第429話:ジリニエイユとコルダディーゾ

 エレニディールは嫌な予感が当たったことで、これほど不快に感じるとは思ってもいなかった。嬉しさなど微塵みじんもない。


 まさしく魔術転移門を潜る直前にノエリレヴィアに尋ねようとしていた。


 エレニディールとて、彼女がシュリシェヒリの里を出た真の理由をこと細かく知っていたわけではない。明らかに異常だとは理解していた。どう考えてもに落ちなかった。


 まるで今思いついたかのような出奔しゅっぽんにも近い形でシュリシェヒリを出ていっている。しかも、血を分けた双子の妹プルシェヴィアにさえ、当日になって告げるというちぐはぐさだった。


 それ以来、ノエリレヴィアは一度たりとも里に戻っていない。里の制約はあるものの、彼女ほどの魔術師なら誰にも気取けどられず、難なく出入りできたはずだ。それをしなかった。


 里を出た理由は元来一つで、魔霊鬼ペリノデュエズ急襲の真相を明らかにすることだったはずだ。後にプルシェヴィアの娘ラナージットの救出が加わり、二つになった。


 ノエリレヴィアは物静かで口数の少ない姉弟子だ。何かを語るとしても必要最低限でしかない。


 シュリシェヒリの掟を知っているエレニディールも深く追求するような真似はしてこなかった。もっと深く突っ込んで聞いていたらと、今さら後悔したところで詮無せんなきことだ。


 そして、ここに来てのジリニエイユとの対峙、さらには会話の内容が全てを物語っている。それはエレニディールに衝撃を与えるに十分すぎた。


 ノエリレヴィアの殺意が膨れ上がり、凄まじいまでの高熱の焔を周囲にき散らす。


 瞬雷光槍皇破ネルドアズランから射出された複数の魔術矢は、直接ジリニエイユの向けたものではない。全てが天頂へとけていく。


「お前を殺すためだけに編み上げた弓操術だ。全身で浴びるがいい」


 高き空へと昇りきった魔術矢は肉眼はおろか、魔眼でさえとらえられない。すなわち不可視の矢と化している。


「魔力の痕跡を完全に断ちましたか。それでも所詮しょせんはその程度です。私には通用しません」


 ジリニエイユの魔術は千変万化、状況に応じた最適解を選び出す速度も並大抵ではない。無論、難度が高い魔術でさえ容易たやすく扱う技量もだ。


 そのうえ、最高位キルゲテュールの力によって魔術そのものが増強されている。他の魔術師とは一線を画している。


「甘いですね。それに精神が乱れていますよ」


 いかに秘宝具の力を用いているとはいえ、対抗手段がないわけではない。ジリニエイユは既に万全の態勢を整えていた。一歩も動かず、軽く両手を打ち鳴らす。動作はそれだけだ。


 雨霰あめあられとなって降り注ぐ不可視の魔術矢がジリニエイユを容赦なく穿うがちにかかると思った瞬間、全てがあらぬ方向へと四散、見当違いの大地を次々と貫いていった。


「対魔術特化結界に重力魔術を上乗せ、必中必殺の軌道をらしたか。これしきでは倒せない」


 ノエリレヴィアは自身の精神状態が不安定なことを理解している。


 秘宝具は人には過ぎたる力であり、彼女に下賜された瞬雷光槍皇破ネルドアズランは、魔剣同様に極端なほど減衰されている。


 本来の力を百とすれば、ノエリレヴィアが行使する際には十も出ればいいところだろう。その十を出すためには万全の状態でなければならない。


 だからこそ、ジリニエイユは執拗に揺さ振りをかけ続けたのだ。それはなおも継続している。



 エレニディールはノエリレヴィアの様子が気が気でならない。ジリニエイユの三十積層魔術陣は最後の一層を残すのみとなっていながら、彼女から目が離せなくなっている。


 この機に乗じて、サリエシェルナの肉体を取り戻すことこそ最優先すべきだろう。頭で分かっていながら、心情的にはノエリレヴィアの加勢に傾いていた。


「それだけではないのです。最後の一層は破壊すべきでない。私の直感が告げてきているのです」


 ジリニエイユの手によるものでなければ、躊躇ためらいなく破壊していた。


 踏み止まるべき理由がもう一つある。ここまでの二十九層があまりに容易く突破できてしまったことだ。あえてもろく構築されていたと思えるほど、歯応えがなかった。


 時間が惜しいとはいえ、ここは冷静になって原点に立ち返る必要がある。エレニディールはあらゆる雑念、疑念を振り払い、静かに目を閉じて思考のみを加速させた。



 形勢が目まぐるしく変わっていく。


 現状、有利に立っているのはジリニエイユで間違いない。狡猾こうかつたくみな話術をもってノエリレヴィアを追い詰めている。


 ジリニエイユもまた優先度が一気に変わっていた。


 ここにやって来た本来の目的は言わずもがな、サリエシェルナの肉体を護りきることだ。それを差し置いてでも、ノエリレヴィアの抹殺を上位に位置づけた。


 彼女がどこまで知っているのか、実のところジリニエイユも分かっていない。確実に言えるのは、ほんの一部であろうと禁断の秘密を知った以上、生かしておくわけにはいかないということだ。


