5分で読める物語『夢の途中』

あお

第1話

 齋藤なぎさには二つの顔がある。

 一つはインディーズガールズロックバンド、ギターボーカルとしての顔。

 もう一つは、フードデリバリーサービス、配達ドライバーとしての顔。


「お待たせしました~! フードイーツです!」


 その割合はおおよそ一対九。


「こんばんは~、フードイーツでーす。注文のピックアップに来ました~」


 ライブ開催は決まって赤字覚悟、というかバイト代の半分以上を叩いてようやくステージに立つことができる。


「玄関先に置いておきました……っと。オッケー置配完了!」


 だから必然的にバンドが一、バイトが九の割合になってしまうのだ。


「ふぅ。あと二回でクエストクリアか。頑張ろ~、お~」


 配達回数によって与えられる特別報酬、通称〈クエスト〉はドライバーたちの配達モチベーションに直結している。かく言うなぎさも、毎週のノルマはこのクエストを完了させることだ。

 ピロロロリン、ピロロロリン。

 配達リクエストがスマホに表示される。


「ん~、今いるとこから結構離れてるなぁ。あと二回で終わるとして、出来れば家の方向に戻りたいから……今回はパスで」


 赤のバツボタンをタップし、リクエストを拒否。


「あと二回、あと二回なんだけど。出来ればお家に帰れる方面でお願い!」


 スマホに両手を合わせて拝むなぎさ。

 時刻は既に深夜零時を過ぎている。

 成人しているとはいえ、なぎさはまだ二三歳。

 何かあれば「自慢のクロスバイクで逃げおおせてみせる!」と息巻くくらいに勝気な彼女だが、それでも身の危険は人並みに感じている。

 クエストを諦めて潔く帰宅する、という選択肢も頭にあるが、残り二回で数時間分の追加報酬がもらえるとなれば、誰だって残り二回を粘ってしまうだろう。


 ピロロロリン、ピロロロリン。

 リクエストが入った。


「ここは……オルカの近くだ!」


 オルカ・イースト。なぎさ行きつけのライブハウス。

 配達先が見知った土地ほど、ドライバーにとって楽なことはない。

 閉店間際のドーナツ店に駆けこみ、配達商品を受け取る。

 配達アプリで商品回収を知らせると、届け先の住所や氏名など詳細な情報が開示された。


「…………マジ?」


 なぎさは目を瞬かせ、そこに書かれた名前を何度も確認する。


「服部一也って…………店長だよな……」


 がくりとうなだれ、盛大なため息をつく。

 あくまでサービス業であるフードデリバリーにおいて、盛大なため息、というのは大変よろしくない。

 それを重々承知の上でなお、なぎさはため息をついた。

 なぜなら届け先は行きつけのライブハウス――オルカ・イーストの店長だったからだ。


「ったく、こんなに近いなら自分で買いに行けよな。それにドーナツって……似合わねぇ~」


 なぎさは悪態をつきながらまたがり、滑るようにクロスバイクを発進させた。

 ドーナツ店から店長の家まで五分とかからなかった。

 いつもの配達なら、最高コスパでテンション上がりまくりのなぎさだったが、


「行きたくねぇ~」


 今回は生活指導の鬼教師に呼び出しをくらっているような気分だった。

 店長の家は住宅街の一角にある一軒家。

 三〇年ほど前に流行ったパンクロックの曲が、外にまで聞こえてくる。


「どんだけでけぇ音で聞いてんだよ……」


 顔をしかめながら、なぎさは部屋のチャイムを押した。

 しかしどれだけ待っても、反応がない。


「もしかして聞こえてないんじゃないか……?」


 大音量で鳴り響いているであろう四つ打ちスカビートのせいで、家主にチャイムの音が届くことはない。


「だぁーっ! 店長のバカヤロー‼」


 聞こえてないことをいいことに、日頃のうっ憤も込めながらドアに向かって吠える。

 配達時、チャイムを鳴らしても反応がない場合は、登録されている届け先の電話番号へ電話し確認を取らねばならない。


「これ電話も聞こえないんじゃね? そしたら……店長の金でドーナツが食える!」


 ただし、電話をかけたタイミングでドライバーのアプリにあるタイマーが起動する。五分ほどあるタイマーの内に届け先から折り返しの連絡がなかった場合、配達はキャンセル。配達時と同額の報酬が与えられ、受け取った商品は廃棄となる。だが、廃棄場所などは指定されていないので、自分の胃袋を廃棄場所にするドライバーも少なくない。

