第122話「私は貴方の剣」

 静かに息を引き取ったビテンドに、涙をこぼすリズベリア。その近くにいる右腕を失ったインフェルノは、しばらく固まっていた後、静かに動き出した。


「リズベリア・ファルムデガルド、立て。まだ、立ち止まっていていい時ではない。そうだろう」

「っ……はい、団長!」


 そう、ここはまだ戦場。先程の襲撃がいつどんなときに起きるのかわからないところで泣いている暇はないのだ。溢れる涙を袖で乱暴に拭い、リズベリアは立ち上がる。顔を上げた先にいるのは、いつだって戦場という地獄を照らす光。インフェルノのその姿が、何よりも力をくれる。だが、その姿でいつもと違うのは、乱雑に止血された先のない右肩だった。


「インフェルノ団長……右腕が、利き腕が……一体誰が」

「戦場に一体誰が、なんて言葉を使ったところで無意味だろう。安心しろ。私の力はこれ程度で落ちはしない」

「ですが、……いえ、ではせめてちゃんと止血をしてください。このままでは貧血で倒れます」

「そんな暇は」

「駄目です。してください。衛生兵! 今すぐインフェルノ閣下に応急措置を! ビテンド将軍のご遺体は慎重に運ぶように!!」


 有無を言わせない迫力にインフェルノは押し黙る。気づかれていないと思っていたが、立ち上がれば少し頭がふらついているのに気づいていたようだ。いや、この場合気づかれたというより隠すのが下手だっただけなのかもしれない。思った以上に、インフェルノは眼の前の死に動揺していたようだ。


「陛下……」


 リズベリアに言っておいて、自分のほうができてないなんて笑えない。インフェルノは仮面に触れながら深呼吸を繰り返す。吸った息は肺を冷たくし同時に頭も冷やしていく。切り替えろ。どんなに辛くとも、いつかは通った道だ。だからこそ、失ったものよりも、今ある希望リズベリアを守る。それが恩師であり、戦友である漢との約束なのだから。


 だからこそ、インフェルノは万端の状態でセルシオのもとにいかなくてはならない。情報が早く回っていくこの状況で、ビテンドの死という凶報が届かないはずがなのだから。


「今すぐ貴方のもとに参ります。私は、貴方の剣ですから」


 ****


 赤い髪が揺れている。いつだって近くにあったその赤を持つ者は、いつも以上にボロボロとなった姿でセルシオの前に立った。差し出された手は左。インフェルノの利き腕は右であり、左ではない。そのことに疑問を持って右側を見れば、右肩から先がなくなり、白い包帯が巻かれていた。


「イン、フェルノ……お前その腕」


 嘘だと思いたかったことがまたもう一つ増えてしまった。もはやセルシオの精神は発狂寸前だ。信頼し、親のように思っていたビテンドを喪い、その上インフェルノは利き手を失うほどの重症。自分だって先程まで死を受け入れようとしていた。


 この戦い、誰がなんと言おうが完敗だ。


「っ余は……」


 この戦いで失ったものが多すぎる。その上、失ってはいけないものまで喪った。嫌になるほどに自分は楽観的だったのだ。なんとかなると思っていた。今まで通り、失うこともなく勝てるものだったのだと。そんな甘さが、覚悟のなさがこのような事態を引き起こした。


「済まない、インフェルノ。余が、僕が……」

「…………」


 セルシオの言葉に反応を示さないインフェルノに、セルシオはひやりと背筋に悪寒が走る。もはや忠誠に値しない王となってしまったのかもしれない。もうインフェルノは自分のもとから離れ消えるかもしれない。そんなこといなるぐらいだったら、世界を望まなければよかったとセルシオは涙を浮かべた。


「陛下。いつまで下を向いている気ですか」


 何もかもが下向きとなっているセルシオの思いを、インフェルノの声が切り裂く。顔を上げた先にいた紅い髪の英雄。その顔に覆いかぶさる仮面の奥に見えた黄金の瞳が、セルシオを映し出す。


「謝ることなどなにもない。謝る必要もない。貴方はただ前を向いていけばよいのです。貴方の道を作るのは貴方の剣たる私であり、そして死せる者たちが残す希望たちです。だから、貴方が貴方自身の野望を否定しないでください」

「!」


 喪ったものは二度と戻らない。だからこそその事実に押しつぶされていくことだろう。後ろを向けば広がる鮮血の道に、何度も後悔をしていくことだろう。それでも戻ることはできない。物語のように都合の良い展開などないのだ。喪って失い続ける道の先にあるのは、地獄か天国のどちらかのみ。


 なら、そうであるというのなら、自分が望むのは唯一つ。


「……済まないインフェルノ。もう、余は足を止めない。諦めるものか。これまでに喪った英傑たちのために余は地獄を征く! 来い、インフェルノ!!」

「はっ、仰せのままに我王よ」


 黄色の旗の中に広がる赤の旗。レキシア本陣が王都に到着し約2時間で、戦場の動きは大きく変わっていった。帝国軍左翼が撤退するのはもはや時間の問題となる。獅子奮闘と暴れるレディ インフェルノ率いるレキシア第1騎士団「煉獄」。その副団長であるリズベリアとその他全団員の活躍により、左翼側は大打撃を負うこととになる。レキシア王であるセルシオが稼いだ時間は、レキシア本陣を間に合わせ最悪を回避するに至った。

 しかしレキシア側の被害は甚大であり、それらを見ればこの戦いはレキシアの敗北という形になるだろう。レディ インフェルノの右腕欠損。将軍ビテンドの死。その他多くの兵士の死と被害は、レキシアの次なる行動を止める結果となった。

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