第9話「出会い」
部屋を出るインフェルノの後ろ姿を見ながら、セルシオは幼かった頃を思い出す。
「懐かしいな。あの頃のインフェルノは」
窓から見える景色に目を細める。灰色の空から落ちる銀に、冷たさを感じる。
インフェルノとの出会いはこんな冬景色の中だった。
****
5年前、それは突然に来た。
雪景色の中で見えた燃え上がるような紅に目を奪われるような感覚がして、セルシオはぽかんと口を開ける。
セルシオが齢9歳の頃の話。
「父上……その人は?」
自分よりも背が高く、しかし手足は異常な程にひょろながく頼りがいなどない。女性らしさの無い体つきは少年のよう。
しかし何よりも目を奪われたのは顔を覆う、不自然なほどに精巧な仮面だった。
そんな不思議な女を連れてきた己の父にセルシオは近づいて聞く。
「この子は今日からワシが面倒を見る子じゃ。セルシオ、挨拶せい」
「 セルシオ・ベータ・ル・レキシアです」
なぜこっちから挨拶を? 父上が自ら面倒を? 聞きたいことがありすぎるのに考えがまとまらない。
幼い頃のセルシオはその混乱を苛立ちに変えた。
「……私の名前は」
冷えた声。甲高い女の声だがどこか暗い声にも聞こえた。
しかし名前を言う直前になって仮面を被る女は黙り込む。と言うより、どこか戸惑っている様子であった。
「ああ、そうか。そうだったな。名前をまだつけてはおらなんだ」
「?どういうことです? 名前がない?」
「この子は色々と訳があるのだ、セルシオ」
前国王の優しげな笑みにセルシオは嫉妬を覚える。自分にはそんな顔を向けることがないくせに、と。
「わけとはなんですか!」
「セルシオ、声を」
「陛下、殿下。申し訳ありません。私のせいで」
女の声が雪の中に響く。冷たい声の中に申し訳なさ滲んでいて、幼いセルシオですらも声を荒らげることをやめた。
セルシオを咎めようとしていた前国王も、ハッとした顔で前国王は女の顔を覗き込もうとする。しかし仮面のせいで表情はうかがえない。
そうこうしている間にも女は幼く嫉妬していたセルシオに跪き、仮面の隙間から見える琥珀の目を覗かせる。
「殿下、私に名はありません。殿下が名ずけてはくれませんか?」
「ぼ、僕に?」
戸惑うセルシオに女は肩に届くぐらいの紅血色の髪を垂らせて頷く。
「で、でも僕じゃなくて、父上のほうが」
ちらっと、こちらを見下ろす前国王を見て首を振るセルシオに、クスリと女は笑った。
「既に陛下から許可を得ています。私は殿下に名ずけて欲しいのです」
「……」
自分に名ずけて欲しい。そんな酔狂なことを言う人がいるとは思わなかった。
いつだって周りは自分ではなく父の方ばかりを見る。戦争が始まってからと言うもの。セルシオの存在はないようなものだった。
そんな自分を、目の前の女は選んだ。
「……へんなやつ」
「よく言われます。名を、つけてくれますか?」
「まぁ、考えてみる。へんな名前でも怒るなよ!」
「もちろんです。殿下」
これが仮面をつけた不思議な女と、ひねくれた幼い王子の最初の出会いだった。
****
女の名前をつけられずに、ふたりが出会って一ヶ月がたった。
その間も女が自分に素顔を見せることも、負け続きの戦争に奔放する家臣や前国王に休息が来ることは無かった。
「ななし。なんでかめんをつけているんだ?