 そのためにシュリシェヒリを出て行ったノエリレヴィアを執拗に狙い、金を積めば何でもこなす最凶の討手うってを何人も差し向けた。それがことごとく失敗に終わり、彼女は眼前に立ちはだかっている。


 揺さ振りは確実に効果を発揮しているものの、未だ心を折るには至っていない。何とも忌々しい限りだった。


「父を殺し、妹にもめいにも真実を打ち明けていない。知れば絶望のあまり自死を選ぶかもしれない。ノエリレヴィア、貴女は恐れているのです」


 ジリニエイユの悪魔のささやきを受けても、先ほどとは打って変わって、ノエリレヴィアに乱れはない。一瞬にして切り替えができている。それが真の強者の証でもある。


「見事ですね。わずかに呼吸の乱れはあるものの、立ち直りましたか」


 ノエリレヴィアは再び瞬雷光槍皇破ネルドアズランを構え、今度こそジリニエイユに照準を合わせる。身体に、足に、腕に、指にいささかの震えもない。


「コルダディーゾが私と共に何をしていたか、貴女は知っているでしょう。ええ、そうです。魔霊鬼ペリノデュエズの核を制御するための偉大な研究です」


 ノエリレヴィアに揺らぎは見られない。ジリニエイユにとっての第一段階の確認が完了した。続けて第二段階に入る。


「共同研究と言いながらも半ば分業でした。私は魔霊鬼ペリノデュエズの核を入手する。私にとってそれは造作もないことです。コルダディーゾはその核を受け取り、そして」


 あえて言葉を切る。


 ここでもノエリレヴィアは揺らがない。知っているとみて問題ないだろう。これで第三段階に移行できる。


「制御方法を探る。そのために必要となるのが実験です。当初、実験には死体を用いていました。ええ、私もコルダディーゾも倫理観は持ち合わせていましたからね」


 表情一つ変えずに淡々と恐ろしい事実を吐き出すジリニエイユを前に、ノエリレヴィアは怒りしかいてこない。それほどまでに常軌を逸していた。


「倫理観だと。片腹痛い。お前が言い出したのだろ。死体では駄目だ。生体を用いた人体実験でなければと」


 ノエリレヴィア自ら進んで語ってくれるなど、ジリニエイユにとって僥倖ぎょうこう以外にない。


「死体が駄目なら生体で。当然の帰結です。それにこう見えて、私は優しいのです。役立たずの塵芥じんかい、奴隷を大量に買い集めて使ってあげたのですから」


 もはや我慢の限界だった。


 右手をつるから離すだけだ。つがえた魔術矢は一本、これまでは陽動、撹乱かくらんにすぎない。


 もともと仕留めようとも、仕留められるとも思っていなかった。あえて挑発してみせただけだ。全てはこの一本のために。


 重力魔術も対魔術特化結界も見た。もちろんジリニエイユの魔術はこれだけではないことなど百も承知だ。


「ふざけるな。今度こそ仕留める」


 弦をつまんだ右手が離れる寸前、声が飛んだ。


「止めておいた方が賢明です。これを見ても放つ覚悟があるなら構いませんがね」


 あり得ない。いったい、いつ入れ替わったのか。


 ノエリレヴィアはジリニエイユから視線を外していない。にもかかわらず、そこに立っているのは、ジリニエイユではなく、まごうことなき父コルダディーゾだった。


「父上、そんな、まさか」


 ノエリレヴィアの右手が硬直している。父コルダディーゾの顔を見て、動きが止まってしまっていた。


「入れ替わった。いや、違う」


 ノエリレヴィアの目には、瞬流金照天凱タスヴィディーレを通した目には、間違いなくジリニエイユ本人の魔力がはっきりとえている。


 では何故なにゆえにジリニエイユではなく、コルダディーゾの姿になっているのか。


 答えは簡単だ。フィヌソワロの里でクヌエリューゾに化けたときと同様、ジリニエイユは魔力を重層化しているのだ。己が自身の魔力の上に、コルダディーゾの魔力をまとっている。


「父上の魔力を纏おうが、中身はジリニエイユ、お前自身だ。生者と死者への冒涜ぼうとく、死をもってあがなえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る