第430話:八つ色に彩られた魔術矢

 今度こそ右手がつるから離れる。


 ノエリレヴィアは無意識のうちに必中必殺を確信していた。手首から指先へと向かって徐々に、均等に力が抜けていく。


「ノエリレヴィア」


 たったひと言で、弛緩しかんしつつあった力は、あろうことか真逆に移行してしまった。


 右手は弦を軽くつまむ状態から、強く握るに変わり、縫いつけられたかのように離れなくなっている。


「父上、その声」


 言葉が続かない。忘れるはずもない。もう二度と聞けないと思っていた父コルダディーゾの声だ。


「済まない。お前だけに背負わせてしまった」


 コルダディーゾの言葉に驚いたのはノエリレヴィアだけではない。


「何を勝手なことを言っているのですか。私が許可した以外のことを」


 怒りに湧くジリニエイユが言葉半ばで突然片膝を落とした。急速に四肢ししから力が抜けていく。


「意識を取り戻せる最初で最後の機会だ。だから迷うな。私の眉間を、今すぐ穿うがて」


 四肢は微動だにしない。その状態で顔だけを持ち上げ、ノエリレヴィアに向けている。真摯で強い光を帯びた目は、まさに父のそれだった。


「このときを長らく待ち続けていた。下賜された矢だ」


 父の目が訴えかけてきている。


 ジリニエイユがこのまま黙って好きにさせるはずがない。刹那のきょを突かれて肉体を奪われたものの、既に取り戻しにかかっている。


躊躇ためらうな。急げ」


 切迫感あふれる父の視線を真っ向から受けて、ノエリレヴィアの思考は完全停止におちいっている。


 先ほどから右手も動いてくれない。さながら石化してしまったかのようだった。


「ち、父上は、私に二度も殺せと仰るのですか」


 問答をしている場合ではない。それでも無意識のうちに言葉がれ出す。


 刻一刻とコルダディーゾの意識を保つ魔力がジリニエイユのそれによって塗り替えられていく。


「コルダディーゾ、娘に殺された貴男を魔霊鬼ペリノデュエズ化し、ここまで生き長らえさせてあげたのです。その恩をあだで返すというのですか」


 ジリニエイユがうなり声を発し、強引にコルダディーゾを制圧しにかかる。


 コルダディーゾも何とか踏ん張って抵抗を試みている。この千載一遇の機会を逃すわけにはいかなかった。


 ノエリレヴィアに真実の全てを伝えられなくなる。


 伝える方法は何も言葉である必要はない。コルダディーゾはジリニエイユにとらわれてからというもの、悠久の時間を費やしてその方法だけを考え、耐え忍んできた。


 いつの日か、愛しい娘ノエリレヴィアが目の前に現れ、そしてジリニエイユがコルダディーゾの姿をまとう刻を待ち続けてきたのだ。


「お前にしかできない。頼む」


 コルダディーゾの目に涙が浮かんでいる。父の懇願はノエリレヴィアの胸を深くえぐっていった。


「させません。主たる私に逆らったらどうなるか。裏切り者の末路を思い知りなさい」


 制御をほぼ奪い返したジリニエイユがすかさず攻撃に転じる。


 ジリニエイユの秘術は、魔霊鬼ペリノデュエズを創り出し、完全支配下に置いて制御する。


 最高位キルゲテュールの核を体内に埋めこんでいるジリニエイユにとって、下位の魔霊鬼ペリノデュエズの核などいかようにでもできる。


「滅びなさい」

「父上」


 二人の声が重なり、さらに事も同時進行で起こった。


 ジリニエイユがコルダディーゾの記憶を封じていた核を滅する。


 ノエリレヴィアが右手を弦から解放する。瞬雷光槍皇破ネルドアズランつがえた何ら変哲もない魔術矢は、いつしか八つ色に変じていた。


 刻が交錯し、結果を眼前に導き出す。


「核は私の完全支配下、何をしようとも無駄です。それにどうやら失敗したようですね」


 饒舌じょうぜつなジリニエイユに比べ、ノエリレヴィアは沈黙を守っている。守らざるを得ない状況だ。


 右手は解き放たれ、引き絞られていた弦は正常な状態へと戻っている。にもかかわらず、八つ色の矢は未だ瞬雷光槍皇破ネルドアズランから放たれず、留まり続けていた。


 沈黙は困惑であり、疑念であり、失意であり、全てが負の方向に傾いている。ややもすればノエリレヴィアは叫びそうになるところを必死にこらえていた。


≪私が授けた矢は射るものではない。よく視るがよい。そなたの父を≫


