第35話 ……わかった。でも――

 シロ先輩、本日三回目の吹き出し。原因は、彼が面白そうにめくっているノート――


 それは『寺子屋名探偵感想ノート(二冊目)』だった!


 恥ずかしい。いや、そんなレベルじゃない。もはや愧死きしに値する!

 慌てて寺子屋名探偵感想ノート(二冊目)を彼からひったくり、スケッチノートとすり替える。


「あはは、こういう努力までしてたんだ? まさか、作りたいアプリってのも彼女のためだったりして?」

 シロ先輩が、笑い涙をぬぐう。


 さすが、犬のようなあだ名の人。嗅覚が鋭い。何も言えない。空調が効いているはずなのに、汗が噴き出て額から頬に伝う。この状況、黙秘は肯定だ。


「ほら。あるじゃん、『やる気と熱意』。……ここまでされたら、僕なら惚れちゃうな〜」

 言いながら、シロ先輩がスケッチノートに目をやる。


 しだいにからかいの色が消え、真剣な顔で目を通してくれた。


 静かな教室にパタ、パタ――先生だろうか、廊下からサンダルの音が聞こえてくる。


「なるほど。勉強計画アプリね。オッセーにも使ってほしいもんだ」


 パタ、パタ、パタ――徐々に大きくなるその音。 


「どこか変なところ、ありますか?」


 パタ、パタ、パタ――音の主が教室に入ってきた。俺は入り口に背を向けている状態なので、誰が来たのかわからない。それより今はシロ先輩の回答が気になって、彼から視線を外せない。


 パタ、パタ、パタ。自分のすぐ背後まで音が迫り、ぴたりと止まった。かと思うと、その音の主が俺とシロ先輩の間を割って、スケッチノートを覗きだした。


「越井先生……!」


 それは背の低めな白髪交じりの、プログラミングのおじいちゃん先生だった。


「ちょっと見せてみて。うんうん――なるほど。面白そうですね」


「白沢先輩にも聞いていたところですが、どこか変なところ、ありますか?」


「変というか……」

 シロ先輩。


「突っ込みどころがありますね」

 越井先生。


「え……どこですか?」 


「椋輪君、とりあえず白沢君のアプリで、ワイヤーフレームの清書してみたら? やってるうちに、『突っ込みどころ』が判明するかもしれませんよ。ついでに白沢君に、アプリを使った感想を言ってあげるといい」


***


 プログ部の見学を終え、昇降口に向かう。途中、廊下でばったり小石に会った。


れん君、まだ学校にいたんだ」


「小石こそ。俺は部活見学してたんだ」


「蓮君も? 実は私も、漫研の見学してたの!

 ぶち先輩としいちゃん先輩とあい君の作品見せてもらったり、絵を描いたりしてきた」


 そのきらめいた楽しげな表情は、聞かずもがな入部決定に違いない。学校に、そういう顔になれる場所が増えてよかったな。そして、ぜひ画力を磨いてほしい。


「そうか。これで漫研も、部に昇格できるな」


「蓮君は何部?」


「プログラミング部。ところで、名前出てこなかったけど八尾やおは? 部活休んだのか?」


「うん。比嘉ひかさんとの用事が済んだら、部活に行くって言ってたんだけど」


「そうか……。

 あ、そういえば明日、文化祭のDVD持ってくるんだろ? ついでに演劇部の部室も物色するよな?」


「うん、そうするつもりだった!」


「俺も行く。放課後がいいよな?」


「部活は? プログラミング部は、明日は活動日じゃないの?」


「プログ部って、特に活動日も開始時間も決まってない自由な部だからさ、大丈夫だ。物色が終わったら行けばいいし」


「ごめんね……いつも時間を割いて、付き合ってくれて」


 眉尻が下がった、なんだかもうわけなさそうな顔。俺の脳内小石コレクションに、新たな表情が追加された。でも――


「そんな恐縮そうな顔するなよ」


「だって、やっぱり蓮君に何か返さなきゃ。お世話になりっぱなしだから……!」


 恐縮から一転、今度は眉尻を上げ、瞬きなしで俺を凝視する。さらに、両手に力拳ちからこぶしを握り詰め寄ってきた。

 でも、気圧けおされずに向き合いたい。らさず、小石と視線を射交いかわす。


「俺、ちゃんと、いつも報酬もらってるから。ボランティアなんてガラじゃないし」


 俺は『太巻おおまき先生探し』にかこつけて、小石と過ごす時間を楽しんでいる。彼女と一緒にいること自体が、俺にとっての報酬だ。

 そして、うれしいハプニングは、追加報酬だと思っている。いつも過剰と言っていいほど、もらっている。


「意味がわからない。報酬なんてあげてない」


「わからなくていい。とにかく、俺たちはwin-win、相互利益的な関係なんだ。だから、『ごめん』なんて言わないでほしい」


「……わかった。でも――」


 小石が俺の手を見た。と思ったら、いつの間にか力拳を解除した彼女の両手が、俺の右手を包み、握る。それを胸の高さまで持ち上げ、再び射るような視線を俺に向け、


「ありがとう」


 しんな表情で言った一言は、心からの謝意に違いない。


「――は、言ってもいいよね?」


 一拍置いてそう続けた彼女の瞳に、目を見張った自分が映る。その鏡面は、いつかテレビで見た、ウユニ塩湖のようで……神秘的だ。


「い、いい……!」


 上ずった情けない声で返答をした直後、その真摯な表情が一気にほどけた。唇は弧を描き、ウユニ塩湖は太陽を映したかのように、喜色で輝いている。


「私、今から職員室に入部届を取りに行くところ。蓮君はもらった?」


 小石が手を放す。


「ああ。俺は越井先生にもらった。じゃあ、また明日な」


「明日ね!」


 小石が廊下の角を曲がるまで、その背中を見届ける。というより、あまりの衝撃に動けなかった。

 自分の右手には、柔らかな、それでいてしっかりと握っていた、両手の感触の余韻――


(また過剰な報酬を受け取ってしまった!!! しかも前払いで!!!)

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