はずさないのか?」
「……殿下。それよりも課題は終わったのですか?」
「い、いまはきゅうけい!はなしをそらすな!」
セルシオが仮面のことを聞くのも2桁を超えているせいか、最初の頃は戸惑っていた女も躱すようになった。
ななし。それが今のところの女の名前であり、今は仮だから! とセルシオは言った。
女からしたら別にこれでもいいらしいが、セルシオがそう言うのならと仮として名乗ることにした。
「で、なんでつけているんだ?」
「……」
女は手に持つペンを弄びながら考える。どうしたら目の前の少年に別のことに気を惹き付けられるのかと。
そんなふうに悩んでいた。そんな時。
「殿下。課題は終わっておるのですかな」
「げっ、バンクルット」
「なんですその声は? ワシは殿下が心配できたというのに」
「ぜったいにしんぱいしてない! ぼくもうべんきょうやだ!」
「なりませんぞ殿下! これは将来貴方様の役に立つもの。しっかりと勉学なされい!」
バンクルットの登場により騒がしく噛み付くセルシオを横目に女は安堵のため息をつく。
無意識に仮面に触れ、女は顔を上げた。
「バンクルット宰相閣下。既に2時間勉強をしています。殿下にも休息が必要かと」
「む? お主がそういうのなら。殿下、今はここまでにして休憩しますぞ」
「ほんと? やった!」
キラキラと目を輝かせて喜ぶセルシオに、仮面の下で女は微笑む。
「そうだななし。城下に行こう! しさつってやつだ!」
「最近習った言葉ですね。しかし城下……ですか」
敗戦続きの城下町に行くこと。それはセルシオにとって危険であることを知っていた。
民衆の不満は賢王の名の元に抑えられてはいるが、王族と知られるセルシオを見た時にどうなるのか。
そんな女の渋るような反応にセルシオは頬を膨らませ、ジトっとした目になる。
「さいきんはぜんぜん行けてないではないか。いいかげん行ってもいいだろう」
「……ですが、私の一存では」
「では護衛にも来てもらう! ならいいだろう?」
「陛下に許可を貰ってからでは……」
「父上は今はおいそがしい! それにそんなに待ってられん。なぁ、バンクルットには言うから行くぞ、ななし」
上目遣いで女の袖を引っ張るセルシオに女は折れる。バンクルットに外に行くことを伝えるが、待ってはられないと飛び出したセルシオのあとを追い、返事を聞けずじまいだった。
その時、2人は知らなかった。今城下町で金持ちの子息や令嬢を狙う人攫いがいた事を。
「殿下……?」
セルシオは城下町に入り、女や護衛に隠れて離れた瞬間攫われてしまったのだ。
****
「へっへっへっ。ホント最近のガキっていうのは危機管理がなってないねぇ。大人から離れちゃ行けませんって習わなかったんでちゅかー?」
「……っ」
首元にチラつくナイフに息を飲む。
確かにそうだ。こんなことになるぐらいだったら離れるんじゃ、いや、そもそもななしの言うことを聞くべきだった。
セルシオは今更ながらの後悔とともに恐怖が湧き出る。
このままどうなるのか。自分はこの国の王子だ。男は一人しかいないから見殺されることは無いが、それでも救出は遅れるだろう。
「フ……ッ」
齢9歳の子供がずっと冷静でいられることなど難しいに決まっている。
視界が涙でボヤけ、体は恐怖で震えている。その年齢で気絶しなかっただけでもすごいのだ。
しかし、気絶できないからこその恐怖がセルシオを蝕んだ。
「さーて、坊っちゃんの家に身代金を要求しようなぁ? 何処のガキなんだ?」
すぐ喉元をナイフでなぞりながら、男はセルシオの持っていた小銭入れやなにやらをくまなく調べる。
しかしセルシオがいま着ている服は変装用の服。小物入れも同様、女がわざわざ買ってきたものなので身分を明かすようなものはない。
そのせいで、事態はさらに悪化させた。
「ちっ。護衛がいたから何処かの坊っちゃんなのは間違いねぇが……。まさか何処かの商家のガキか? ……まぁいい。そっちのほうが、売りさばくのに足がつきにくいからな」
「……っ」
何処かの路地の奥。きっと護衛騎士もななしもわからないところに向かおうとする男に、脳内で警報が鳴り響く。
逃げなくては。今すぐ助けてもらわないと手遅れになる。
そうわかっていても声は出せず、そのまま闇の中に入っていく中でセルシオの頭に浮かんでいたのは、
(ああ、ななし……!)
仮面をつけた赤い髪の女だった。
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