エピローグ 『ある日』
1
最悪の目覚めだった。
「はぁ……はぁ、よかった、夢から覚めたのね……よかった」
起き上がり、辺りを見回す。屈強な兵士たちはどこにもいない。見慣れた自分の部屋だ。
「あいつら、本当にむかつくわ。でもざまぁみろってことよ。もう消えちゃったのよ。もういない、そうよ。もう……ね」
私はそう独りごちてベッドから出た。全身にびっしょりと寝汗をかいている。
室内の空気は真冬のように冷たいのに、体は長距離走を終えた後のように暑かった。
カーテンをまくると、どんよりとした鼠色の雲が空を覆っているのが見えた。まるで今の私の心を映し出しているかのような空模様だった。
掛け布団をめくり、そこに地図が描かれていないことに胸を撫で下ろした。花の女子高生がおねしょなど世界がひっくり返ってもあってはならないのだ。
シャワーで汗を流してからリビングに赴くと、ちょうど母が朝食の支度をしているところだった。
「お、おはよう」
「おはよう。今日も自分で起きたのね、えらいわよ」
「お父さんは?」
「まだ寝てるんじゃないかしら。今日は土曜日だからね。昼頃まで起きないと思うわ。ありすは部活でしょ。今日は冷え込むからね、気をつけなさい」
「うん」
そうだ、今日は土曜日だった。
まだ時刻は六時二十分。
食パンに苺ジャムを塗りながら、私はつい先ほどまで体験していた不思議な冒険について想いを巡らせていた。
とても、とても不思議な夢だった。「アリス」のように、自分の夢の中に迷い込んだ私は、不思議な世界で白兎の少年と出会い、そして私を巡る殺人事件に巻き込まれてしまった。
目を閉じれば、あの血みどろの光景がフラッシュバックする。
並べられた首、首、首!
ぶんぶんと頭を振って残酷な余韻をかき消す。
(レリック……)
彼はもうこの世には存在しない。私が夢から覚めて、現実世界に帰還したことで、彼を含めた全ての夢の世界の住人たちはきれいさっぱりいなくなってしまったわけだ。
レリックは自分たちにはそれぞれ命があると言った。それが正しいのならば、夢の世界を終わらせた私は、大量殺人者ということになってしまうのだろうか。それこそがチェシャの予言した「死の運命」なのかもしれない……なんて。
(ふんだ、馬鹿らしい)
あれはただの夢なのだ。変な具合に罪悪を感じる必要などまるでない。あんなものは一夜の幻に過ぎないのだから。
唯一心残りだったのは、レリックと仲違いしたまま夢を終わらせてしまったことだ。あんな結末になるのであれば、もっと早い段階で勇気を出してレリックに迫っておくべきだった。あれだけのレベルの美少年と触れ合う機会など、現実には皆無なのだから。
朝食を食べ終えたあと、テレビのチャンネルを適当に回した。休日のこの時間帯はどこの局もローカル番組ばかりで面白くない。
「そうだ、ありす。明日、かっちゃんが久しぶりにこっち来るって」
「え? ほんと」
「ええ、昨日連絡が来たんだけど、あんたがあんまりにも気持ちよさそうに寝てたから言いそびれちゃった。起こすのも悪いと思ったから」
「やったぁー」
かっちゃんとは私の父方の従兄弟、津田
隣の市で両親と共に暮らしており、二、三週間に一度のペースで遊びに来るのだ。年は八歳で現役小学校三年生。つややかな黒髪と大きな眼鏡がチャームポイントでとても可愛らしい。
「楽しみだなぁ」
私が幼い少年と触れ合う現実的機会はこれくらいしかないのだ。以前会ったのはお盆の時だったからかれこれ一か月近く会っていない計算になる。
自室に戻って身支度を整えたあと、母からお弁当を受け取って外に出た。
「気を付けるのよ」
「うん、行ってきます」
外に出るや否や、冷たい秋風が私に直撃した。
「さむっ」
歩きながら、私は改めてあの夢について考えた。
なぜあのようなリアルな感覚を伴った夢を見てしまったのだろうか。何かの暗示だろうか。誰かが私に何かを伝えようとしているのかもしれない、と考えるのは少し電波的か。
風が吹いて落ち葉が舞った。電線から三羽のカラスが飛び立つ。
(まさか、正夢とか?)
まさか私が連続殺人事件に巻き込まれることを私の中の第六感が感知し、迫り来る危機を伝えるためにあのような夢を見させたとか?
「ないな、うん」
私は可愛い男の子が好きなだけのどこにでもいる女子高生だ。そんな私が恐ろしい事件に巻き込まれるなど、夢の中でしかありえない。
もう考えるのはやめよう。夢の考察ほど無意味なものはない。人間、何よりも大事なのは目の前の現実にしっかり向き合うことだ。
私が今やるべきことは部活に集中すること。そして明日、めいっぱいかっちゃんを愛でること。
「ふふっ、明日が楽しみだなぁ」
ありすが目覚めたことで、あの夢の世界は消滅した。レリックもタルトも女王さえも、あの世界で生きていた者たちは、無に消えてしまった。
だが、
それによってありすは誰かを殺してしまったのだろうか。
もし、
あなたがありすの行いを罪だと感じたのなら、このページを閉じないことをおすすめする。
架空の存在に明日はない。
あなたがこの物語を読み終えれば、津田ありすもまた、無に消えるのだから。
――了
夢の中でやりたい放題できると思ったら、殺人事件に巻き込まれました 館西夕木 @yuki5140
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