 魔力感応フォドゥアはノエリレヴィアの思考を、心を即座に正の位置へ引き戻した。


 精神を集中し、すかさず瞬流金照天凱タスヴィディーレに自身の魔力を送りこむ。


 肉眼では決してとらえらえない、巧妙に隠された二つの魔力像が瞬流金照天凱タスヴィディーレを通じて脳内に描き出されていく。


 一つは本来の所有者たるジリニエイユの完全体、もう一つが魔霊鬼ペリノデュエズ化された父コルダディーゾの崩壊していく魔像だ。


 コルダディーゾはわずかに残された首より上の部分だけを必死に持ち上げ続け、ノエリレヴィアを見つめている。


 そこまでは刻の交錯前と何ら変わりない。唯一、交錯後に視られるものがあった。


 コルダディーゾの眉間だ。


 無色透明の小球体が浮かんでいる。完全な球体ではない。半分程度しか視えていない。まさに眉間の奥から姿を現し始めたところだ。


「ノエリレヴィア、よく、やった。それで、こそ、我が、娘、愛して」


 その言葉を残してコルダディーゾの魔像が完全に崩れ、ちりへとかえっていく。すなわちコルダディーゾの記憶を封じた魔霊鬼ペリノデュエズの核が滅んだ証左しょうさだった。


 大気の流れが塵を奪い去っていく。


「ち、父上、父上」


 ノエリレヴィアは耐えきれなかった。悲嘆に暮れた絶叫が暗き天をいっそう強く焦がしていく。


「それを渡すわけにはいきません」


 コルダディーゾを塵に還したことで、制御を手中に取り戻したジリニエイユは、眉間に浮かび、今や完璧な形となった小球体に素早く右手を伸ばす。


 触れる間際のことだ。凄まじい反発力がジリニエイユを襲い、骨の砕ける音と共に右腕があらぬ方向へ捻じ曲がっていった。


「馬鹿な。私の制御圏外に在るというのですか」


 これで両腕は使い物にならなくなった。


 物理的に肉体を使えずとも、ジリニエイユにはまだ魔力という武器が残されている。躊躇ちゅうちょなく切り替え、球体を呑みこまんと魔力を網状に伸展させた。


 十重二十重とえはたえとなった魔力網が小球体を取り囲み、内包したところで、ジリニエイユはようやく安堵の息を吐き出した。


「コルダディーゾ、愚かな真似をしましたね。貴男の頭脳が使えなくなったのは」


 言葉を続けようとした矢先だった。


 ジリニエイユの魔力網が収束力を失い、ことごとく霧散していく。


「何が起こったのですか」


 無色透明だったはずの小球体が八つ色に彩られ、まばゆい光の帯を散開させている。


 八色はすなわち根元色パラセヌエだ。根元色パラセヌエの光を前にしては、ジリニエイユの魔力がいかほど強力であろうとも無に等しい。


 ジリニエイユは先ほどから意識を集中し、霧散した魔力を再結集させようと足掻あがいている。今以上に魔力を注ぎ込んで収束力を高めようと試みるも、意思に反して次々と大気に散っていく。


「やはり、あの光の前では何をしようとも無駄」


 ジリニエイユは悔しさをあらわにしつつ、即座に冷静さを取り戻すと割り切りの判断を下した。


 小球体はあきらめざるを得ない。根元色パラセヌエに護られている以上、手も足も出せないのは明白だ。


「それならば、当初どおり狙いは」


 小球体は未だに自らの眉間近くに浮かび上がったままだ。ノエリレヴィアのもとに届く前に事を終わらせてしまえばよい。


「私がほどこした仕かけは、何も重層結界だけではないのですよ」


 怪訝けげんな表情を浮かべたノエリレヴィアは一瞬のすきを突かれていた。


「ノエリレヴィア、焔をまといなさい」


 いち早く気づいたエレニディールが珍しく声を張り上げ、しかも命令口調で指示を飛ばす。ノエリレヴィアに促すと同時、己が自身も魔術を行使する。一刻を争うのだ。悠長に言っている場合ではなかった。


「大地をていて正解でした。クヌエリューゾに香術師としての力を与えたのは貴男でしたからね」


 エレニディールの指摘どおり、香術師元来の力はジリニエイユ直伝であり、クヌエリューゾの力を上回ると考えて差し支えないだろう。


「我が師ビュルクヴィスト、貴男の助言はここでも活きましたよ」


 全身を微振動の風で包んだエレニディールはつぶやきを落とし、ノエリレヴィアの前に堂々進み出ると、ジリニエイユと相対した。

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