第126話「すべてを賭けて 1」

 少年王が降伏の旨を伝えたのは、満月が欠けたその日だった。


「如何なさいますか、皇帝陛下」


 インフェルノに右目を潰された騎士団長オールエン・ドウルフゥスターは、主君の前で頭を垂れながら書状に書かれたその事実を告げる。レキシアからの書状の内容に周囲の大臣たちからは当然という声を上がった。


「あんな北方の小国風情が勝てるわけもないのだ」

「分不相応の夢を見てからに。調子に乗った結果よ」

「さて、我らに手を出した罪は属国程度では到底許されんのぉ。どうしましょうか、陛下」


 厭な笑みを浮かべながらレキシアをどう料理するのか、それを相談する大臣たち。だが、その分不相応の夢、そのものには嘘はない、ただの事実でしかないのだ。それぐらい、帝国とレキシアの間には巨大な戦力差が合った。

 だがそれでも、頭を垂れるオールエンは思う。レキシアは、あのインフェルノは柔な相手ではなかった。決して油断してはならない相手であったと。


「陛下、どうなさいますか」

「……」


 皇帝の答えが欲しい、属国ではなく隷属させるのか。完全に力を奪い飼い犬とするか、その答えを。多くの視線が集まり欲望がすべてを焼き付かさんとする中、天蓋の後ろにいる皇帝は、その口をおもむろに開いた。


「レキシアの王、セルシオ・ベータ・ル・レキシアの首を」


 それは事実上、レキシアがバフムーラに隷属し表舞台から姿を消すことであった。


 ****


「そうか、やはり余の首を欲しがるか」

「そのようです」


 セルシオが送った書状の内容に、皇帝の意思とされる返答が返された。その内容はそのまま皇帝の意思であるセルシオの首のみが書かれ、まさにレキシアの歴史が幕を閉じようとしていた。


 それが狙いとも知らずに。


「となると、余の処刑は帝都か」

「はい、その際すべてのレキシア軍はレキシアから出ることを一切禁止し、軍は解体。概ね、狙い通りかと」


 セルシオの身柄が帝都に渡されるということ。そして帝国が警戒するのはインフェルノが率いる煉獄と影であるタルタロスとしたら、この状況は類を見ない最高の陽動となるだろう。


「警戒されるのは軍の全てと影のすべて……か。お前も警戒されそうだぞ、インフェルノ」

「構いません、それも狙いですから」


 帝都にいるすべての兵が警戒するとしたら、まず間違いなくセルシオとともにいるインフェルノだろう。レキシアの軍の要はインフェルノである。それは周知の事実であり、間違いはない。だが、それで留めるほどインフェルノは間抜けではなかった。


「私の存在は陛下と同様大きな陽動となる。その間に少数精鋭で敵の城を落とす。それが作戦です」

「そうだな。これで終わらなければ、どちらにせよレキシアは滅ぶ」


 シンプルな作戦内容に、セルシオは目を閉じる。この作戦は正直不意をついた汚い戦い方だ。きっと先人の王たちである祖先に顔向けできないほど、卑怯で卑劣な戦い。きっと父であった先王であればこんなことはしなかっただろう。


「だが余は余。きっとどんな結果になろうとも、過程や手段が卑劣であろうとも余は決して諦めない」


 この先の行く末が地獄であろうとも何も変わらない。龍を喰い殺す獅子のように、自分は獲物にとって最高の餌であるように。


「インフェルノ、準備をしろ。これより余は戦地に向かう」


 覚悟を決めたその王の顔を、インフェルノは脳裏に焼き付けるように見つめた。自ら愛し、守り通すと決めた王を自分で送り出す。なんと滑稽で屈辱的なのだろうか。


「はい陛下、ご武運を」


 だがそれをセルシオが自らの道と定めるのなら、送り出すしかないのだ。


 ****


 思い出すセルシオとの会話をなぞりながらインフェルノは遠くを見つめる。遠くに見える帝国軍の黄色の旗。それは間違いなく獅子王の旗だった。


「インフェルノ閣下、陛下はご出立なされました」

「嗚呼、分かっている」


 ラヴィベルトの言葉に、インフェルノはそっけなく答えては視線を決して逸らさない。駐在する獅子王は、煉獄の赤い旗と対峙するように陣を展開しており、いつでもこちらを潰す気でいるようだ。


「随分と挑発的な態度だな」

「我々が何もしなければ動くことがないでしょうが、動けばどうなるかわかりません。閣下のことは最も警戒されるでしょう」

「……動かなければ……か」


 だろうな、こちらが動かなければ皇帝の意思は絶対であるあの騎士団長殿は動かないだろう。ただし、こちらが怪しい動きを一つでもしたらそれを大義名分として潰しにかかってくるだろう。


「あの男は、私をどうしても殺したいようだからな」

「? インフェルノ閣下?」

「なんでもない、陛下が国境を出るまで決して何をされても動くな。全軍に厳命しろ」

「っ、はい! ただいま!」


 今ここで攻め入る隙を与えてはいけない。インフェルノが警戒しているのは、獅子王が王都に攻め入り落とすことでセルシオの処刑が早まってしまうという最悪の状況だった。


「この右腕の借りは、まだ返すわけには行かない……か」


 風に揺れていく右袖。中身はオールエンの目と引き換えにくれてしまった。きっとあの男も同じだろう。借りを返したくてしかない。あの戦い、もしあのときなんの邪魔も入らず、インフェルノとオールエンだけだったのならその勝敗はわからなかっただろう。分かることはただ一つ、この二人の内どちらかが死んでいたことだけは確かだ。


「次あったときは、必ず殺す。必ずだ」


 セルシオに仇なす者すべて、必ず殺す。それが最強の国でもそれが最強の相手で、戦うのが無謀だとしても。


「お前を殺す、オールエン。それしか道はない」


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