僕たちはラムネをかたむけた
こんかぜ
プロローグ
プロローグ:青かった僕たちは
青春といえば高校生活の代名詞。
映画にせよアニメにせよ曲にせよ、学園を舞台とした作品は必ずそこに青春要素を付加する。
はじけるような青、青、青。
――例えば、未成熟な少年少女がひと夏の出来事をきっかけに急接近し、さまざまなアクシデントを経て、最終的には結ばれる。
遠くの水平線に沈む夕日は、まるで宝石のような光を海面にまぶし、鮮やかなオレンジ色の残滓を散らす。
それに包まれながら頬を赤らめて向き合う少年少女たちの、いったいどこが青春でないと言うのだろうか。
または、学校からの帰り道。とおくとおく続く田園風景のなかをのんびりした速さで通過していく一台の自転車。そこには相思相愛のカップルが二人乗りしている。
男はサドルにまたがって自転車をこぎ、女はそんな彼の腰に手を回して荷台に腰かけている。
まるで辺りの景色が二人のためだけにあるような、そんな錯覚。木造の小屋に取り付けられたおんぼろ水車が、かぽん、かぽんと水を運ぶ音だけが聞こえる。
そんな、あまりにも手垢がついた青春の一コマは、しかし普通の高校生には願っても手に入らない極上の体験であったことは火を見るよりも明らかだ。
……と、まあ、このような風景こそが道行く人100人に聞いておよそ90人が答えるであろう「青春」というやつだ。
青春。アオハル。呼び方はなんだっていいが、もし俺がこれの別称を考えるならば、それは「ラムネ」だ。
小さいころに勇気を出して飲んでみたラムネ。はじめは炭酸特有のシュワシュワにびっくりして顔をしかめた子供がほとんどだろう。
でも、何度もなんども飲んでいるうちに、舌が炭酸の刺激に慣れてしまい、いつしかラムネを飲んでもなんとも感じなくなってしまう。特にコーラとかジンジャーエールとか、ラムネ以外の炭酸も飲んでいた人ならなおさらだ。
青春もこのような現象とまったく似ている。はじめは相手を傷つけないようにおそるおそる言葉を選んだり、デートの場所を決めたりしていた一組のカップル。
けれど、毎日会っているうちに、自然と相手がとなりにいることが当たり前となってしまう。青春という刺激に慣れて、一緒に居てもデートしてもキスしても、なにも感じなくなってしまうのだ。
――だから、青春というのはラムネのように青く、そして慣れやすい。
この「青さ」というのも時には俺たちの足かせとなる。頭も体も大人に近づいているのに、根本的なところがまだまだ青くて未熟というのが高校生という生き物だ。
だから、たった少しの間違いで、俺たちは道から足を踏み外すことがある。大事な選択を間違えてよからぬ結果を引き起こすことがある。
子供だからまだ取り返しはつく、なんていうのは大人の妄言にすぎない。確かに高校生はまだ完全な自立はしていないから、親の力を借りてどうにかこうにか取り繕うことはできるだろう。しかし、本人たちの心に刻まれた失敗という経験は、刺青のようにそこに残り続けるもの。
とある夏の日、俺は青春から足を踏み外した。まだ心が未熟だったが故の失態だ。もう取り返しのつかないことは当人である俺が一番よくわかっていた。
それと同時に、二度と仲間のもとへ戻ることはできない、という現実も未熟ながらひしひしと感じていた。
――あの日。あの夏。青かった僕たちは。
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