第123話「敗北の結果」
帝国軍が王都から撤退してから約一日が経過した。その間、レキシア軍は王都にて防衛の陣をひき負傷兵の治療や、物資の補給をし始めていた。そして治療される兵は一般兵に限らず、英雄たるインフェルノまでもがいた。
「それで、インフェルノの容態はどうだ?」
「それが思っていた以上に体への負担が大きいです。まともな応急措置もせずに今まで戦ってきた影響か、傷の状態が悪すぎます。今は治療を終えましたが、とてもじゃありませんが戦場に立つことはできないでしょう」
「……そうか」
大きな怪我として右腕の欠損、肋の骨折。体の至る所に怪我という怪我があり、今までインフェルノがどこにいたのかをありありと知らしめていた。
「私は平気です。今でも動けます」
「余の気のせいか? お前は黙って傷を治せ」
取り尽く島もなく早々に言葉を切り捨てられたインフェルノは、不満げな雰囲気を出しながらセルシオを見るが、それこそ無駄というものだろう。この場合、怒り狂っているセルシオに話が通じるはずもなく、セルシオの今まで見たこともない眉間のシワにより、周囲に威圧感を与えるままインフェルノのいる医務室にまで来たのだ。
「はぁ……わかりました。とりあえずインフェルノ閣下は完治するまでここから出ることを禁じます。よろしいでしょうか陛下?」
「なっ……」
「ああ、それでいい。インフェルノ命令だ。完治するまでここから出るな。いいな?」
「へいっ」
「いいな?」
「……拝命いたします。陛下」
決して何も聞かない姿勢を見せられて、他に何が言えよう。命令と言われそれを拒否することなどインフェルノにできるはずもなく。インフェルノはしばしの休息が与えられることとなった。
しばしの話し合いの末決まったインフェルノの休息。そのための報告に医務官が出ていった後、残された二人はただ黙っていた。冷たい沈黙が周囲を冷やす。
「インフェルノ……」
沈黙を破ったセルシオは、暗い顔をしたままインフェルノの右袖を掴む。そこには本来あるはずだったぬくもりは存在せず、ただ薄い布のみがセルシオの手にあっただけだった。なくなった腕は、インフェルノの利き腕だった。それがなくなったのは、あまりにも耐えられる現実ではない。
「痛かった、か……?」
「陛下……」
何を馬鹿なことを聞いているのだろうか。痛くないわけがない。苦しくない訳が無い。自分の腕を失って正気でいられるのは、とんでもない精神力が必要だろう。いまインフェルノが何を思っているのか、自分がいくら考えてもわからない。だから、こんな馬鹿なことを聞いてしまったのだろう。
「痛かったですね。失ったときは」
「! ……そうか」
「ですが、後悔などしておりません。この腕を失ったのは、私の判断からです。誰のせいでもなく、この結果を招いたのは私自身」
たとえその結果、敗北という形で幕を閉めようともインフェルノは何も後悔していない。なぜなら、インフェルノにとって敗北の結果があっととしても代わりに残せたのは未来の希望という、若き芽たちなのだから。
「陛下、今回は帝国に敗北しましたが、まだ策が残っていないわけではありません。いえむしろ、ここからが本番です」
「! それはつまり」
「今回の戦いで痛手は負いましたが、それが帝国でも同じ。そうすぐに進行することはないでしょう。私の件は既に帝国にも伝わっているはず。利き腕をなくして弱体化したと周囲は思うでしょう。その緩んだ隙が、最大の好機」
インフェルノの言う通り、現在帝国ではインフェルノの件や、戦神ビデントの戦死が広まっている。もはや帝国が勝つのは問題だろうと周囲が思う中、その作戦は静かに進行中だった。誰にも知られず、ただゆっくりと。
「――最後に勝つのは我々です」
仮面の隙から見える琥珀の目が、静かな黄金に輝く。手負いの獣は、その牙と爪を研ぐのだ。
****
満月が夜の帳から顔を出す。その黄金はいつも地上に顔を見せてはただ静かに佇むのみ。何を言うわけでも、憂うわけでもなくそこに在るのみだった。
だがそれが言葉も何もいらない合図。まるで恋人たちが秘密の逢瀬をするための夜だった。
「フェル」
その声が聞こえた瞬間、インフェルノは寝所から飛び起き剣を抜いた。その間、男はそこから一歩も動かず一連の動きを見守っていた。
「なんのつもりだ、貴様。なぜ顔を見せた」
「…………俺も、顔を見せるつもりはなかった。ただ、お前の話を聞いた」
「……ずいぶんと余裕だな皇帝というのは。我らに痛手を負わせたからと舐めているのか。この右腕がなくなったことで余裕を感じたか」
皇帝と呼ばれた男は、約1年ぶりに満月の夜にて姿を表したルカだった。いや、それは愛称のひとつなのだろう。本名はリデルカ・トデハート・バレンタイン・バルテシア。現在レキシアが敵対する国のトップに立つ男だ。
「舐めている……そうかもな。俺は、誰よりも何よりもお前らを舐めていた。きっと完膚なきまでに潰されるだろうと。それが当然だと思っていた」
インフェルノ問いかけに反応したルカが答えた言葉は、彼女を怒らせるのに十分な言葉だ。けれどもインフェルノはその場から動かなかった。否、動けなかった。ルカが見る先にあるのは、なくなったインフェルノの右腕。本来あったものがなくなったことを示すように袖口を縛り揺れる右袖を見つめたルカの目には、昏い絶望があった。
「どうして、あのときあそこで倒れなかったんだ。倒れれば、きっとお前はそこまでの重症を負うこともなかったのに」
「……」
「どうして、素直に負けを認めない。なぜ戦う? 戦ったところで、もう無駄なのがわからないのか」
その言葉を向けている理由がわからない。この男は何を言っているのかわかっているのか。そんな考えがインフェルノの頭に浮かぶ。けれどもまるで独白のようにこちらを責め続けるルカに、インフェルノは剣を向けた。
「そんなの、答えなど決まっている」
そう、答えはたった一つ。誰が何を言おうとも答えはたった一つだけ。
「あの方が、勝利を望むからだ」
それが、インフェルノがこの国のために戦い続ける理由だった。
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