 夕方から働きづめで何も食べてない、食費にさくお金もない。そんななぎさにとっては、絶好のおこぼれチャンスだった。

 ウキウキ気分で電話をかけるなぎさ。


「――もしもし?」

「っなんで出るんだよぉぉぉぉぉぉ‼」


 店長はワンコール目で出た。


「この声は……なぎさか? どうした」

「えぇ~、フードイーツでーす。ご注文の品をお届けに参りましたぁ」

「なぎさフードイーツやってたのか! そうかそうかぁ!」


 顔は見えないはずなのに、人の悪い笑みが目に浮かぶ。

 ドタドタと玄関へ走り寄ってくる音が聞こえ、勢いよく扉が開け放たれた。


「マジでなぎさじゃん」

「あんまジロジロ見ないでくれます? セクハラで訴えますよ?」

「したら、ウチの箱はもう使えなくなるなぁ?」

「うっ……」


 言い返せなくなったなぎさを見て、ゲラゲラと笑う店長。


「これっ! ご注文の品ですっ! ご利用ありがとうございましたっ!」


 なげやりな態度で商品を渡し、なぎさはその場を後にする。

 後ろから店長の嫌味ったらしい声が届いた。


「明日のライブ、期待してないからな~!」


 なぎさは渾身のアッカンベーをお見舞いし、ふんすふんすと鼻を鳴らしてクロスバイクを漕ぎ始める。


「嫌い、嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い! 店長なんて大っ嫌い!」


 怒りをペダルに込め、人気のない道をかなりのスピードで走り抜けていく。


「いまに見てろ。めちゃくちゃに売れて、店長に一泡吹かせてやる!」


 なぎさは夜空に浮かぶ下弦の月に吠えていた。


****


 翌日のライブは、常連さん数人と新顔のお客さんが二人、という残酷な現実を突きつけるものだった。


「私たち、もうあきらめた方がいいのかな」


 バンドメンバーの一人がボソッと呟いた。


「――なっ、そんなこと」


 なぎさが立ち上がり励まそうとするも、顔を上げていたのは彼女一人だけ。

 呆然と立ち尽くすなぎさをよそに、バンドメンバーは一人また一人と帰っていく。


「今度みんなで話し合おう」


 そう言い残して、最後の一人も立ち去ってしまった。

 落ちるようにソファへ座り込み、天井を見上げるなぎさ。

 それでも否応なしに涙は頬を伝った。


「こんなところで、終わりたくないのに――っ!」

「なんだ泣いてるのか?」


 空気を読まず入ってきたのは、あの店長だ。

 彼の来訪に気付くと同時になぎさは立ち上がり、目元を拭って涙を隠した。


「泣いてなんかいません!」

「でもほら、目んとこ赤くなってるぞ」


 店長はなぎさの様子を面白がってケラケラと笑っている。


 ――本ッ当にあり得ない!


