褒めたたえる体験談が、約一時間に渡って続きました。これにはさすがに辟易へきえきとさせられましたわね。


 それらが終わり、ようやく私の入場です。


 すでに壇上の来賓席には父上さまとウラミス兄上さま、それにアントデビス陛下以下、帝国の重鎮と思われる貴族の面々が着席しておられました。


「お集まりの皆様、本日の晴れやかなる日に、この黒竜神殿の落慶を迎えられたこと、心よりお慶び申し上げます」


 壇の中央に進み、私がそう言って軽く頭を下げると、会場から大きな拍手が巻き起こります。


 落慶式に招かれた帝国貴族は五十人ほどと聞きました。彼らは壇下一面に敷かれたカーペット上に用意された、三人掛けソファ三十脚にそれぞれ二人ずつ着席しておられます。空いているのは予備でしょう。


 そしてその後ろには、およそ三百人の一般参列者たちが、カーペットに直座りしておりました。非常に高い倍率の抽選を勝ち取った方たちだそうです。


「私は幼き日に黒竜殿と出会い、友誼を結びました。そして我が国は一年ほど前、ジルギスタン・連合王国軍による侵攻を食い止め、これを統一。

 新たにコートワール帝国を建国し、貴国との不可侵条約締結に至ったのです。


 ですがこの時すでに、北のヘイムズオルド帝国が不穏な動きを見せておりました。かの帝国が擁するは赤竜部隊。その数は最低でも三十騎以上です。赤竜は竜族の中では最も小さな種族ですが、ワイバーンでは太刀打ち出来ません。


 そこでアントデビス皇帝陛下は、我が国に黒竜部隊による助けを求められました。


 黒竜殿は申されました。神殿を建て、私を巫女みことし、百人の信徒に勤めさせよと。それが貴国を護る条件だと。


 聡明なアントデビス陛下はすぐに神殿建設に取りかかられ、今日この日に、晴れて落慶式を迎えることが出来たのです。


 黒竜殿の力は強大です。私たちちっぽけな人間がどう抗おうとも、砂粒一つほども損なうことは叶いません。


 ですから彼らが護って下さるということは、神の盾を得たにも等しいということなのです。


 畏れなさい。そして崇めなさい。さすればこの国の未来は明るいものとなるでしょう。

 これをもって、落慶の祝いの言葉とさせて頂きます」


 ここでまた大きな拍手と声援が起こりました。そして壇下の最前列に、百人の信徒たちがずらりと一列に横並びします。


 実は黒竜信仰の信徒は予定の倍の二百人を超えており、今回の百人には貴族の子女と、見た目のいい平民の女性ばかりが選ばれたそうです。その選考方法は少々気に入りませんが、帝国の式典なので仕方なしと致しましょう。


「こちらに並ばれた方々は、今後この神殿でお勤めして頂くことになります。彼女たちにも温かい拍手をお送り下さい」


 百人が揃って優雅に一礼すると、集まった方たちは三度拍手と声援で迎えて下さいました。


「さて、この落慶式に先立ち、私はアントデビス陛下よりあるご依頼を賜りました。そのご依頼とは、黒竜殿のお姿を拝したいとのことです。


 黒竜に限らず竜族は普段結界でその身を覆い、我々人間には不可視の中で過ごされております。


 ですが本日のみ、わずかな時間ではございますが、そのお姿を集まった皆様に見せて頂けることとなりました」


 ここで、今日一番の歓声が響き渡りました。この件はアントデビス陛下以下数名にしか知らされていなかったため、壇上の貴族の中にさえ驚きの表情を浮かべている者もおります。


「これより一時間の後、黒竜殿には神殿に向かって右側の敷地に立って頂きます。高さはお城の塔よりも高い五十メートルほどとなりますので、近寄り過ぎると返って見づらくなりますし危険です。

 どうか慌てずに、互いに譲り合ってお待ち頂きますよう、お願い致します」


 ダロワ殿がお姿を現される敷地部分は立ち入り禁止とされ、すでに神殿の警備兵が護っておられました。その脇をすり抜けるように、結界で不可視となった彼が敷地へと向かわれます。


『合図は任せる』

「かしこまりましたわ」


『我を見たいなどと、人間とは酔狂な生き物だな』


「普通ならお目にかかれる相手ではございませんもの。ご面倒を聞き入れて頂きありがとうございます」

『構わぬ』


「では、私は神殿のバルコニーに向かいますので、手はず通りにお願い致します」

『うむ』


 それから程なくして、予定の時刻がやって参りました。バルコニーからは皆が整然と並んでいるのが見えます。また、神殿の敷地外にも多くの方が詰めかけておられました。


 きっとこの一時間の間に、黒竜が見られるとの噂が流されたのでしょう。


「お待たせ致しました。黒竜殿、姿をお見せ下さい!」

「「「「おぉーっ!!」」」」

「「「でっけぇっ!!」」」


 波が引くように結界が解かれていくと、巨大なダロワ殿のお姿が始めはぼんやりと、次第にくっきりと浮かび上がって、集まった方々の前に現れました。


 その光景に感嘆の声を上げる者、腰を抜かす者など反応は様々です。ですが、ただお披露目するだけでは意味がありません。


 ここから私とダロワ殿とで考えた、ある催しのスタートです。アントデビス陛下はもちろん、父上さまや兄上さまにも内容は秘密にしておりましたので、さぞや驚かれることでしょう。


「黒竜殿、わたくしをその背に」


 祈りを捧げるように胸の前で手を合わせると、半透明の淡いピンクの球体に包まれ、私の体がふわりと浮き上がりました。球体は言わずと知れた結界ですが、色を付けたのはもちろん演出です。


 これにはさすがに皆も言葉を失って、ただただポカンと口を開け、こちらを見上げるばかりでした。


「畏れなさい。崇めなさい。そして、この地に黒竜が舞い降りたことを誇りに思うのです!」

「「「「うおぉぉぉっ!!」」」」


 地響きを起こすほどの大歓声が、周囲の空気を揺らしました。そこで再びダロワ殿が結界を張り、私ごと皆の前から姿を消したのです。


 私はバルコニーに戻され、ダロワ殿も人間の姿に戻って隣に来られました。不可視の結界は張られたままですので、皆には私たちの姿は見えません。


 それでも彼らの興奮は冷めやらず、一人としてその場を去ろうとする者はおりませんでした。


『なかなかによい余興であったな』

「うふふ。これで私もダロワ殿と共に崇められますわね」

『我も満足だ』


 人間は酔狂だと仰ってましたのに、少しは楽しんで頂けたのでしょうか。


 その直後、父上さまと兄上さまが血相を変えて、バルコニーのある神殿の最上階のお部屋に飛び込んでくるのでした。

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