第36話 ああ、藤色が目に染みる

「はぁ〜〜〜〜!!」


「ほぉ〜〜〜〜!!」


 薄暗い空間で、女子二人の感嘆の声があがる。前者は小石で、後者は漫研のしい先輩だ。


 目の前には、自分の背より高いハンガーラックや、衣装ケースが並ぶスチールラック。キャスター付きのラックには、複数のベニヤ板が収納され――


(てか、なんでいるんだよ? このお団子眼鏡……)


 ここは演劇部部室だが……最後に掃除されたのはいつだろう、ほこりくさい。じめじめとして、空気もよどんでいる。

 そして今、お団子を見る自分の横目もきっと、ここの空気並みによどみきっているはずだ。

 そんな俺の心を察するかのように、小石がわけを話してくれた。


「昨日、部活見学のときに、しいちゃん先輩と文化祭の寺子屋の演劇トークしてたら、一緒に来る流れになったの」


「いやぁ〜、頑張って投稿した漫画が落選しちゃいましてね? 気分転換といいますか、ほら、衣装とか見たら新たなインスピレーションが生まれるかもしれませんし、ね?

 ところで、いづ君は? 誘ったんでしょう?」


「今日、欠席なんです。RINEリネも既読にならなくて……。夏風邪で寝込んでるのかな?」


八尾やおも誘ってたのか……。てか今日、比嘉ひかも休んでただろ? 二人でサボって遊んでんじゃないか?」

 俺は言いながら遮光カーテンを開け放ち、窓を全開にした。


「うん。だと、いいね」  


 一気に明るくなった室内。電気をつけなくてもよさそうだ。


 広さは普通教室の三分の一程度だろう。壁に飾られた数々の賞状と、窓下のロッカーに並んだトロフィーが、歴代の演劇部員の活躍を物語っている。


 俺たちはリュックを長机に置き、各自物色を始めた。




「みっ、見つけちゃった!」


 俺は本棚を物色する手を止めて、興奮する声のほうへ視線を向けた。


 そこには、ハンガーラックの、透明なビニールカバーの中にいる小石の後ろ姿。少し近づくと、そこに並ぶ衣装が神仏であるかのように、両手を合わせて拝む横顔が見えた。

 直後、彼女が取り出したのは――藤色の羽織。


 太巻おおまき先生の衣装だ。


(まさか……)


 小石が右手で汗を拭いながらビニールを出ると、神妙なおもちで、左手の羽織をしばし見つめた。

 やがて、肩にそれを掛けると、内側から左右の襟を合わせるように羽織った。


(なんて顔だ!)


 藤色に包まれた彼女は、さながら太巻先生にバックハグでもされているかのように、目を閉じて、恍惚こうこつとしているではないか。


 その熱っぽさがはらむ、つやっぽさ。


 しかし、なぜだろう? 衝撃は受けたものの、こんな表情を前に、取り乱さない自分がいる。

 いや、んだ。それどころじゃなくて。


 ズキンズキン――胸が、あまりにもうずいたむから。


 ああ、藤色が目に染みる。


 小石の中にある、『彼』へのブレない恋慕の情。


 それはまるで――大地にしっかりと根を張った、『木』だ。


 それも、真っすぐと空に向かってそびえ立つ、途方もなく幹の太い『巨木』。

 それが俺の前に立ちはだかっている。


 ――『太巻先生探しで一緒にいるうちに、彼女がいつの間にかムクを好きになってるパターン、アリだと思う。全然会えない男より、近くの手頃な男がいいだろ』


(全然『アリ』じゃねぇよ。クロ先輩……)


 俺はあの言葉に、ほんの少し希望を抱いていた。

 しかしそれは、巨木を手斧ハンドアックスで切り倒すくらい『ナシ』。

 それを今、目の前でまざまざと見せつけられている。


「O Romeo, Romeo!」


 呆然ぼうぜんと立ち尽くす自分の耳に、ふと、つぶやきのような英語が入ってきた。


「Wherefore art thou Romeo?」


 巨木かららした視線の先では、スチールラックの前に立つお団子。赤いドレスを自分の体に当て、切ない顔をしている。


(……ロミオとジュリエットか。定番だよな)


『Romeo』以外の単語はわからないが、雰囲気から、あの有名なセリフだということがわかる。この人は英語科なのか、発音がそれっぽい。


「ムフフ。『Romeo』以外わからないでしょう? 古語ですから」


 視線に気付いた彼女が、眼鏡を光らせて俺を見ている。


「しいちゃん先輩。さすが英語科ですね、ステキ!」

 と言う小石は、いつの間にか『恍惚』から『快活』に変わっていた。羽織を肩から外している。


(よかった。あれ以上あの顔されてたら、死んでた……)


 お団子がごそごそと、スチールラックにある衣装ケースをあさる。そこから、ゴム紐付きの、カストロのようなつけ髭を取り出し、装着した。続いて、おでこ広めのボリューミーな癖っ毛のカツラを頭に載せ、真面目な顔で腕を組む。

 が、髭は斜めにずれ、カツラもお団子で浮いていて滑稽だ。


「If also hitting this with a small ax hundreds of times, a firm oak tree can also be cut down」


 なんとなくわかる。えっと


(『たとえ小さい斧でも、何百回も打てば、堅い樫の木も切り倒せる』――)


 ポタッ!

 自身のつたない和訳。

 それが一粒の雫となり、いだみなに波紋を広げるように、自分の中に広がっていく。


「シェイクスピアの名言ですよ。

 ――私も、新人漫画大賞という巨木を、諦めずに打ち続けます」


「!!」


 この人の前にも……すごい巨木が立ちはだかっているんだ。

 しかも、それに向かい、倒そうとしている。


「お団……いや、椎名先輩。あなたは、確かにステキです! 今、ここにいてくれてよかった。ありがとうございます!」


「ムフ? もしかして、むく君の琴線に触っちゃいました?」


「触られちゃいました。シェイクスピアと――あなたに」


 椎名先輩に歩み寄る。

 俺の中で勝手に芽生えた仲間意識が、右手を彼女に向けさせていた。

 鼻息荒めのじゃっかん格好かっこうなシェイクスピアと、がっちり握手を交わす。


「私も!」


 俺の横に小石が並ぶ。そして左手を差し出し、シェイクスピアと握手を交わした。


「原作・アニメ・神絵師さんに勝てるような作品ができるまで、太巻先生を描き続けます!」


(小石にしたら、それ……ものっっすっっごい巨木だよな)


 シェイクスピアが左右それぞれの手で、俺と小石と手を握り合う。


 てか、何? この構図。

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