 その過剰なまでの無粋さに怒りを覚えたなぎさは、カバンから新譜のCDを取り出し、店長の胸に叩きつけた。


「私たちはまだ、諦めていませんから」


 下から店長を睨み付けるその眼差しには、わずかな揺らぎがあった。


「諦めてないのは、お前だけだろうが」


 その揺らぎの正体を、店長はとっくに見破っていた。


「みんな帰っちまってるじゃねぇか。それで『私たちはまだ』ってよく言えたもんだ」


 なぎさには反抗する力さえなくなっていた。俯き、歯を食いしばるだけ。


「諦めろ」

「――っ!」


 とどめの一撃がなぎさの夢をえぐる。

 彼女は逃げるようにライブハウスを飛び出し、夜空に浮かぶ月に向かって吠えていた。


***


 泣き叫びながら夜道を歩いて、家に着いた。

 なぎさの腹の虫が、弱々しく生命の限界を告げる。


「あぁ……お腹空いたな……」


 部屋を見回しても、そこにあるのは散らかった洗濯ものとギターのアンプだけ。

 食べられるものは外にしかなかった。


「でもお金ないしなぁ……」


 なぎさの呟きに腹の虫がぐぅ~と答える。


「フードイーツで一食分だけ稼ぐか」


 泣き腫らした目を水で冷やし、玄関先に転がったデリバリーバックを肩にかける。

 スマホでデリバリーアプリを起動させると、早速注文が入った。

 注文先は昨日、店長が頼んでいたドーナツ屋さんだった。


「……まさかね」


 二日連続でドーナツを食べるほどのドーナツ愛好家でないことを願って、なぎさは受諾のマルボタンをタップ。


「今日ぐらいは稼いだ額全部、好きなご飯に使うぞ~!」


 自分にとっての最上のご褒美を約束し、なぎさはクロスバイクをこぎだした。

 だが、注文の品を受け取り、配達先の詳細な情報が開示された瞬間。


「なぁんでまた店長なのぉぉぉぉぉ‼」


 なぎさのテンションは急降下を見せたのだった。


「行きたくなぁい、行きたくないよぉ!」


 園児のように駄々をこねながら店長の家へと向かっていく。


「ほら、また爆音でなんか聞いてるし」


 目的地に近づくにつれ、メロコアちっくな軽快なノリの音楽が聞こえてくる。


「……ん? これって」


 流れてきた曲に聞き覚えがあったなぎさは、聴覚に意識を集中させた。


「ここでシンバルが鳴って、ギターのフレーズが入って、私が歌う……私たちの曲じゃん!」


 店長が爆音で流していたのは、先ほどなぎさが叩きつけた新譜の曲だった。


「聴いてくれないと思ってた。そっか、ちゃんと聴いてくれてるんだ」


 空気を読めず、無粋で、意地の悪い男だが、彼の音楽センスだけはなぎさも、一定の信頼を置いている。

 だから、彼に聴いてもらえたことが、なぎさは自分でも驚くほど嬉しかった。

 玄関前に到着して、なぎさは自分たちの曲が終わるまで待った。

 最後のギターが鳴ったタイミングで電話をかける。


「はい」

「もしもし店長! いま私たちの曲聴いてくれてましたよね! どうでした⁉」

「おま、いま家の前にいるのか⁉」

「はい! フードイーツです!」

「あ、あぁ。そういえば頼んでたな」


 少したって扉を開けた店長は、そのままなぎさを家に招き入れた。

 そして大量のスピーカーに囲まれたリビング、その中央になぎさを座らせる。


「お前たちの今日のライブ、はっきり言って最悪だった」

「――はい」

「俺は心の底から、こいつらとっとと解散しちまえと、そう思っていた。この曲を聞くまでは」


 店長が目を向けたのは、なぎさたちのCDケース。


「これではっきり分かったよ。なぎさ」

「――はい」


「お前以外の演奏スキルが、ガールズバンドの域を超えてるってな」

「………………え?」


 目を瞬かせ、目を瞬かせる。

 なぎさは自分の耳を三度は疑った。


「あいつらすげぇぞ。このまま辞めさせるなんて勿体ない。お前以外は、俺が絶対辞めさせない!」

「えっと、じゃあ、私は?」

「あいつらの演奏に見合ってない。さっさと辞めちまえ」


 ――あぁ、そうか。ここまで、ここまで来てしまったんだ。


 なぎさは自身の置かれた状況を、自分だけが下手な状況を最悪だとは思わなかった。


「分かりました。じゃあ、私は、みんなの音に見合うボーカルになって帰ってきます」

「……は? 聞こえなかったのか? 辞めちまえって言ったんだぞ」

「辞めません。誰よりも音楽をやりたいのは私です。だから、お金貯めてボイトレに行きます」


 なぎさの意思は固かった。


「私が上手くなれば、私たちは最高のバンドになれる。店長はそう言ってくれたんですよね」

「言ってな――」

「ありがとうございます! 私頑張ります! それじゃお金稼がなきゃなんで、ここで失礼しますね!」


 そう言って店長の家を飛び出したなぎさ。


「やってやる、やってやる、やってやるぞぉぉぉぉぉぉぉ‼」


 彼女の顔は、明日への期待に満ちていた。

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