第四話 一人の女

「モートハムが同盟を拒否しただと!?」

「は、はいっ!」

「理由は!? 理由はなんだ!?」


 王国の使者はモートハム聖教皇国で要人扱いすらされず、教皇に会うことも叶わなかった。通常ではあり得ない対応である。


 通されたのは聖教本部の応接室で、会えたのは枢機すうききょうでも大司教でもなく司教クラスの役人。つまり少し多めの寄進を申し出た程度の貴族と同等の扱いを受けたのだ。


 これは一国の使者をないがしろにしたと言っても過言ではない。


「コートワール公国と絶縁した我が国との同盟は、黒竜を擁する公国に対して敵意ありと見なされる可能性があるとのことで……」


「そ、それが拒否の理由か!」

「はい……」


「正式にモートハム教を国教とする件は!? 新教会の建設は!? 伝えたのだろうな!」


「も、もちろんでございます。ですが……」

「ですが、なんだ!」


「鼻で笑われました……」

「なっ……」


「そればかりか……」

「他にもあるのか!?」


「我が国との交流は官民とも一時的に制限すると……」

「な、なんだと!?」


 食料供給など人道的見地からある程度の貿易は認めるが、それ以外は民間の人的交流も含めて厳しく制限するというのである。もちろん領民の移住は許可されず、婚姻に関しても以降は一切認めないとのことだった。


 司教クラスの役人にこのようなことを決する権限などあるはずがない。つまり、すでに皇国ではジルギスタン王国の扱いが決定していたということだ。


「連合王国が侵攻してくるのも時間の問題ではないか……」


 誤算どころか大誤算である。ユグノレスト国王は使者の報告に、ただただ頭を抱えるしかなかった。



◆◇◆◇



 ジルギスタン王国からの使者ザンドルが、父上さまに追い返されてから数日後、私はお忍びでヴァスキーダロワ殿と共に城下へ出ておりました。


 とは言ってもすでにあちこちで私の顔は知れ渡っておりますので、お忍び自体が城を出る口実でしかありません。


「おや、公女様じゃないか。そちらの騎士様は初めて見る……騎士じゃないんだ。それにしてもいいオトコだねえ」


 革ベルトではなく腰紐ということに気づいたようですわね。


 この方はフィオラさん。果物を売る小さな露店の女将さんです。以前彼女に因縁をつけていたならず者を、私が同行していた護衛騎士に命じて捕らえさせたところから、親しく声をかけてくれるようになりました。


 当初は私を下級貴族の令嬢か商家の娘くらいに思っていたらしいのですが、命令を下した相手が公国騎士と気づいてまさか、となって血の気を失ったわけです。


 ですが私も市中にはお忍びで来ていたつもりでしたので気にしないようにと宥め、堅苦しいことは抜きとしてお付き合いを続けているのでした。


 護衛騎士を伴っているのにお忍びもなにもない。そう父上さまに言われた時には私の方が血の気が引きましたけど。


「今日は騎士様たちはいらっしゃらないのかい?」

「ええ、今日はこちらの……」


『ダロワで構わぬ』

「ダロワ殿と二人ですの」


 そういうことでしたら、これからはそのように呼ばせて頂きましょう。何だか愛称で呼んでいるみたいで少し親近感を感じます。


 こんな思いもきっと読まれてしまっているのでしょうけど。


「おやまあ、そうかい。てことは公女様のいいお人ってことだね?」

「はい?」


「だってそうだろ。既製品の騎士服を着せて連れ歩いてるんだから」

「あ……ち、違います! 彼はその……」


「いいっていいって。それにしてもアンタ本当にいいオトコだねえ」

「女将モイイ女ダゾ」


「あらあら、やだよぉ、こんはオバチャン捕まえていい女だなんて」


 ダロワ殿の口からお世辞が飛び出すとは想いませんでした。


『世辞などではない。この娘の魂は清く美しいぞ』


「えっ!?」

「どうしたんだい公女様。急に変な声出して」


 数千年の時を過ごしてきた黒竜のダロワ殿にしてみれば、たかだか数十年生きただけの人間の女性など、小娘でしかないのかも知れません。


 それにしても果物屋の女将さんが清い魂の持ち主だったなんて、いいことを教えて頂きましたわ。


「な、なんでもありませんわ。それより今日のお薦めは何かしら?」

「熟したリンゴが入荷はいってるよ。そりゃもう、甘いのなんのって」


「ではそれを頂こうかしら。ダロワ殿もお一ついかが?」

「オ前ガ言ウナラモラオウ」


「あらま、この人ったら公女様に向かってお前なんて言ったらダメじゃないか!」

「よ、よいのです。ダロワ殿もお気になさらずに」


 面倒なことになりそうでしたので、私はフィオラさんからリンゴを受け取ると、ダロワ殿の腕を引いて早々にその場を立ち去りました。


 ところで先ほどから道行く女性が、例外なく彼を見て息を呑んでいるようです。彼の容姿を考えれば無理もないことなのですが、当の本人にしてみれば煩わしいことこの上ないでしょう。


 人間になど興味がないのですから、怒りに触れれば辺り一帯が焦土と化してしまいかねません。


些事さじだ。気にせずともよい』

「ですがあまり目だちすぎるのも困りものですわね」


 しかもこの度の国交断絶騒ぎにより、私がジュクロア王子から婚約を破棄されたことは、多くの国民の知るところとなっております。


 そんな折に公国一、いえ、大陸一と言っても過言ではない美丈夫と連れ添っていれば、面白おかしく噂をする者が出てこないとも限らないのです。


 私はそのような輩を相手にしたいとは思いません。ですが私に対して無礼だからと言って、消し炭にはしないで下さいね。大切な国民には変わりはありませんので。


『心得た。害意なくば捨て置くとしよう』

「やっぱり。消し炭になさるおつもりでしたのね」


『当然だ。お前は唯一、我の宝なのだからな』


「た、宝……!? もう! またおからかいになられたのですね。知りません!」

『そのような意図はないのだが何を拗ねているのだ。人間とはよく分からぬ生き物だな』


 相手は黒竜、相手は黒竜……


 そう思って何とか気持ちを抑えるのですが、きっとそんなことは理解出来ないのでしょうね。私はこのまま朴念仁の黒竜に、惹かれてしまってよいのでしょうか。


『構わぬぞ』

「もう! またそうやって!」


 でも私の心を知って拒まないということは、少しは期待してもいいのでしょうか。


『お前は我が伴侶を望むか。以前も言ったが、お前であれば拒む理由はない』

「ど、ドロワ殿!?」


『うたかたの人の身の一生なれど、その最期の時まで共に過ごすのも悪くはない』

「ま、まだそうと決めたわけではありません!」


 黒竜にデリカシーを求めた私が悪いことはよく分かっております。でも……


 でも、私だって公女である前に一人の女です。


「このお話はしばらく保留で……」

『構わぬ。好きに致せ』


 黒竜が乙女心を理解する日はくるのでしょうか。


 ですがその時、彼が優しげな微笑みを浮かべていることに、不覚にも私は気づけないでいるのでした。

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