第33話 ああ、大声で叫びたい!

 図書室に来たのは、これが初めて。普段はどうなんだろう。見渡した感じ、今、生徒は誰もいない。  

 天井まで届きそうな本棚が、ずらりと静かに並んでいる。まるで、森閑しんかんな本の森のよう。


 カウンターで蓮君が、五十代くらいの、司書の女の先生に話しかける。すると、程なく彼女が司書室から、薄緑のケースに収納されたアルバムを持ってきてくれた。


 ドキンドキン。胸が高鳴る。


 閲覧テーブルの席に着く。

 もしかしたら、『彼』の名前がもうすぐ、この場で判明するかもしれない。

 私は蓮君からアルバムを受け取り、ゆっくりとケースから本体を取り出した。


『―絆― 二〇××年度 ○○県立椿つばきざと高等学校』


 金のはくしが施された、深緑のハードカバーの表紙をめくる。

 さらに無地の見返しをめくると、やぶ椿つばきと校訓碑が写った扉が現れた。

 一から四ページ目は、校舎や校庭など、学校施設の風景写真。

 五ページ目でクラス写真に入った。『三年一組』の文字とともに、集合写真とクラスの風景写真が載っている。生徒が教室でノートを取る姿、お弁当を食べる姿、調理室で調理実習をする姿。ほほましいけれど、さらっと流して次ページへ進む。

 大事なのは個人写真。


 まずは、三年一組の男子。


 去年、自分を助けてくれた『彼』。


 その姿を初めて目にしたときは、自分の緊急事態も忘れそうになった。『太巻先生が、2次元の世界から飛び出した!』と思ってしまうほど、『彼』は太巻先生だった。


 自分の中に鮮烈に記憶された顔と、個人写真を一人一人照らし合わせていく。

 数分して、蓮君と同時につぶやいた。


「いないね」

「いないな」


 隣で蓮君も、DVDの記憶を頼りに『彼』を探してくれている。ダブルチェックの安心感。


 三年二組。



 いない。



 三年三組。



「あっ!」

 思わず小声で叫んだ。見覚えのある顔に指が留まる。


「いたのか!?」

 誰もいないとはいえ、ここは図書室。蓮君も小声をあげ、私の指先を見る。


さぶ君の人だよ。ほら、賊のかしらも兼役だった」


「なんだよ〜、びっくりさせんなよ。……俺、太巻先生しか覚えてないから」


「私、夏休み中にDVD何回も観て……ごめん、つい興奮しちゃった」


「そういえばDVD。部室に置いといてって、幕内先生言ってたよな?」


「あ……持ってくるの忘れた。明日持ってこよう!」


「私物化すんなよ?」


 蓮君のジト目が、ちょっと痛い。


 結局、このクラスにも『彼』はいなかった。



 三年四組。



 いない。


「でも、賊と梅婆うめばあの人がいたね」


「だから知らないって……」



 三年五組。担任は幕内先生。


「この人がことさんか。見るからに陽キャっぽいな」


 蓮君が指差す個人写真の男子は、ニッとした口から並びの整った歯がのぞいている。顔はくしゃっと、わらじわができるほどの笑顔。

 この人が、『彼』と繋がる唯一の存在――


「……あ」


 一拍置いて、蓮君が別の写真に指を差す。


「この人ならわかる。りんろうの人だろ?」


「そうだね、色白な感じがピッタリ!

 あと、この人と、この人と、この人は捕まってた女子役。で、ほら、この人は回想シーンの太巻先生役も兼役だったよ」


「小石、お覚えすぎ……。DVD何回観たんだよ?」


覚えてない」



 三年六組。



 いない。



 三年七組。


「この人、けん君役だよ?」


(蓮君がやったら――)

 とたん、衝動に駆られた指がアルバムから離れる。


 気付けば、「覚えてない」と言う蓮君の前髪を、彼の右側に流していた。


「俺に気安く触るな」


 どきり。


 低く、冷たい響きに、反射的に手を引っ込めた。


 彼の瞳は、光の届かない深海のように、闇をたたえている。海底うなぞこまで私を見下すその瞳に、たちまち吸い込まれた。


「………………」


「………………」


 彼の目を見つめたまま、長い沈黙を自覚し始めたとき、


「演じさせたまま放置すんな。恥ずかしいだろっ……!」

 蓮君が片手で自身の目元を覆い、小声で叫んだ。

 その頬はいつの間にか、真っ赤になっている。


「あっ! 先週の寺子屋の再現だよね!? ごめんっ。剣君さが研ぎ澄まされてて、見惚れちゃった……!」


 気持ちを切り替え、照合作業を再開する。


 やがて、最後の男子生徒になった。けれど、この人も、違う。


 結局、『彼』はこのアルバムに存在せず、その名前を知ることはできなかった。

 でも、判明したことはある。


 蓮君がくうを眺め、うっすらと口を開いた。


「ということは、今年の二、三年生ってことか」


『ということは、今年の二、三年生ってことか』――


 彼から、ぽつりと浮かんだ呟き。けれどそれが、森閑な森での叫び声のように、私の耳で何度もこだましている。


「うっ……!」

 思わず両手で口を抑えた。


 心が突沸とっぷつする。うれしさが吹きこぼれてしまいそう。

 ああ、大声で叫びたい!

 

(椿高に『彼』はまだ、在籍してるんだ!!!)

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