第10話「傷に誓って永遠を」

「殿下!!」


 セルシオがいなくなってすぐのこと。異変に気づいた女が城下の街を駆けていた。

 すでに状況を察した女はすぐに捜索隊の派遣を申請。バンクルットや前国王にも状況を報告していた。


「殿下何処です! 返事を!!」


 しかしすでにセルシオが消えて五時間。時一刻と状況は悪くなるばかり。

 女は息を切らしながらセルシオの探索を続けるが、子供の体力で何処まで持つのかなどわかりきっている。


「ななし! 今は城に戻って待機をするのだ!」

「お言葉ですがバンクルット宰相閣下! こうしておられる間にもセルシオ殿下が危険な目に! 私がお止めしなかったせいで!」

「お主のせいではない! それよりもそんなに疲れ切って……一体何時間そうして走って」

「申し訳ありません! お叱りはまた後で!」

「んなっ、ななし!!」


 バンクルットの言葉を振り切り、女はまた城下町の捜索に向かう。何時間もぶっ通しで走りすぎたせいで出た汗に髪が張り付く。

 息も堪え堪えになっている女の姿に、町の住人も何事かと振り返るものが多かった。


 その中にいた、一人の男。怪しげに裏通りに入る男を見て、女はその足を止める。


「……」


 その後ろを、女は静かについていった。



 ****


「はぁ? そのガキが王子だって!?」

「!」


 男の荒げる声にセルシオはビクリと肩を揺らす。


「マジだって! 今この街全体で兵士がぞろぞろと探してんだよ!」

「い、いやだからってこのガキが」

「間違いねぇよ! 時間的にもおかしくねぇだろ!? それに違ったとしてもオレたちのしていることもバレちまうだろうが!」


 男たちの焦った顔。もうなにも頭に入らないほどに焦った顔を見て、セルシオは縄をほどき始める。


(今なら、こっちにちゅういを向いていない今ならにげきれるかも知れないっ)


 自分のせいでここまでの迷惑を被ってしまった。きっとななしも探している。

 その思いで、縄をほどき終えたセルシオ。だが、焦ったものが引き起こすことをまだ若い少年にわかるわけがなかった。


「っおい! こいつ縄をほどいてやがるぞ!」

「はぁ!? あっ、このクソガキ!!」

「グッ!」


 ガッと鈍い音が聞こえたと思えば、セルシオは地面に倒れていた。

 頬が燃えるように熱く、視界が揺れている。本気で殴られた。そう気づくのに時間はいらない。


「こんなガキ!」

「お、おい! やめろ!」

「がっ、ぐっ」


 続け様に拳が振り、セルシオは体をくの字に曲げてその痛みに耐える。しかし大の男が振りかざす拳に9つの少年が堪えられるわけもなく意識は朦朧とし始めた。


「た……すけ……なな」

「このガキを殺してしまえ! そうしたら……がっ!!」


 男の声が不自然に途切れるのを、朦朧とした意識の中で不審に思う。

 しかし痛みのほうがセルシオの意識を引っ張り、きつく目を瞑って痛みに耐えていた。


 あの声が、聞こえるまでは。


「貴様ら、殿下になにをしている」


 ひどく昏く冷たい女の声にセルシオは腫れた目を開ける。

 見えたのは、血のように濃い赤の髪。それが昏い怒りに燃え上がり、憤怒を見せる。


「殿下、申し訳ありません。すぐに片付けます」

「な、ななし……」


 その怒りとは打って変わって聞こえた優しげな声にセルシオの目に涙がたまる。

 泣き出しそうになるセルシオに掛った外套が妙に温かく、かすかに聞こえる女の荒い息遣いに必死で来たのだと気づいた。


(ああ、もう大丈夫だ)


