第32話 なんなのよ……アンタっ……!

 気温は高い。でも、不快指数は低い。

 晩夏の太陽が輝く空に、少ない雲が足早に流れていく。

 風が吹きすさぶ中、私は一ヶ月ぶりに自校の正門をくぐった。


 今日から二学期。


 風音に混ざりながら、ときには途切れながら、『おはよう』『久しぶり』などと言い合う声が聞こえてくる。

 終業式より、きっと肌がワントーン濃くなった生徒たちが、次々と昇降口に吸い込まれていく。私もその流れに乗りながら、夏休みの回想をする。


 れん君と、文化祭のDVDを観た。内容の回想もしたいところだけれど、ディープになりそうなので我慢しよう。


 いづちゃん、しいちゃん先輩と初めての夏コミ。くまなく回った寺子屋サークルで購入した、しゅういつな品々……についても一つ一つ回想したい。けれど時間の都合上、ちょうしよう。 


 コミケの後日には、彼女たちとプールやカラオケ、映画にも行った。


(去年の夏休みは、太巻おおまき先生の『入学したら、返しにおいで』を心の支えに、家でひたすら猛勉強してたっけ。それはそれでいい思い出だけど、やっぱり今年は楽しかったなぁ。

 お祭りに行けなかったのは、ちょっと残念だっけど)


 昨日は地元、ほんまつのお祭りの日で、中学時代の友達と行く予定だった。でも、台風の直撃で中止になってしまった。


 そして今日は、放課後に蓮君と、去年の卒アルを調べる予定。それと――


「おはよう、小石!」


 風音を割るように、背後からはっきりと聞こえた挨拶。生き生きとした男子の声に、足を止める。久々に会えてうれしい。


「おはよう、蓮く――」


 振り向きざま、ザアッという音とともに、足元に散乱していた葉っぱや小枝が飛ぶ。でも、風の所業はそれだけじゃなかった。


 スカートがめくれ上がり――一瞬その中があらわになる。


 それは私じゃなくて、私と蓮君の間にいる女子の話。慌てて裾を抑えている。

 その女子は後ろを振り向くやいなや、蓮君に詰め寄った。


むく君、見たでしょ!?」


 ゆるいウェーブがかかった、亜麻色のロングヘアが風になびく。それは同じクラスの、比嘉ひかさんだった。


 蓮君は私をしばし凝視してから、比嘉さんに視線を移し


「見た。でもこれは、不可抗力だ。

 それに、今日はスカートを長めにするとか、スパッツを履くとか、強風対策を講じるべきだったと思う」


 真面目なおもちで答えた。


「…………」


「…………」


 他の生徒たちが次々と通り過ぎていく。そこだけ時が止まっているかのように、見合ったまま二人とも動かない。

 動くのは、風になぶられる二人の髪と、制服の布地。


 この状況に耐えかねたのか、やがて蓮君が沈黙を破った。


「比嘉って、意外と可愛い趣味してるんだな……」


「っ!?」

 目を見開き、真っ赤になった比嘉さん。


 彼女は無言のままきびすを返し、私の横を走り過ぎた。 

 まるで今吹いている風のような勢いで、昇降口へと消えていく。


 一方蓮君は、リュックに石でも詰まっているかような重い足取りで、私に歩み寄った。


「今日は……収穫が、あるといいな……」

 気まずそうな声には、さっきの快活さはすっかり失われている。


 何事もなかったかのように返事をしよう。


「うん!」

 なんとなく、それがいいと思ったから。

 

***


 今日は午前授業。蓮君によると、図書室は一時から開くらしい。


 私たちは椿高つばこう近くのパン屋さんで買ったお昼を、誰もいない教室で一緒に食べていた。 

 蓮君が隣でツナサンドを片手に、突然ぷっと吹き出す。


ほおぶくろえさためたリスかよ」


「ん゙ぐっ!?」


 私は急いでしゃくして、コーヒー牛乳で流し込んだ。


「そ、卒アルのこと考えてたら、なんか無意識に詰め込んでた……」


 恥ずかしい。顔が熱くなる。


「今日はよかった? 八尾やおと昼、食べなくて」


「いづちゃんは比嘉さんと用事があるって。というか、久しぶりに蓮君と話したかったし」


「そ、そっか……! あぁ、八尾って比嘉グループだったな」


 なんだか、蓮君がうれしそう。


「そういや、どうだった? 俺の勧めた勉強計画アプリ」


「うん……ダメだった」


「どうダメだった?」


「なんかね、どれも使いづらくて。

 まず、勉強予定を入力するのが面倒。さらに予定どおりいかない日があったら、それ以降また、入力し直さなきゃいけないでしょ? 私も探したんだけど、良さそうなやつは有料だし」


「だよな……俺もやってみたけど、イマイチだった。無料のやつは広告が気になるしな。うん、感想ありがとう。

 あ、感想といえば俺、夏休み中に寺子屋のシーズン――」


 そのとき、勢いよくガラッと、教室の扉が音を立てた。


「比嘉!?」


 蓮君の声が裏返る。彼女が顔をしかめながら、つかつかとこちらに近づいてくる。何か忘れ物をしたのかもしれない。

 そう、私の隣の席、つまり蓮君が今座っている席は、比嘉さんの席。


「忘れ物。椋輪君、ちょっとどいて」


「わっ、悪いな。勝手に席借りて」

 蓮君が慌てて席を立つ。


 比嘉さんが自分の机を漁り、スマホを取り出した。


「……ったく! なんなのよ……アンタっ……!」

 震える声に怒りがこもっている。今朝の件が原因かもしれない。


 ロングヘアが揺れたと思ったとき、鋭い視線が――私をとらえた。


 その美しさに、息をむ。


 絞られた黒目から放射状に、茶色、黄色、灰緑のグラデーション。初めて見た。彼女は確か、入学初日の自己紹介で、イギリスと日本のハーフって言ってたっけ。


「………………!」 


 人見知りも忘れてしまうほど、見惚みとれていた。

 でも、急にいたたまれなくなって、視線をらしてしまった。

 なぜなら――私は今、たぶんにらまれている、と思うから。つまり『アンタ』というのは、蓮君じゃなくて私のこと。

 彼女が怒る心当たりは、ある。


(私も比嘉さんのパンツ、見ちゃったから……)


「今朝のことなら、もう引きずるなよ……」

 蓮君の困惑した声。


「別件!!!」


 彼女は怒鳴って教室から飛び出した。

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