青春裂傷

青春裂傷

「おばちゃん、ラムネちょーだい!」


 夕暮れの田園風景というものは、たとえそれを見た人が都会育ちであるとしても、どことなく郷愁を感じさせるような、そんな不思議な力がある。

 

「よっし、じゃあ今日もやるぞー! ラムネ一気飲み大会だー!」


 小学5年生くらいの男の子が、同級生の女の子の手をぐいぐい引いて駄菓子屋の店先までやってくる。二人の手の中には先ほどここで購入したラムネ瓶が握られていた。

 ふたりはたびたびここでラムネを買っては、それを一気に飲み干してどちらがよりシュワシュワを我慢できるか、という一種の我慢対決のようなものをしていた。

 だいたいいつもは男の子のほうが勝つのだが、今日に限っては女の子のほうも多少なりとも自信があるようだった。


「……あたし、今日は負けないから!」


「そう言っておまえ、いつもちょっとしか飲めてないだろー」


「なっ……! あたしだってまいにちソーダ飲んでるもん! しゅわしゅわにももう慣れたし!」


「本当か~? 奈々ななはまだまだ子供だからな~」


「あ、アッツーだって、きのういっしょに怖い映画みて、一人でトイレいけなかったでしょ? まだまだ子供だよ」


「それはしょうがないだろ! ……奈々だって似たような感じだったろ」


 アッツーと呼ばれた男の子は気まずさをごまかすように咳ばらいをすると、今度はニヤリと不敵な笑みを浮かべて話を戻した。


「じゃあ……今回の我慢大会で負けたら、罰ゲームで好きな人を大声で叫ぶことにする」


「えっ……」


「たまにはこれくらいないと、つまんないだろ?」


「そ、それはそうだけど……ほかになかったの?」


「恥ずかしい思いをするかもしれない、って思ったほうがやる気出るだろ」


「あ、アッツー鬼だよぅ……」


「お、もしかして奈々って好きな人いるの?」


「言わないよぅ! それはあたしが勝負に負けたらでしょ……!」


「わかったわかった、じゃあ勝負な。一回口をつけたら飲みきるまで絶対に離すなよ」


「わかってるよ……」


「よし、じゃあせーの――」


 と、二人して瓶に口をつけようとして、ふと声をかけられた。


「あ、あのっ」


「――っ⁉ ごぼ、ごほっ、けほ」


 びっくりした男の子が振り向く。そして思わぬ美少女との邂逅に目を見開いた。

 そこには、一人の女の子が立っていた。

 ミルクチョコレートのような滑らかな茶色の髪に、あどけない顔立ち。年齢は男の子たちと同じだろうか。けれど身にまとう雰囲気は少しだけ大人びて見える。


「けほ、けほ……だ、誰だよ?」


 ほんの少し早まった鼓動を悟られないように、ぶっきらぼうな口調で男の子が聞くと、少女はとなりの駄菓子屋を見て言った。


「その……ここって、ラムネ売ってますか?」


「え、ラムネ? ラムネならそこにあるぞ」


 男の子は近くにあった冷凍ケースを指さす。少女はぱあっと顔を輝かせたのち、ぺこりと礼をしてケースへ足を向かわせた。

 その後ろ姿を見た男の子がぽつりと言葉を漏らす。


「……へんなの」


「ん? アッツー、どこが?」


「……わざわざラムネであそこまで嬉しそうにするか? 普通」


「んー……ただ単純にラムネが好きなんじゃないかな?」


「珍しいやつもいたもんだな」


 ふたりはよくラムネを飲むが、別にラムネだけを愛飲しているわけではない。コーラやジンジャーエールなど、他の炭酸飲料も交互に飲んでいるため、特にこれが大好きというものもなかったのだ。

 そのため、店にラムネが置いてあることを知って顔をほころばせたあの少女が、特に男の子にとっては、少しだけ不思議に映ったのである。


「……じゃ、気を取り直して再開な」


「う、うんっ」


 男の子と女の子は向き合うと、それぞれ持ったラムネ瓶を同時にかたむける。

 炭酸特有のシュワシュワが食道を通り、なんともいえない感覚を運んでくる。

 男の子はこの感覚が好きだった。

 いつ飲んでも新しくて、意外性があって、不規則なその感覚に、たまらなく興奮した。

 ラムネの炭酸は、決して色あせることはない。

 いつでも自分たちに新しい刺激を与えてくれて、飲むたびにその刺激が変わる。

 男の子は、いつまでもその感覚が続いてくれたらいいな、と思った。


「ん――――っ!! もう無理ぃ!」


 ついに炭酸に耐え切れなくなった女の子が口を離した。

 唇にはまだパチパチ、じんじんとした感覚が残っている。


「よっしゃ、今日も俺の勝ちだな!」


 ガッツポーズをとる男の子を恨みがましい視線で睨む。が、すぐにその視線を落とした。


「うぅ……アッツーにだけは言いたくなかったのに……」


「それで、奈々の好きな人はいったい誰なんだ?」


「ううううぅぅぅぅっ!!」


「唸ってるだけじゃわからないだろー?」


 やがて、女の子は涙目になりながらも大きな声で叫んだ。

 ……それを聞いた男の子が目を見開く。


「え、マジ?」


「……ううっ、だから言いたくなかったのに」


「ああ~……えっと、まあ、なんだ」


 男の子は彼女に近づくと、肩に手を置いた。


「俺も別に悪くはないと思うけど……でも、たぶん付き合うのは難しいと思う」


「……えっ、どうして?」


 急に不安そうな表情を浮かべる彼女を見てぽりぽりと頭を掻いた男の子は、いまだに冷凍ケースの前でラムネを選んでいる例の少女を見やった。

 どれも同じ瓶なのに真剣な顔をして見つめている少女の横顔は、いまの時刻も相まって、とても綺麗に映った。

 ……ありていに言って、彼もよくわかっていない。さっきまでは赤の他人だったはずの彼女に、どうして自分が惹かれているのか。具体的にはいつ惹かれたのか。

 

「……そいつにも、好きな人ができたんだよ」


「…………?」


 ミルクチョコレート色の髪の少女。

 彼女のあどけない横顔が。

 ようやくお目当てのラムネ瓶を手に取ったときの表情が。

 弾むように駄菓子屋のおばあちゃんのもとへと向かった仕草や挙動が。

 どうしても、治らない傷跡のように男の子の頭に残り続けた。

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