05 ケロケロまんじゅうとパワースポット
「鏡の向こう側……?」
鏡の向こう側とは、鏡に魂を吸い取られた死者の世界なのではないか。
それはきっと、
「そこへ行くには、ちょっと特殊な扉の開き方が必要だ。また『念』の媒体と確実に接触するために、『呪い』の受信者である
「えぇと……どうやって?」
「木全さんの姿が映る鏡さえあれば、どこからでも向こう側へ行くことは可能です。むしろ問題はこちらへ戻ってくる時だ。少しでも良い気のある場所で行いたいので、今から市内随一のパワースポットへ移動します」
「はぁ……」
公佳さんは全然ピンと来ていない様子だ。無理もない。助手である僕ですら未知の領域のことなのだから。
「そのために術者が三人おるのよ。お嬢さんを護りながら、『呪い』に関わる邪気の元を排除して、無事に戻ってくるのにね」
三人。僕もばっちり頭数に入っている。
「とりあえずみんな、おまんじゅう呼ばれてってね。あっちへ行く前に、こっちのものをお腹入れといた方がいいでさ」
各々、テーブルの上のケロケロまんじゅうを手に取る。
僕はまずそれを縦真っ二つに割り、目の部分から齧った。優しい甘さの皮に、きめ細かなこし餡がまろやかだ。美味しい。気持ちがほっこり解れる。
隣で先生がぼそりと呟いた。
「服部少年さ……結構エグい食い方するね」
「えっ? そうですか?」
「こんな可愛いカエルさんの形なのに、一ミリも
「だってまんじゅうですよ? どんな形しとっても、どうせ最終的には食べるわけですし」
「いや、形って重要だよ。特に生き物を
「あぁそうか。先生、形から入るタイプですもんね」
「軽い悪意を感じる」
僕たちのやりとりを見た公佳さんが小さく吹き出し、百花さんと笑みを交わし合っている。
先生は結局、カエルの顔が最後になるように後頭部から齧った。恐らく、たい焼きも尻尾から食べるタイプだろう。
金山駅から名古屋市営地下鉄名城線右回りに乗って六駅。市役所駅で下車し、七番出口から徒歩五分。
僕たち四人は、名古屋城本丸エリアにて、天守閣を臨んでいた。日の傾きかけた淡い群青の空に、鶯色の屋根と黄金に輝く一対のシャチホコが映えている。
平日かつ閉園に近い時間帯。今日は武将隊や忍者隊の演舞ショーもなく、観光客の姿はほとんど見えない。
それにしても。
「先生、市内随一のパワースポットって、名古屋城なんですか?」
「そう。名古屋城は慶長二十年に徳川家康が建てた城だ。ちょうど木全さんが郷土祭で扮する『千姫』の祖父に当たる。家康がこの場所に築城した理由こそ、ここがパワースポットたる
「あぁ、朱雀、白虎、青龍、玄武のアレですね」
漫画とかによく出てくるやつだ。
「四神相応は元来、理想的な都市作りから考え出されたものだ。背後の玄武、つまり北側には山。前方の朱雀、つまり南側には湖や海。西の白虎と東の青龍には丘陵。そのように山と海とで囲まれた地形が風水的観点から良しとされる。諸説あるが、この土地は北に
ほぼ一息ですごい早口だった。
「……家康も形から入るタイプだったんですね」
「そう、形は大事だ。尾張名古屋は城で保つ」
眩しいほどのキメ顔の先生。上空でカラスがカァと啼く。
うわぁ……
周りに人がいなくて本当に良かった。
見た目は小洒落た伊達男だし背も高くてイケメンと言っても差し支えないのに、先生はあまりモテない。このことからは、いくつかの教訓が得られるだろう。
百花さんがどことなく気怠げに
「……うん、まぁそういうことだで、服部くんはこの辺りの気の流れを読んどきゃあよ」
「そうします」
辺りに漂う百花さんの煙の影響で、自分の気が高まっている。
僕は両手を合わせて目を
四方八方から、絶えず清浄な気が流れ込んでいる。ここが市内随一のパワースポットだというのも頷ける。
その中でも最も大きな気の奔流を捉えると、僕は元通りに回線を閉じ、瞼を上げて合掌を解いた。
「よし、僕の準備は大丈夫です」
「みんなこの煙の匂い覚えとってね。いざって時、匂いの感覚で回線繋いでこっちへ引き戻すでさ。あたし、公佳ちゃんにも護りを施すわ」
百花さんは煙管の火皿に新たな香の粉を足し、薄桃色の煙を公佳さんの周りに吹きかけた。僕には感知できない香りの煙だ。
「いい匂い……あの、これは?」
「公佳ちゃんの魂の周りを気で固めたの。耐性がないと、向こうに持ってかれてまうもんでね。これで大丈夫よ」
「へぇ……?」
それはつまり魂の死を意味するのだけれど、あまり詳細に説明しない方がいいだろう。
百花さんが先生に、あるものを差し出す。
「皓志郎、これ、頼まれとった大事なもの」
「ありがとう。じゃあ、代わりにこれを持っとってくれ。命綱だ」
まるで交換するように、先生が百花さんに自分のスマホを手渡す。
そして次に、ポケットから懐中時計を取り出した。アンティークなデザインだけれど、実は中身は特別製のスマートウォッチだ。何事も形に拘る先生らしいアイテムである。
「電波は問題なし。GPSの測位も正確。時刻は午後四時十分。閉園時間の四時半までには戻って来たいな」
「あたしはこっち側で留守番しとるでね。気を付けやぁよ」
「あぁ、百花さんを待たせるわけにはいかんでな」
「はいはい」
そして先生は、静かだが良く通る声で唱えた。
「開け」
きぃん、と耳の奥で鋭い音が鳴り、にわかに意識が遠ざかる。
次に頭がはっきりした時、僕たちは真っ赤な景色の中にいた。
空は端から端まで茜色だ。天守閣の屋根やシャチホコも、不自然に赤い。視界に映る何もかもが、カラーフィルターでも被せたかのようにすっかり黄昏に染まっている。
先ほどまで側にいたはずの百花さんの姿はない。
夕暮れと似た色に沈んだ名古屋城本丸エリアには、僕と先生、そして公佳さんの三人しかいなかった。
公佳さんが辺りをキョロキョロと見回している。
「え? 何ですか、これ。何が起こったの? さっきのお姉さんは……?」
「ここは
先生が言っていた『扉を開く』とは、異界へ繋がるこの世界を訪れることを意味する。
僕たちはこうして階層間を渡ることで、怪異事件を解決しているのである。
公佳さんの身を包む『念』も、現世にいた時より濃くなっている。それでも彼女が平気そうなのは、百花さんの護りが効いている証拠だ。
だけど、『念』を発するものはここにはない。
『狭間の世界』では通常の五感が鈍くなり、代わりにいわゆる第六感が鋭くなる。いずれにしても、周辺の様子は恐ろしく凪いでいた。
「問題はここからだ。鏡の向こう側の世界へ行かねばならない」
「先生、どうするんですか?」
先生は、先ほど百花さんから受け取ったものを手にした。
それは、女性の掌サイズほどの、二枚の手鏡だった。
「これで合わせ鏡を作る」
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