第7話「地獄の影」

「ラヴィベルト。引き続き調査を続けろ。辺境伯への尋問も怠るなよ」

「はっ。それと閣下。どうやらこの麻薬であるアルユについての詳細を」


 追加の報告書を渡され、それを読む。それによると、アルユが主に出回っているのは、どの国にも存在し対処するのが難しい場所。


「闇市……」


 厄介なものがさらに厄介なところで売られているな。インフェルノへはそう思いながら仮面に手をやる。


「私が行って情報を集めたいところだが……」

「その姿ではまず無理でしょう。仮面を外して髪を染めたらいけるでしょうが……そう言えばお聞きしたことがないのですが、なぜ閣下は仮面を?」


 インフェルノが仮面を付ける理由。それを聞くのはタブーとされている。

 殺される。なんていうことはないが、インフェルノがあのセルシオに質問された際に答えを濁した。それだけでこの質問がどういうことなのか、わからないものはいない。


 セルシオ命のインフェルノが、セルシオにも言わない秘密がこの仮面なのだと団員たちは全員知っている。

 知らないのは、あまり関わりを持たなかったラヴィベルトのようなものだけなのだ。


 だから。


「……他に行けるものを選考しよう」

「は、はぁ……」


 先程の質問を聞いていないかのような態度に、少なからずラヴィベルトは驚いた。

 インフェルノは威圧も相まって恐ろしい存在だが、慣れれば良き上司だ。わからないことがあればすぐに答えてくれるし、理不尽に怒ることもわかりやすく誰かを贔屓することもない。


 良くも悪くも、インフェルノには人間味がない。それがラヴィベルトの抱くインフェルノへの心象だった。

 だからインフェルノの隠し事という人間臭さに、短期間いたラヴィベルトは驚いた。


「闇市……となれば第一騎士団員は無理でしょう。彼らは有名すぎる」

「では情報収集に長けたものであり、人にあまり知られないものということだな。問題はない」


 インフェルノはそう言うと仮面に少し触れてから、机の引き出しにある便箋を取り出す。

 質素な作りである便箋に一行だけなにかを書いたと思えば、呼び鈴を鳴らしてその手紙を使用人に預ける。


「今のは?」

「私の優秀な影に少しな。あれに任せておけばいいだろう」

「影……ですか」


 インフェルノの部隊に諜報員がいるなんて……とラヴィベルトは内心で首を傾げる。 インフェルノの部隊は基本、机仕事など全く向いておらず、戦争という舞台で最も活躍する戦争屋ばかりだ。

 だからこそ、インフェルノという人間がいなければ彼らは今も牢に繋がれた罪人であったに決まっている。

 直情的でありながら悪知恵の働き、死を恐れず大胆不敵。それが煉獄の団員たち。


 諜報員は、そんな彼らとは全く正反対の人間がなる。

 臆病で何事にも冷静に対応。死を最も恐れ慎重に行動し失敗を回避する。

 煉獄の団員たちが表とするなら、諜報員たちは裏なのだ。


「私にもそれぐらいの者たちはいる。いつかは紹介しようが……今は現れることはないだろう」


 簡潔にそう言うと、女はさっさと溜まった書類を片付け始める。

 今は現れることはない。その言葉の真意はそのままであり、頭の回転が速いラヴィベルトは即座に理解した。


(なるほど、俺はまだ信用されていないということか)


 それは半分正解であり、半分は不正解である。

 インフェルノの影たちはインフェルノ以外を信用していない。自分の絶対的忠誠はセルシオではなくインフェルノに向いているのだ。

 だからこそまだ新参でありインフェルノに喧嘩を売ったラヴィベルトを警戒しているし、もしなにかしようものであればインフェルノの許可なしに暗殺する気でもある。


 地獄の影。いるかどうかもわからないそのものたちを知るのはインフェルノの団にもごく少数。

 そのものたちは今もインフェルノの動向を見ており、そして命令を待っている。


 彼らは地獄インフェルノに習ってこう呼ばれていた。


 奈落タルタロス、と。


 ****


「……入れ」


 ラヴィベルトのいない夜中。自室にいたインフェルノは仮面を被ったまま虚空を見て言う。

 簡素な服装。しかし腰には剣を帯びたまま、インフェルノは一冊の本を読んでいる。

 部屋には調度品の類いが一切なく、剣以外に武器になりそうなものは殆ど無い。英雄の部屋、というよりは使用人の部屋のようにも思える質素さだった。


 その部屋に、一人の男が入ってくる。黒以外のものがなにもない、顔すらも見えず、かろうじて服に張り付いた体つきが男と思わせられる。

 その男が本を読むインフェルノの前に膝をついた。


 彼がタルタロスの首領。本名は知らないがインフェルノが名付けた名前でこう呼ばれている。

 ブライド、傲慢と。


「ブライド。報告を」

「インフェルノ様。調べた結果、すでに魔法の粉アルユは闇市で回りきっているようです。しかし、タルタロスのもの全総動員を使っても依然として出どころが何処なのかがわかりません。どうやら思っている以上に相手はやり手のようです」

「そうか。……お前たちが出てもわからないということは」

「はい。内部の手のものかと」


 タルタロスはとても優秀な諜報員だ。インフェルノが先の戦いで連合王国の戦いで有利に進められたのは彼らが短期間で集めた情報があったからに他ならない。

 そんな者たちがこの短期間で情報すべてを把握できなかったという事は、関わっているのは外部のものではなく、国を知り尽くした内部。ということになる。


「裏切り者か……」


 怒りの籠もった低い声にブライドが反応する。冷や汗の吹き出すような静かな怒りを発するインフェルノに、少し気後れしたような声でブライトが続きを言う。


「その可能性があるかと。こちらがそのチェックリストになります」

「……」


 渡された報告書を読みおえて、インフェルノはその琥珀の目を細ます。


「ダグドール公爵家……前王派筆頭のものか」

「はい。ラストが調べた結果、最も黒に近い……とのこと」

「……よろしい、そのまま調査を続行しろ。行け」


 音なくブライトが消え、誰もいなくなったことを確認してからインフェルノは仮面を外す。

 鏡が一切ない部屋。窓はわざと曇らせていて自分の顔はよく見えない。


「裏切り者に、公爵の人間。そして戦争終わりの国に麻薬……出来すぎているな」


 これがすべて、セルシオの政に不満を持つものの仕業だとしても出来すぎた話にインフェルノは空を睨む。


 夜はますます深まっていった。

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