第4話 青山土取場の戦い

「ところでくるみちゃん」

「何か?」

「俺、どういう状態なのかってことを知りたいんだけど」

「……知らないわ」

「え?」

「私が知っているなら最初から教えるわよ」

「そ、そっか……、そうだよね」


実際のところ、くるみはなぜ悠月がいるのかわからない。

くるみ自身も、なぜここにいるのかが分からない状態である。


「俺は吉田郡山城を散策していたんだけどさ……」

「そう……」

「……何か関係があるのかな?」

「……もしかしたら、だけど。忘れて欲しくない、って先人たちの気持ちがそうさせているのかもしれないわね」

「そうだったら、良いな」

「……私も、似たようなものだから。吉田郡山城ではないけど、近くの城跡を散策していたらいつの間にか貧血みたいな状態になって、気が付いたら戦国時代の合戦を見ていた、ってところよ」


尼子誠久らは1万人ほどを動員し、城下に火を放ちながら徐々に吉田郡山城に迫ろうとしたのが見えた。

「尼子方、本当火を放つパターンが多いな」

「あの時代、火計はポピュラーだったもの。そうじゃなきゃ兵糧攻めか」

「確かに」


これを察知した毛利元就は積極的な攻勢を加える指示を下す。

家臣は兵数の不利を訴えたが、元就は不意討ちなら必ず勝てると唱えて軍勢を三手に分けた。

「不意打ちなら、か」

「数ももちろん、正面切ってでは毛利勢が不利の戦いだから……」

「確かにそうだよなぁ」


第一軍は渡辺通・国司元相・児玉就光に兵500を預けて、城の西方である大通院谷から出た先で伏兵とした。

第二軍は桂元澄・粟屋元真などが率いる200人で、こちらも伏兵として青山に近い場所まで密かに南進させた。

そして第三軍1,000余は、元就自身が率いて正面から尼子軍を引きつける役割であった。

「元就自ら、なんだな」

「そうね。恐らく、この戦いで毛利軍は元就が大将でしょ? 一番存在感がある人をど真ん中に置いて誘い込んで挟撃をする、という解釈で良いんじゃない?」

「そういう解釈もできるんだね。おもしろいよな、本当に歴史ってやつは」

「ええ、そうね」

くるみはほんのりと微笑んでいた。


元就率いる本隊は、赤川元保の手勢400余を先鋒に、尼子軍の三沢為幸・亀井秀綱・米原綱寛らと激戦を展開した。

そして、数刻に及ぶ戦いで両軍の疲労が色濃くなった頃を見て、伏兵の渡辺・国司・児玉勢が左翼から、桂・粟屋勢が右翼から突撃したため、尼子軍は大混乱となって壊走。

毛利軍の追撃は、青山の麓にある尼子本陣の外柵を破壊して内部に侵入するまでに至った。青山土取場の戦いと呼ばれるこの戦いにより、尼子軍は三沢為幸ら500人が討死する大きな被害を受けた。

毛利勢の奇襲が実を結んだ形になったのである。


その後、尼子方にも毛利方にも援軍が到着することとなる。

尼子氏の支援によって佐東銀山城に戻っていた武田信実が、毛利軍の背後を突こうとするが、般若坂にて国司元相勢によって撃退される。

恐らく、尼子方へと援軍が来ることに対して、予測していたのだろう。

その後も、随所で毛利軍と尼子軍の小競り合いはあったものの、戦況に影響を与えるような合戦は発生しなかった。


一方で、元就より救援を求められていた大内義隆であったが、実は頭崎城攻めのため既に防府に出陣しており、尼子軍の侵攻に対して杉隆相を早々に毛利への後詰めとしている。

ちなみに、防府は今の山口県に当たる。

この山口県と言うのは、毛利輝元以降の毛利家には非常にかかわりが深いのである。


また、義隆自身も岩国に本陣を移し、大内軍主力を率いる陶隆房は厳島神社にて戦勝祈願を行った後、翌日には安芸海田(現在の広島市)に上陸した。

隆房は、まず杉隆相が抜けた頭崎城攻めの陣営に加わり、その後に、内藤興盛らと共に10,000の軍勢を率いて吉田郡山城救援に向かったのである。

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