 断片的に目の前で繰り広げられる戦闘は女のほうが圧倒していて、男たちはなすすべもなく倒れていく。

 断片的だった。だからきっとこれは意識の朦朧となった少年の幻。


 かすかに上がった仮面の裏に隠された女の素顔。その素顔はとても、とても――……。


 ****


「……か、殿下!!」

「……ん……な、なな、し……?」


 精巧な仮面が視界いっぱいに広がり、セルシオは戸惑うがすぐにそれが誰なのかに気づく。

 次に見えたのは何処か見覚えのある天井で、そこが自分の部屋だと気づくのにさほど時間はかからなかった。


「僕……いつ帰ってきたの?」

「一刻も経ってはおりません、殿下。傷の方も安静にしていれば一週間でよくなるそうです」


 そっか、と。セルシオは呆然とした気持ちで天井を見上げていれば、ゴンとなにかを床に叩きつけるような音に驚き、その方向を見てさらに驚いた。

 そこには、土下座をする女がいたから。


「な、ななし!? なにして……」

「殿下、申し訳ありません。私のせいで、殿下にこれほどの傷を……。悔やんでも、悔やみきれませんっ」


 音がなりそうなほど握り込まれた拳からは赤い血が滴り、その声は痛いほどの後悔が滲んでいる。


「もし殿下が、私に死ねと申すのであれば死んでわびましょう。どんなことでも、この罪を償う覚悟ではあります」

「ま、まってななし! 僕はそんなことを……っ!」


 言いかけて、やめた。きっと目の前の女に許しを与えても女は自分を決して赦すことはない。それほどの覚悟が伝わってきた。


「……」


 だから、セルシオも覚悟を決めた。すべてを、目の前の女ごと背負う覚悟を。


「ならば、僕に仕えろ。ななし」

「!」

「僕の今あるこの傷のいたみ。こうかいにちかえ! 僕に仕えることを! それをもって赦しとする! 僕はこの国をせおうことになる。そのためにはどうしてもしんらいできる者がひつようだ。ななし、お前はそのものになるかくごはあるのか!」


 いつかはこの国を背負うことになる、齢9歳の少年。その少年は、目の前にいる女を背負うつもりで話した。

 もう二度とこうならない為に、心から信頼できるものが必要なんだと今回の事件で学んだ。けど信頼できるものなど、今の自分でわかるわけがない。


 だから作ることにした。


「僕のためにあの剣をふるえ! 僕のたてになれ! この国を守るつるぎになれ!」


 自分を守ってくれる剣は、あのときに見つけた。憤怒の赤さを持ち、優しく流れる暖かな赤を。

 目の前の女しかいない。自分のことを最前線で守り、必ず見つけてくれるのは。自分自身に忠誠を誓ってくれるのは。


 自分の隣に立って、一緒に歩いてくれるのは。


「……」


 女は土下座の姿勢から騎士の姿に。剣を掲げ、仮面の奥にある琥珀の瞳にセルシオを映して頭を垂れる。


「私のこの先の人生、この命。この剣、すべてをもって貴方様に永遠の忠誠を誓います。セルシオ殿下。最期の時まで貴方様のお側に」



 これがセルシオとその頃はななしと呼ばれた女の、傷に誓った忠誠の話。

 女はその後すぐにして、今なお敗戦続きの戦場に向かっていった。セルシオを最前線で守るため、その武功を挙げに。


 5年後、女は英雄としてセルシオのもとに戻ってくる。

 レディ インフェルノ。地獄の英雄と呼ばれて。


 

 ****


「ふっ。本当に、懐かしいな」


 雪景色の映る窓から視線を外し、セルシオは紅茶を飲む。

 自分が名をつけるはずだったのに、いつの間にか物騒な渾名をつけられてしまったインフェルノにセルシオは苦笑した。


 まぁそれもこれも。インフェルノが武功挙げ過ぎて思ってもいない地位に来てしまったせいでもあるのだが。


「いい名前、考えたのにな」


 服の下に隠していたペンダントの裏を見ながらセルシオは碧い目を細めて、そしてまた服に戻す。

 この名前を呼ぶのは、一体いつになるのか。


 一人の元王子は、ペンダント裏に書かれていた名前を口ずさみ、感慨深そうに目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る